読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

繊細な感覚-孤塁の名人- 津本陽 オール読物6月号(連載)

2007-06-21 22:56:24 | 読んだ
「孤塁の名人」として、2月号からオール読物に連載されている。
<繊細な感覚>は6月号である。

合気道の大東流・佐川幸義について書かれている。
実に信じられないほどの「技」というか「合気」を身につけていたという。

佐川幸義に筆者はあっていて、合気道を学んでいる。
なので、佐川先生、と呼んでいる。

その佐川先生の信じられない技を筆者も見ているので、迫力がある。

この佐川先生は世間に自分の技を広めるでもなく、ただひたすら合気道を極め75歳くらいで完成をさせたという。
身辺からわずらわしい騒音をさけ、ひたすら研究を重ね稽古を行うのである。

このような佐川先生に弟子入りする人もいるのだが、いつまでたっても先生にかなわない。本格の合気道というのは教えられてもできるものではないらしいのである。
「(前略)合気はおなじ技をくりかえし稽古するうちに、分かるというものではないんだ。眼のつけどころというか、発想がまるで違う。合気の理とは何か、考えないとだめだ。
(中略)合気が分かるためには、毎日たゆまぬ体の鍛錬が必要だ。鍛錬すれば体力は増加してしてくる。そうするのは合気の理を探る磁針を動かすためだ。合気の理は人の身に本来宿っているのだが、現代人はそのことに気づかない。
 体のどこかにひそみ、眠りこんでいる合気を呼びおこすために、さまざまの鍛錬をやらねばならない。(後略)」

ということらしい。

つまりは、体を鍛錬し合気の理を考えないと、合気道は完成しないということらしいのだが、弟子たちだってそんなに怠けているわけではない。やっぱり「気持ち」なんだろうと思うのである。

体は80歳になっても鍛錬さえ続ければ育つらしい、のである。
それを聞くとなんだか日ごろ運動不足の私は恥ずかしいのである。

今月号では、あの王監督も登場する。
佐川先生の技を見たのである。その感想は
「ただふしぎだと思います。私には理解できません」
であったという。

津川陽のものは、剣客を扱ったものなど「技術系」の話「柳生兵庫助」とかが面白い。「下天は夢か」(織田信長)「夢のまた夢」(豊臣秀吉)はあまり面白くなかった。従って今回は期待しているのである。

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