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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

PCR検査を作った人ー「マリス博士の奇想天外な人生」を読む

2020年11月13日 22時10分06秒 | 〃 (さまざまな本)
 PCR検査という言葉を見聞きしない日はない。毎日毎日何十回も耳にしたり、目にするんじゃないだろうか。いまや日常会話にも登場する言葉である。じゃあ、一体それは何なんだ、少なくとも「PCR」って何だろうか。それぐらいは知りたいと思って、その事は前に書いた。polymerase chain reactionの略。チェイン・リアクションで「連鎖反応」だ。DNAポリメラーゼという酵素を利用して、DNAサンプルの特定箇所を簡単に増幅させる方法である。なんてことをいくら書いても、僕もよく判らないから止める。じゃあ、このPCR検査を発明した人は誰だろうか

 非常に有名な人らしいが、それは生命科学分野に詳しい人の場合だろう。ほとんどの人は全然知らないと思う。PCR検査を発明したのは、アメリカのキャリー・マリス(1944~2019)という人で、1993年にノーベル化学賞を受賞した。「奇人」として知られる人だそうで、自伝が福岡伸一氏によって「マリス博士の奇想天外な人生」と題して出版されている。(原著は1998年、翻訳は2000年。)2004年にハヤカワ文庫に入って、今年第6刷になったけど、ほとんどの人は知らないよね。僕も新聞の書評で知って、読んでみようかと思った。

 先の生没年を見れば判るように、マリス博士は2019年に亡くなっている。毎月僕は前月の訃報をまとめているから、マリス博士についても書いているのだろうか。見てみたら、その月はアメリカでトニ・モリスン(ノーベル文学賞を受けた黒人女性作家)やピーター・フォンダ(俳優)が亡くなっていたが、マリス博士は書いてなかった。そもそも日本ではマスコミに載らなかったようで、それじゃあ僕が知りようがない。だけど、その時期は新聞記者なんかでも「PCR検査の発明者」なんて言われても、何それ?だったんだろう。

 でもマリス博士の訃報は日本でもっと大きく報じられても良かった。それは「日本国際賞」というのをノーベル賞受賞直前に受賞していたからである。これは賞金5千万円で、円建てなのでドルでいくらかはすぐには不明だった。お金が必要な事情があったのに、インターネットもスマホもなかったから当時は不便だったのだ。マリス博士は一度も大学に職を得たことがない。それどころか有名研究所や大企業にも所属したことがない。さらにLSD体験を公言したりしてノーベル委員会には受けが悪いよと忠告されていた。だから、自分はノーベル賞は取れないと思っていた。

 PCR検査は「ドライブ・デート中にひらめいた」という「伝説」の真偽が最初に明かされる。ホントにその通りで、途中で車を止めて計算を始めてしまった。マリス博士は結婚離婚を繰り返したことでも知られ、その時の恋人とはその後別れることになった。その当時は、こんな簡単な検査法はすでに誰かが見つけてるに違いないと考えて、むしろ失恋の方が重大事だった。勤めていたベンチャー企業でも受けが悪く、最初は誰も信じなかった。しかし、調べてもそんな発明の論文は誰も書いてないようだった。いくつかの試行錯誤はあったものの、PCR検査が完成した技法となって、それによって「分子生物学の革命」が始まったのだ。

 そして日本国際賞を受けて、皇居で歓迎会が開かれた。マリス博士は美智子皇后(当時)に「スウィーティー」(かわい子ちゃん)と呼びかけた。おいおい、ホントかよ。そして皇后との会話が明かされるが、実に興味深いではないか。次にノーベル賞を受けることになった。博士は知らせを受けた後で、サーフィンに出かけてしまった。マスコミが駆けつけた時、サーフボードを持った写真が撮られたのはそういう事情である。(画像の本の表紙にあるもの。)
(ノーベル賞を受賞する)
 その時にホワイトハウスに招かれたが、クリントン大統領に麻薬疑惑を聞こうとして失敗。そこで当時保険制度改革に取り組んでいたヒラリー夫人に、オーストラリアの保険制度を質問した。どうせ本人は知るわけないと思ったら、たちどころに説明されたので驚いた。そして今度はアイルランドの保険制度も聞いてみたら、それも答えられた。すっかり才気に感心してしまうのだが、要するにマリス博士という人は皇后とかファーストレディに関わらず女性には声を掛けずにはいられないタイプなのである。その後有名なO・J・シンプソン裁判に弁護側の助言者として関わるが、テレビで有名になった女性検事にも裁判が終わったら夕食に誘うつもりだったなんて書いている。

 なかなかとんでもないヤツで、こんな面白い本はないなという出だしなんだけど、実はそれは途中まで。その後どんどん奇人変人ぶりがエスカレートしていく。LSD体験とか、別荘で起こった「未知との遭遇」、星座占いの話などになっていく。そしてエイズはHIVで起こるという説は証明されていないと力説。フロンによるオゾン層破壊地球温暖化説も証明されていないという話が続く。そういう説を唱える人がいるのは知ってるし、「環境ホルモン」など後に否定されるものもあるから、確かにいろんな説があってもいい。でも面白い「自伝」だなと読んでいると、突然「陰謀論」のようになるのは勘弁。思った以上に奇人で、「奇書」だった。(そんなマリス博士のことだから、「死因に疑問あり」とか新型コロナ流行の前に死んだのは暗殺だなどの説を唱える人もいるようだ。)
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財界人の「文化功労者」はありなのか?ー「文化功労者」選定への疑問②

2020年11月12日 23時18分17秒 | 政治
 ベートーヴェンの「ピアノ三重奏曲第7番」は普通「大公トリオ」と呼ばれている。これは村上春樹海辺のカフカ」に印象的に出てくる。カザルス・トリオの大昔の演奏を聞いてみたら、ビックリするほど素晴らしかった。なんで「大公トリオ」と呼ばれるかというと、神聖ローマ帝国皇帝の末子ルドルフ大公(後に枢機卿)に献呈されているからだ。1811年にウィーンで初演されたときはベートーヴェンが自らピアノを弾いたが、これが公の場での最後の演奏になった。ルドルフ大公はベートーヴェンの弟子兼パトロンで、ピアノも得意だった。

 ヨーロッパが生み出した素晴らしい音楽や絵画は、王侯貴族や教会などの支えがあって成立した。「パトロン」が文化を生んだのである。それはヨーロッパに限らず、世界中で事情は同じだ。世界遺産になっているような建築物は大体が王家や教会が作らせたものだ。日本の「源氏物語」「枕草子」なども平安朝の宮廷文化から生まれた。江戸時代になると貨幣経済が発展して「町人文化」が生まれる。近代になっても「大ブルジョワジー」が文化に大きな貢献をした。

 世界遺産に登録された東京の「国立西洋美術館」は「松方コレクション」が基になっている。これは明治の元勲松方正義の三男、松方幸次郎が第一次大戦後のヨーロッパで収集したものだ。川崎造船所の社長として財界で活躍したが、今は近代絵画コレクターとして記憶されている。ブリヂストンの創業者石橋正二郎も大コレクターだった。コレクションは「ブリヂストン美術館」(現アーティゾン美術館)で公開されている。彼らの存在によって、モネやセザンヌ、ゴッホなど多くの近代絵画のホンモノを日本にいながら鑑賞できる。

 僕は石橋正二郎の日本文化に対する功績は大きいと認めるが、じゃあ「文化功労者」と言われると「?」と思う。大成功者なんだから、「終身年金」なんか要らないだろうと思う。1976年に亡くなった石橋は、もちろん選定されていない。その当時は年に10人しか選ばれず、とても「パトロン」が選定される時代じゃなかった。その1976年には井上靖(作家)、貝塚茂樹(中国史)、芹沢銈介(染織)、森嶋通夫(経済学)などが選任され、この年初めて映画から黒澤明ジャーナリズムから松本重治から選ばれたのである。

 文化功労者の人数は、1988年に13人1990年には15人2018年には20人と増え続けた。「文化」の概念が広がっているので、それ自体は当然だろう。1988年には初めてスポーツ界から織田幹雄(陸上競技)や日本料理として湯木貞一が選ばれた。また1989年にはソニーの井深大(電子技術)や森英恵(服飾デザイン)が選ばれた。確かにスポーツや料理や服飾デザインも重要な文化だ。しかし、大企業の経営者だった井深大の「文化功労者」には疑問を感じないか?

 そして2018年以来は企業経営者が毎年選ばれるようになった。2018年には資生堂の福原義春企業メセナ)とキッコーマンの茂木友三郎文化振興(食文化))が選ばれた。カッコ内は選定カテゴリーである。2019年は任天堂の宮本茂ゲーム)、ナベプロの渡辺美佐文化振興)、さらに日本財団の笹川陽平社会貢献・国際交流・文化振興)も選ばれている。
(滝久雄)
 そして2020年になると、「ぐるなび」創業者の滝久雄パブリックアート、上の写真)が選ばれている。この人が菅首相と親しいと言われている人だが、一体パブリックアートって何だろう。1パーセントフォーアート提唱やペア碁考案などが評価されたという。さらに鈴木幸一文化振興、下の写真)は日本の商用インターネットサービスの先駆者で、「東京・春・音楽祭実行委員会」実行委員長を長年務めているという。
(鈴木幸一)
 他にも酒井政利(音楽プロデューサー)やすぎやまこういち(作曲家)も選ばれた。すぎやまはドラゴンクエストなど多くのゲーム、アニメの音楽を作曲したと紹介されている。(他にも「亜麻色の髪の乙女」や「花の首飾り」(ザ・タイガース)、「学生街の喫茶店」(ガロ)などの作曲家でもあるが。)大衆文化は大切だ。さらに「大衆文化の裏方」に着目するのも大事だと思う。だけど、大衆文化の方が普通はヒットする。直木賞作家(例えば東野圭吾や池井戸潤)は、芥川賞作家より平均で大分売れ方が違うだろう。

 もともと戦後にこの制度が出来たときはものすごいインフレ時代で、学者や芸術家には貧窮していた人もいるだろう。だから「終身年金」が与えられだのだと思う。それを考えれば、あまり売れていないけれど専門家筋には高い評価を受けている人を選んだほうがいいと思う。資生堂の福原義春、キッコーマンの茂木友三郎など業績的には十分だと思うが、「文化功労者」というと違和感を覚える。それだったら、本多劇場を私財を投じて作って下北沢を「演劇の街」にした本多一夫がなぜ選ばれないのか。86歳で存命である。

 スポーツ界でもプロスポーツで大成功した王貞治長嶋茂雄大鵬なども選ばれているが、アマスポーツ界でもっと苦労している人がいると思う。プロ野球でも金田正一張本勲野村克也なんかは避けられる。漫画では今まで横山隆一水木しげるちばてつや萩尾望都の4人が選ばれている。手塚治虫が1989年に60歳で亡くならなかったら、漫画界初の文化勲章だったのか。僕は白土三平つげ義春こそ「文化功労者」ではないかと思うが無理なんだろうか。言い出せば切りがないし、所詮「お上がくれるもの」だから、どうでもいいといえばそうなんだけど、最近はちょっとやり過ぎではないか。文化功労者の選定にも杉田官房副長官の意向が働くというから、外された人もいるのだろう。
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「文化勲章」と「文化功労者」ー文化功労者選定への疑問①

2020年11月11日 23時09分40秒 | 政治
 日本学術会議をめぐる問題は臨時国会が始まっても、首相答弁には理解出来ない部分が多い。その問題は改めて書くつもりだが、その前に「文化功労者」の選定にも大きな疑問があると野党が指摘した。実は僕も前からそう思っていたので、この問題を先に書くことにした。案外長くなったので、2回に分けて、最初は「文化勲章」と「文化功労者」の説明から。

 毎年10月末になると、その年の「文化勲章」と「文化功労者」が発表される。文化勲章は基本は5人だが、文化功労者は基本が20人と人数が大分多い。「基本」と書いたのは、毎年10月第一週に発表されるノーベル賞受賞者に日本人がいた場合、それまでに貰ってなければ追加されるのが慣例なのである。2019年は吉野彰がノーベル化学賞を受賞したため、どっちも一人増えて6人と21人となった。(野依良治、赤松勇、本庶佑などは先に文化勲章を受けていた。)
(2020年の文化勲章受章者)
 「文化勲章」の方が歴史が古く、1937年に第一回が授与された。その年は9人もいるが、横山大観竹内栖鳳藤島武二幸田露伴長岡半太郎本多光太郎木村栄など画家、作家、自然科学者などの「超有名人」が選ばれた。戦時中も選ばれていて、1943年に若き湯川秀樹36歳で受賞しているのには驚いた。その程度の見る目は戦時下の文化行政にもあったのである。

 「文化功労者」が作られたのは1951年だった。「文化勲章」は「文化に勲功あり」と国家が認定するわけで、11月3日(文化の日)に皇居で天皇による「親授式」が行われる。つまり、日本の慣行で言えば、「最高位の名誉」である。しかし、憲法14条に「栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない」とあるため、賞金などがない。そこで「文化功労者」制度を作って「終身年金」を授与することになった。現在年額350万円である。最初は式典もなかったが、現在は都内のホテルで「顕彰式」が行われ文科副大臣が授与している。文化勲章とは差があるのだ。
(2020年文化功労者顕彰式)
 今は「文化功労者」は大体70歳以上が選ばれている。学者だともっと若いこともあり、今年は3人が60代で選ばれている。他は70代が8人、80代が7人、90代が2人の計20人である。そして、原則的に文化勲章は文化功労者の中から選ばれる。すでに70代、80代が多い「文化功労者」であるが、それから数年から10年程度後に「文化勲章」となる。となると、勲章を貰える前に寿命が尽きる場合が多いのもやむを得ない。2020年の場合、橋田壽賀子(95歳)を先頭に、近藤淳(90歳)、澄川喜一(89歳)、久保田淳(87歳)、奥田小由女(83歳)と「長寿勲章」に近い。

 だから、最初の「親授式」の写真を見れば判るが、今年は5人の中で3人しか出席していない。健康に問題があって出席できない人がいても不思議ではないだろう。こうなると、日本の文化の最高峰を顕彰するという意味も薄くなってしまう。いや、若くして亡くなった人は「死後の追贈」をすればいいと思うかもしれない。過去にはそういう例もあった。1949年の六代目尾上菊五郎と1957年の植物学者牧野富太郎である。しかし、その後は例がなくなっていて、そこが没後受賞が多い国民栄誉賞とは違う。(国民栄誉賞は2人目の古賀政男以後、長谷川町子、美空ひばり、渥美清、森繁久弥、大鵬幸喜など計12人も没後受賞者がいる。)

 ところで、「国家が優れた文化人に勲章を贈る」こと自体がおかしいという考えの人もいるだろう。僕も「明らかに偏向した選考」や「天皇の親授」には問題があると思っている。それに「晴れがましい場」は嫌だと思う人もいるだろう。ある意味、ホンモノの芸術家や学者だったら、そんなものは要らないというのかもしれない。実際に文化勲章を辞退した人はいる。河井寛次郎(陶芸)、熊谷守一(画家)、大江健三郎杉村春子の4人である。

 映画「モリのいた場所」で描かれた熊谷守一は、晴れがましい場に出る気がなかった。大江健三郎はノーベル賞受賞に伴って文化勲章にも選ばれたが、日本政府の賞は受けなかった。杉村春子は生涯現役の女優であり続ける意味で受けなかったらしい。「民藝」運動の陶芸家河井寛次郎はよく判らないけど、芸術院会員や人間国宝も受けなかったというから、「民藝」の理念を貫いたのかと思う。文化功労者で辞退した人がいたかどうかは発表されないので不明である。

 僕は人間に等級を付ける叙勲制度には反対だ。まあ貰う可能性も皆無だから、あえて反対運動をする気もないけれど。でも科学者だったらノーベル賞を欲しいだろう。それを否定は出来ないと思う。スポーツ選手が五輪の金メダルを目指すのと同じで、そういう「名誉」を求めることを否定してはいけないように思う。ノーベル賞を認めるならば、芸術や学問に貢献した人に「名誉」を授けるという制度が国単位であってもいい。全世界に何かしらあるし、どの世界にも何らかの賞があるもんだ。でも、それは選考が大方の納得が得られるものじゃないといけない。その問題は次回。
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奥が深い「とうがらしの世界」

2020年11月10日 22時51分10秒 | 〃 (さまざまな本)
 松島憲一著「とうがらしの世界」(講談社選書メチエ)を読んだ。これは「日本最高峰」の信州大学農学部でトウガラシ(唐辛子)を研究する著者が、「とうがらしの世界」あるいは「世界のとうがらし」を語り尽くした本である。基本的には「なぜトウガラシは辛いのか」とか、「世界のトウガラシはどのように広がったか」などを遺伝子解析で追求する理系の本である。でも著者は歴史や地理、世界の料理など様々な視点からトウガラシと人間の文化を追求していく。

 「甘党」「辛党」という言葉がある。甘党はスイーツ好きという意味だが、辛党とは「甘いお菓子よりお酒が好きな人」という意味だ。(でもお酒にも甘口と辛口があるけどな。)僕はお酒も好きだけど「宅飲み」はしない。お菓子は自分で買うこともあるから「甘党」か。でも本当は「激辛党」という方が正確だと思う。若い頃は黒胡椒を持ち歩いていて、外食すると何にでも掛けていた。今は家で「七味唐辛子」を愛好していて、納豆もカラシじゃなくて七味を入れるぐらい。休日にスパゲッティソースを作ると、輪切り唐辛子をたっぷり入れるので家族は敬遠して食べない。

 ちなみに、その「七味唐辛子」は浅草新仲見世の「やげん堀」(中島商店)にこだわっている。浅草松屋地下一階の「北野エース」にも置いてあるが、コロナ禍でデパートも閉まっていた時期には、「必需品」が切れないように時短営業中の本店まで買いに行った。わざわざそれだけのために。本店に行くと、辛さなどを注文して調合してくれる。
(やげん堀の七味)
 「日本三大七味」というのがあるそうで、浅草浅草寺門前やげん堀長野善光寺門前八幡屋礒五郎京都清水寺門前の産寧坂七味屋本舗だという。それぞれ微妙に調合が違うと出ている。寒い信州では生姜が入るという。僕は八幡屋は知ってるけど、京都の七味屋は未体験なので一度経験してみたい。他にも日本各地に独自のとうがらし食品がたくさんあることが紹介されている。でも、やっぱり長年慣れ親しんだ「やげん堀」に限ると思っている。

 そうは言っても、トウガラシにはどれほどの価値があるのか。そう思う人もいるかもしれない。でもカレーキムチも、辛いことで知られる麻婆豆腐などの四川料理も、ペペロンチーノ・スパゲティも唐辛子がなければこの世になかった。(「ペペロンチーノ」の本当の呼び名は「アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ」.。なお、タバスコを掛けるのは日本独自で日本人観光客の要望で「日本風」として出す店もあるという話が出ている。)

 元は中南米原産で、コロンブス以後にジャガイモサツマイモトウモロコシカボチャトマト落花生タバコなどとともに、世界一周の壮大な旅をして日本列島にたどり着いたのである。そして至る所で、その辛みが人々を魅了して世界の食文化を変えてしまった。そういう歴史に思いを馳せる時、トウガラシを通して見えてくる世界の歴史と人々の暮らしに驚くのである。
(新宿で栽培された「内藤とうがらし」)
 第一部が基礎知識編で、トウガラシの種類や特徴が説明される。(今、トウガラシは植物の名前、唐辛子はスパイスの名前として書いている。)トウガラシは何故辛いのか。それは何と鳥には食べられるけど、ネズミには食べられないという仕組みだった。赤くなるのも、求愛行動用に赤色色素を必要とする鳥に向けた進化だという説があるという。またピーマンパプリカのように辛くないものもある。シシトウなど、普通はそんなに辛くないが、時々激辛に当たることもある。それはどのような仕組みになっているのか。

 トウガラシの辛み成分をカプサイシンということは、今では多くの人が知っているだろう。そしてよくカプサイシンにはダイエット効果があると言われたりするが、それは本当だろうか。実際に体を温める効果があると出ている。しかし、著者は講演でその事を語ると微妙な空気が流れると自分で書いている。松島氏自身の体型がダイエット効果に疑問を呼ぶということらしい。じゃあ、松島氏の写真はというと本には載っていないので、検索してみると下記のような写真が出てきた。

 まあ松島氏は美味しい唐辛子調味料を口にすると、「これでご飯3杯はいける」などとあちこちで書いてるから、ダイエット効果を打ち消す食べっぷりなのかもしれない。またトウガラシには意外にもビタミンCが豊富に含まれているという。ハンガリーのセント=ジェルジ・アルベルト博士がパプリカから抽出に成功して、戦前にノーベル賞を取った。博士の波瀾万丈な人生も興味深い。

 日本には江戸時代初期に入ってきて、各地で独自に進化した。しかし、全部で5種ある品種の中で、日本で広がったのはアニューム種という種類だという。超激辛種のハバネロなどのキネンセ種は日本には広がらなかった。一方南米を出なかった種類もあるという。江戸時代にすでに各地で80種類もの在来品種があったという。平賀源内に「蕃椒譜」という本があって、絵で唐辛子の種類を描いている。
(平賀源内「蕃椒譜」)
 といった具合に、日本の古い史料にも当たる一方で、世界各地に出かけてトウガラシの種を求めて遺伝子解析を進める。本人も言っているが、まさに「文理融合」の見本。今後、高校の地理歴史科に「地理総合」という科目が出来るが、悩んでいる教員も多いだろう。理科や家庭科の教員と協力しながら、トウガラシの分析や世界各地の料理を作るなど、トウガラシだけでも面白い授業が出来るかもと思った。(ちなみに「日本最高峰」というのは、信州大農学部の農場が日本の大学で一番高所にあるという意味である。)
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「保健所増設」と「西暦表記」ー行政改革を考える②

2020年11月08日 20時00分24秒 | 政治
 気象庁のホームページに広告が掲載されるようになったと言う。今は企業広告は出ないけれど、広告枠は表示される。災害情報を見ようと思うと広告が表示されるのはおかしいと問題化した。いろいろ言われているけれど、要するに「予算不足を補う」ということなんだろう。こういうニュースを聞いて、政治家は恥じ入るべきだ。最新の集中豪雨情報を知りたいと思って検索すると、企業広告が最初に出てくるというのは間違いだろう。そんな国はおかしい。

 「行政改革」というと、「ムダをなくせ」とか「予算を減らせ」という話になってしまうのは何故だろう。行政を改革するとは、つまり「税支出の見直し」ということになるだろうが、それは支出をマイナスにすることだけではない。支出を増やすのも「改革」である。「公務員削減」を掲げて「小さな政府」化を進めてきた自民党政権だから、「もっと減らす」のが「改革」だと思い込んでいるのだろう。でも、その「小さな政府」を見直すこと、「命を守る」ことを最優先に「防災」「公衆衛生」の予算を増額することこそ、今こそ必要な「行政改革」だ。
(保健所の削減の推移)
 新型コロナウイルス問題で驚いたのは、21世紀になって保健所がどれほど削減されていたかということだった。上記グラフにあるように、852か所あった保健所は472か所に減らされた。その態勢でパンデミックに対応しなければならなかった。コロナウイルスだけでなく、新型インフルエンザウイルスもいつ世界に登場するか判らない。高齢化はますます進行し、地域の保健衛生行政の充実は緊急の課題だ。「行政改革」の最大課題は「保健所の増設」であるはずだ。

 もう一つ、公文書の「西暦使用問題」もある。公文書に元号のみを使用するという国の決まりはないようだ。しかし、法務省は昨年の改元に際して、戸籍法に基づく出生届や婚姻届では元号を使うように通達している。NHKのニュース番組でも元号のみを使う場合がある。「西暦表記を求める会」という団体が申し入れをしたところ、NHKは「元号は国民に浸透している」という説明を受けたという。(以上は東京新聞10月28日付による。)これは答えになっていない。東京五輪は「東京2020」だが、NHKは五輪報道でも元号のみなのか。そんなことはないだろう。

 何でも外務省の文書でも元号で書かれているということだから、問題は深刻だ。この問題は前にも書いたが、「国際化」なんて言ってた政府の言葉がいかにタテマエに過ぎないかを示している。世界の人が判る表記をしないで、「国内でしか通じない表記」に固執する。この内向きの姿勢をいつまで続けるのだろうか。何でも大阪でまた万博をするそうだ。そんな大規模イヴェントはもういらないと思うけど、それはそれとして次の大阪万博は2025年開催だ。これは元号だと何年になるのか。5年後だから「令和7年」か。一ケタだからまだ計算出来る。

 では「昭和45年生まれの人は、令和7年に何歳になるのか?」 これは前回の大阪万博の1970年に生まれた人は2025年に何歳になるかというだけの問題だ。誕生日が来れば55歳になると誰でもすぐに計算出来る。つまり、「55年ぶりの万博」になるわけだが、西暦で表記しなければ、こんな簡単な計算も出来ないだろう。「長期見通し」を必要とする政治分野で、未だ公文書に元号表記をしているとは信じがたい。そんなことも変えられないで、「行政改革」なんて言っている。
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「脱ハンコ」より「意思決定プロセス改革」が先ー「行政改革」を考える①

2020年11月07日 23時09分01秒 | 政治
 「行政改革」を旗印に河野太郎行革担当相が中心になって「脱ハンコ」を呼びかけている。「押印廃止」なんてハンコを作ってツイッターに投稿して、印鑑業者が集中している山梨県の長崎知事に批判されている。そのハンコの写真は検索しても、もう見つからない。代わりに「似顔絵ハンコ」なんてのが出てくる。山梨県のハンコというのは確かに有名で、東京(だけじゃないだろうが)の中学、高校に勤務していると、業者がいっぱいカタログを送ってくる。「卒業記念品担当教師殿」宛てである。僕の高校卒業時にも印鑑を貰ったことを覚えている。
(河野太郎の「似顔絵」印)
 しかし今の議論は少し本質を外していると思う。確かに「本人のサイン」があるのに「三文判」が必要なのは、二度手間である。朱肉は借りられるけど、ハンコを忘れたらアウトだ。サインだったら、ボールペンを借りればどこでも書ける。だから役所で書類を出すときなんかを考えると、「サインがあれば押印不要」の方が合理的だ。でも、実際はもう大分そうなっているんじゃないだろうか。宅配便の受け取りなんかもそうだし、年金なんかの書類も「本人のサインがある場合は押印不要です」と書いてある。案外もうそうなっているのである。

 自分で書類を作るときはどうだろうか。確定申告なんかもそうだし、仕事で報告書とか提案書なんかを作るとき、今はほとんどパソコンで作成するだろう。最後にサインするよりも、自分の名前もパソコンで打って押印することもあると思う。職場または自宅でやってる限り、サインでも押印でも大した面倒ではない。出先で押印というと忘れる場合もあるわけだが、押印そのものは面倒というほどのものじゃないだろう。「本人確認」の意味では、不動産売買など本当に重要な場合は「印鑑登録」した印鑑を押印して「印鑑証明」を付けることになる。それ以外にはないだろう。

 ハンコだと「三文判でもいいのか」ということになって「不正」もやりやすい。しかし、サインでも真似できるから同じである。でも普通の人はそんなことはしない。「婚姻届」にも押印廃止だと寂しいという声もあったけど、印鑑登録したハンコじゃなくてもいいんだから、それならサインで十分だろう。要するに、印鑑かサインかはどっちもでいい問題だ。コロナ禍の緊急事態宣言下で「テレワーク」が推奨されたが、ハンコを押すために出社せざるを得ないと言われた。それが今回の背景にあると思うが、押印を廃止してもサインしに出社しないといけない。同じである。

 企業や役所で「意思決定」をするときには、決裁書類を作って関係部局の責任者の押印が必要になる。そこの「押印」を廃止したら、どうなるんだろうか。サインにするんだろうか。それなら同じことの繰り返しである。「電子サイン」でも良ければ、「電子ハンコ」というものもあるらしいから同じだ。書類そのものを紙ベースで印刷せず、デジタル空間だけで処理するシステムになれば、当然電子サインになるだろう。でも当面は紙が残るだろうし、残すべきだ。安倍政権で起こったような「公文書改ざん」や「不誠実答弁」がある限り、政策決定過程を紙ベースで追求できないというようなことは認められない

 学校でも21世紀になると、何でもかんでも「起案」せよと言われるようになった。事務職員でもないのに、なんでそんなことをしなくちゃいけないのかと思ったけれど、やがて慣れざるを得なかった。期末テストなんかでも、「期末考査の実施について」なんて起案をするのはバカげている。教育委員会に年間行事計画を届け出て承認されているんだから、変更するときは起案がいるけど予定通りなら不要だと思うけど。起案書類を作ると、とにかく関係部署を回って押印が必要になる。押印廃止というなら、この意思決定プロセスの改革こそまず最初に必要だ。

 押印であれ、サインであれ、本当に責任を持つ最終責任者が確認すればいいという風に変えないとならない。そうなると、もし失敗したとか、不評だったとか、問題が指摘されたとか、そういう時に「誰が最終責任者であり、責任を取るべきか」が判る。「全国民に布マスクを配布すると誰が決めたのか」「学術会議会員に推薦された6人を誰が除外したのか」とか、そういう重大な政策決定プロセスが判明しないような政権で「押印廃止」などと言っても本質を外すだけだ。
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井出孫六、坂野潤治等ー2020年10月の訃報②

2020年11月06日 22時46分33秒 | 追悼
 2020年10月の訃報で別に一回を使って書いたのは、作曲家の筒美京平と作家の大城立裕だった。大城立裕氏の業績は「本土」ではまだ全貌が評価されていないと思う。今回は作家や著述家を中心に、それ以外の人をまとめて。直木賞作家ルポライター井出孫六が亡くなった。10月8日没、89歳。もう名前も忘れられているのか、ネットニュースでは見なかった。翌日の新聞にはある程度大きく掲載されていたから、やはり新聞は大事だと思った。

 名前で判る人はもう少ないだろうが、評論家丸岡秀子、三木内閣の官房長官だった政治家井出一太郎の弟にあたる。中央公論に勤務した後、70年に退職した後ルポを書き始めた。ウィキペディアを見ると、永山則夫の獄中ノートを「無知の涙」として出版した人だと出ている。
(井出孫六)
 最初の頃は秩父困民党事件をテーマにした本が多い。井出家の出身地である長野県佐久は困民党の最期の地でもある。そんな土地勘もあって「秩父困民党群像」に始まる10冊近い本を出している。だから僕は小説家というより歴史ドキュメント作家のように思っていたら、1975年に「アトラス伝説」で直木賞を受賞した。明治期の画家川上冬崖の評伝だが、物語的な作品ではないと思った。選評を見ると、松本清張、水上勉の強い推薦があった。半村良雨やどり」と同時受賞。他の候補に素九鬼子「大地の子守歌」などがあった。

 その後は歴史系のルポや評伝が多い。岩波新書の「抵抗の新聞人 桐生悠々」や大佛次郎賞を受けた「中国残留孤児」のルポ「終わりなき旅」などが代表作だと思う。どっちも一度は是非読むべき本。僕が好きなのは「ルポルタージュ戦後史」という本である。井出孫六は戦争に明け暮れた近代史を民衆の立場から鋭く見つめた硬派の歴史作家だった。桐生悠々、朝河貫一、石橋湛山など非戦・抵抗の人々を語り継いだ人でもある。大城立裕とともに、井出孫六も今こそ読むべき「抵抗の作家」だ。

 作家の佐江衆一が10月29日死去、86歳。芥川賞候補に5回なったが受賞できなかった。70年代以後、社会派作家として一定の知名度を確立した。一番有名なのは「老人小説」とでもいうべきジャンルだろう。「老熟家族」は吉田喜重監督の「人間の約束」の原作。老老介護を描く「黄洛」は話題となって、ドゥマゴ文学賞受賞。他に時代小説も沢山書いていて、江戸の市井小説も沢山書いた。五代友厚が話題になると文庫化されたりしたが、僕はほとんど読んでない。田中正造に関する本も何冊か出していて、もしかしたら読んだかもしれないなあという気がするけど…。
(佐江衆一)
 歴史学者の坂野潤治(ばんの・じゅんじ)が10月13日死去、83歳。近代日本政治史が専門だが、東大「国史」の出身である。東大でも法学部で学んだ人だと「政治学者」という呼び方がふさわしい人が多い。同じように近代日本政治を研究していても、方向性が少し違うことが多い。僕は明治期は専門じゃないので専門書はほとんど読んでない。ただ坂野氏がすごいと思うのは、東大、千葉大を定年後に一般向けの本を沢山書いたことである。だから一般の読書家には名前を知られていたと思う。若い頃から、史料を読み解いて、大胆に見通しを付けるような発想に秀でていた。それが最後に多くの本を書けた要因だろう。ただ判りやすいのはいいけれど、知ってることが多くて、そんなには読まなかった。
(坂野潤治)
 話は少しそれるけれど、最近読んだ伊藤之雄真実の原敬」(講談社現代新書)の後書きにこんな言葉があった。伊藤氏の学部生時代からの憧れ、目標だった松尾尊兌三谷太一郎坂野潤治の「三先生の御業績が忘れられない」というが、「史料状況の改善」もあって「少しずつ違和感を覚えるようになった」というのである。史料を読み解くことが歴史研究のすべてであり、その意味では研究の進展で歴史は書き換えられていく。しかし、坂野氏が「歴史のイフ」を恐れずに一般書も沢山書いたのは、敗戦に至る近代日本史に「オルタナティブ」はあったのかという痛切な反省のためだろう。それが一番歴史家に大切なものだと思う。

 韓国のサムスン財閥の李健熙イ・ゴンヒ)元会長が10月25日死去、78歳。サムスン財閥創業者の李秉喆の三男に産まれ、日本、アメリカに学んだ。1987年にグループの会長職を引き継ぎ、サムスン電子を世界的な企業に育てた。2009年に不正資金疑惑で有罪が確定したが、李明博大統領からピョンチャン五輪招致を理由に恩赦された。(IOC委員だった。)2014年に倒れて、以後は寝たきり状態だったという。韓国の財閥は規模が大きいだけに政界との癒着も多く、サムスンも何度も刑事訴追を受けている。韓国の輸出総額の3割近くがサムスンだという。
(イ・ゴンヒ)
稲葉清右衛門、2日死去、95歳。元ファナック社長。産業用ロボット会社として世界的企業に育てた。
林原健、13日死去、78歳。岡山のバイオ関連企業林原元社長。インターフェロンの開発など注目されていたが、2011年粉飾決算が発覚し引責辞任した。
蓮田太二(たいじ)、25日死去、84歳。熊本市の慈恵病院理事長。「赤ちゃんポスト」創設者。
宮田浩基(こうき)、29日死去、87歳。1985年に熊本県で起きた冤罪事件(松橋事件)で懲役13年の判決が確定したが、2019年に再審で無罪となった。国賠訴訟を起こしたが、それは家族に引き継がれる。
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ショーン・コネリー、高田賢三等ー2020年10月の訃報①

2020年11月05日 22時13分38秒 | 追悼
 いつまで決着しない米大統領選は置いといて、10月の訃報のまとめ。最初は10月末に飛び込んできたショーン・コネリーの訃報である。はっきり発表されていないが、10月30日か31日没、90歳没。もう90だったのか。多くのマスコミは「007シリーズ」の初代ジェームズ・ボンド役だったと報じた。でも、記事を書いた記者も現役では知らないはずだ。僕も同時代的には80年代以後の「渋い俳優」のコネリーしか知らない。それは大変魅力的だった。それでも多くの人は「ボンドのコネリー」と思っていたと思う。それが訃報の報じられ方でも判る。
(「アンタッチャブル」でアカデミー賞助演男優賞を獲得)
 ショーン・コネリーは1962年に「007シリーズ」の第1作「007 ドクター・ノオ」の主演して世界的に人気を得た。30歳である。第5作の「007は二度死ぬ」(1967、日本ロケしたことで有名)で一端退き、次の「女王陛下の007」(1969)ではジョージ・レーゼンビーに代わった。しかし評判が今ひとつで1971年の「007 ダイヤモンドは永遠に」は再びコネリーが主演した。その後、1983年の「ネバーセイ・ネバーアゲイン」でもボンドを演じたが、これは007シリーズを製作しているイオンプロではないので、ノン・シリーズ扱いとなっている。ボンド俳優は6人いるが、ロジャー・ムーアや今のダニエル・クレイグを超えて、やはり一番有名なのはショーン・コネリーだろう。
(ボンド役のコネリー)
 僕は007シリーズをそんなに見ているわけじゃなくて、以上のことは今検索して調べたのである。便利なものだ。その後、「オリエント急行殺人事件」や「風とライオン」(モロッコの首長役)などで活躍しているが、なんと言っても1986年の「薔薇の名前」が素晴らしかった。世界的ベストセラーの映画化を支えた渋い演技が圧倒的。それは1987年の「アンタッチャブル」で最高の達成を見たと思う。その路線で「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」や「レッド・オクトーバーを追え」などで活躍した。そして段々姿を見なくなり、2006年に引退を表明した。

 スコットランドのエディンバラ生まれで、スコットランド生まれに誇りを持っていて、アクセントを直さないことをボンド役出演の条件にしたという。そのため、後になってボンドはスコットランド生まれということになったのだという。その他の役でも同じようなことがあったというから、すごいものだ。僕の若い頃に「憧れる中高年」を演じていたのだが、「アンタッチャブル」は57歳だった。いつの間にか自分の方がその年齢を超えているではないか。時間の流れに驚くしかない。

 ファッションデザイナーの高田賢三が4日にパリで死去、81歳。死因は新型コロナウイルス感染症だった。1939年に姫路で生まれ、文化服装学院でコシノ・ジュンコらの「花の9期生」だった。1960年に装苑賞、1965年にフランスに渡り、1970年に独立。フランス文化相が追悼声明を出したが、「パリで最初に頭角を現した日本人」と呼んだ。また「文化の結合が特徴だった」という。高級既製服の草分けで、「西洋と東洋の融合」と評された。というんだけど、もちろん名前は知っていたけど、全然中味は知らなかったなあと思う。
(2016年、レジオンドヌール勲章を受章した高田賢三)
 ロックバンド「ヴァン・ヘイレン」のギタリスト、エディ・ヴァン・ヘイレンが6日死去、65歳。オランダ生まれで、家族で渡米後に兄のアレックス(ドラマー)とバンドを結成した。ギターの弦を右手で押さえて演奏する「ライトハンド奏法」で知られ、多くの影響を与えた。(ウィキペディアを見ると、この奏法の呼び方は日本独自だとある。)92年にグラミー賞、2007年にロックの殿堂入り。ローリングストーン誌選出「最も偉大な100人のギタリスト」で2003年は70位、2011年は8位と出ている。
(エディ・ヴァン・ヘイレン)
 日本の音楽界では「歌謡曲」の不滅の作曲家、筒美京平が亡くなった。それは別に書いたが、テレビ等でも追悼特集が相次いで、この曲も筒美京平だったかという思いになる。
 ジャズ・トランペッターの近藤等則(としのり)の訃報もあった。10月17日没、71歳。僕は多分どこかで一回聞いていると思う。ジャズの演奏会にはほとんど行ってないので、多分何かのイヴェントなんだと思うけど、ずいぶんいろんな人とセッションするなどある時期とても注目されていた。ニューヨークで活躍した後、80年代は自分のバンド「IMA」で活動した。93年からオランダに活動の場を移し、「地球を吹く」プロジェクトを行った。僕が聞いたのは、「Tibetan Blue Air Liquid Band」と言ってた頃だ。「チベット」に反応したんだと思う。山本政志監督の「てなもんやコネクション」に出演するなどして、僕も名前を知ってたんだろう。
(近藤等則)
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「大阪都構想」の否決、「東京23区」の改革こそ必要だ

2020年11月02日 22時40分08秒 | 政治
 2020年11月1日に行われた2度目の「大阪都構想」(大阪市廃止・特別区設置)の住民投票は再び反対多数の結果となった。今回は公明党が賛成に転じ、ひと月ぐらい前の世論調査報道では賛成が10%ぐらい上回っていた。だから今回は「賛成多数」になるのかなと思っていたら、直前のマスコミ報道で急速に「賛否伯仲」と報じられるようになった。その勢いのまま、結局今回も反対多数になった。前回よりも賛否の差が開いていることを思えば、5年ほどで再度の住民投票に持ち込んだ手法自体が間違いだったというべきだろう。

 前回と今回のデータを確認しておきたい。
2015年5月17日 投票率68.6%
 反対 70万5585 (49.62%)
 賛成 69万4844 (50.38%) 差=10741票
2020年11月1日 投票率62.35%
 反対 69万2996 (50.63%)
 賛成 67万5829 (49.37%) 差=17167

 今回投票率が下がったことは、「コロナ禍」の中での住民投票だったこともあるだろうが、今回から賛成に転じた公明党支持層の中に賛成にも反対にも回らず「棄権」になった人が多いのかとも想像される。出口調査報道によれば、公明支持層は賛否がほぼ並ぶ感じだったという。どっちも選ばなかった人もいるのではないか。「維新」のことだから、一票でも賛成が上回れば「一票でも多ければ、勝ちは勝ち」と大騒ぎしただろう。それが前回よりも差が広がったのだから、維新・公明の政治的責任は大きい。コロナ禍の最中に多大な税金を支出したのだから。
(公明党山口代表も街頭演説に)
 今回の結果は国政にも影響すると言われている。それも重要なんだけど、ここでは地方自治制度のことだけ書いておきたい。5年前は安倍政権で安保法制が制定される間際の時期で、「改憲勢力」の一つとされる「維新」の消長は重要な意味を持っていた。だから5年前はずいぶん「都構想」問題を取り上げた。しかし、大阪に知り合いもいないのに一生懸命調べて書くこともないかと思って、今回は一回も書かなかった。下の地図を見れば判るように、今回「4つの特別区」への分け方はいかにも不自然だ。「工夫」でもあるんだろうが、区役所の設置場所がキレイに縦に並んでいる。多くの市民にとって不便になるのは目に見えている。
(今回の特別区設置案)
 多くの地方自治体の仕組みの中で「政令指定都市」が一番権限が与えられている。地方の中核都市が周辺自治体を合併して人口などの条件を満たして政令指定都市になることがある。その場合には住民投票は必要ない。それなのに、政令指定都市を廃止するときには住民投票が必要だ。それだけを取っても、「住民福祉などで不利になることもあるけれど、それでもいいですか」と聞いている仕組みだということが予想出来る。もちろん「大阪府」全体からみれば、大阪市の財源を吸い上げて府全体に使えるんだから有利になるだろう。「府民投票」をやれば賛成が多いのかもしれないが、それはやる必要がないのである。

 政令指定都市を廃止して、特別区を作れば、常識的に考えれば大阪市民には不便になることが多いのではないか。今まで持っていた大阪市の権限がなくなって、新たに区議会を作ることになる。大阪市会は現在議員定数が83人だが、区議会議員が21人ということにはならないだろう。東京23区で人口60~70万の大田区や練馬区では区議会議員の定数は50人だから、普通に考えれば区議会議員の数は大阪市会議員の数より2倍以上になるだろう。「二重行政」と言われたが、悪い意味での二重性もないとは言えないのだろうが、ある意味「二重行政」が出来るだけの権限が大阪市に与えられているとも言える。

 東京の特別区にはそのような権限がない。「せめて市になりたい」というのが23区の希望である。東京では「特別区」制度が戦時下に議論もなく導入されて以来70年以上続き、もう「そういうもんだ」と思っている人が多いと思う。地元の自治体に権限もないということが意識もされない。「特別区」になれば経済が発展するかのような議論は大間違いだ。単に「首都」だから、東京に人や金や情報が集中しているだけだろう。(そもそも今回の住民投票で賛成が多くても「大阪府」は変わらないのに、「大阪都構想」と銘打つところにゴマカシがある。)

 今回の議論を受けて、東京こそ「23区制度」の改革を考えるべきだろう。ただ23区にも違いが大きく、都心部の区では人口が少ないが「昼間人口」が多いから重要だと思っている。23区制度の改革となれば、区の合併も避けられないが、それは受け入れにくい。区ごとに特徴もあり、それぞれ繁華街もあるから、中心地を他に持って行かれたくないんだろう。でも人口80万という政令指定都市の条件を超えていながら「特別区」という世田谷区などは明らかに異常事態である。いくつかに再編して、政令指定都市をいくつか作るというのが僕の希望である。
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核兵器廃絶条約、発効へー批准国・署名国を調べる

2020年11月01日 23時17分52秒 |  〃  (国際問題)
 国連で採択された核兵器禁止条約(Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)が2021年1月に発効することになった。この条約は批准国が50ヶ国に達してから90日になると効力を発すると決められている。2020年10月24日に中米のホンジュラスが批准して、これで50ヶ国になったわけである。その90日後は2021年1月22日である。

 この核兵器禁止条約発効のニュースは、日本で大きく報道されたが日本政府の冷たい反応が印象的だった。条約が国連で採択された時には、「日本も批准するべきだ」と主張した。日本政府は「非核三原則」を掲げて、「核兵器を、持たず、作らず、持ち込ませず」を国策としている。そこから素直に考えていけば、核兵器禁止条約に参加する方が自然だと思っている。日本国民の中にも、核兵器禁止条約参加を求める声は高い。
(条約参加を求める広島の集会)
 では、この条約に参加した国はどのような国なのだろうか。「批准国」以外に「署名国」も37ヶ国にのぼる。「批准」(ひじゅん)とは、国家が最終的に条約などに参加する手続きである。「署名」「締結」などは外交を担当する行政機関が行うが、三権分立の国家では国会の了承が必要である。(民主主義以前の段階では「君主」の承認が必要である。)日本では国会で衆参両院で可決された後、天皇が認証し公布されることで条約の批准となる。
(緑=批准国、黄=署名国)
 批准及び署名国の状況は上記の地図にある。圧倒的に多いのはラテンアメリカ諸国である。続いて太平洋の島国(オセアニア)、そして今はまだ批准国は少ないが、アフリカ東南アジア諸国に署名国が多い。そこから逆算すれば判るけれど、参加国が少ないのはヨーロッパ西アジアのイスラム圏東アジア諸国ということになる。これは何を意味するのか。

 ラテンアメリカ諸国の批准は21ヶ国になり、全50国中の4割を超える。カリブ海の小さな島国も多いが、メキシコ、エクアドル、ボリビア、ウルグアイ、パラグアイ、ベネズエラ、コスタリカ、パナマ、キューバ、ジャマイカなどが批准国。ブラジル、チリ、ペルーなども署名している。参加していないに国は経済混乱の中、右派政権と左派政権の対立が激しいアルゼンチンがある。ブラジルも2019年に極右のボルソナロが当選したので、批准が進まないことが予想される。しかし大きな方向としては「ラテンアメリカの非核化」が進むだろう。

 太平洋諸国も同じだが、ニュージーランド以外は小さな島国ばかりである。オセアニア最大のオーストラリアは米国の同盟国で参加していない。太平洋は核実験で過去に一番被害を受けてきた。現在もアメリカ、中国の影響力が大きく、批准国(10国)以外に署名国がない。一気に「太平洋非核化」が実現すると考えるのは早計かもしれない。

 アフリカは現在の批准国は6ヶ国(ボツワナ、ガンビア、レソト、ナミビア、ナイジェリア、南アフリカだが、署名国がいっぱいある。(アルジェリア、アンゴラ、ベニン、中央アフリカ、コンゴ共和国、コートジボアール、コンゴ民主共和国、ガーナ、ギニアビサウ、マダガスカル、マラウイ、モザンビーク、スーダン、タンザニア、トーゴ、ザンビア等)今後批准が増えてくることが予想される。アフリカも米中が影響力を競う地域なので、地域ごと「非核化」するメリットは大きいだろう。南アフリカナイジェリアなどの地域大国も参加している。

 注目されるのは東南アジアの状況だ。ASEAN10ヶ国の中で、すでに批准したのがマレーシアタイラオスベトナムで、署名国がブルネイカンボジアインドネシアフィリピンミャンマーの5国である。つまり、シンガポール以外は条約に参加している。東南アジア諸国も「非核化」を求めているのである。菅義偉首相は所信表明演説もしないまま、「初の外遊」としてベトナムとインドネシアを訪問したが、この問題には何の方針も示さないままだった。日本と関係の深い東南アジア地域が「非核化」する意味は大変大きい。

 他にもバングラデシュモルディブが批准し、ネパールが署名国になっている。インドパキスタンが公然と核兵器を所有する中で、隣接する国が核禁条約に参加する意味は大きい。また中国、ロシアに隣接する中央アジアのカザフスタンも批准国。

 しかし、ヨーロッパが少ない。オーストリアバチカンアイルランドサンマリノマルタの5ヶ国。オーストリア、アイルランド、マルタはEUROPE加盟国だが、NATO(北大西洋条約機構)には不参加である。つまり、米国と同盟関係にある多くのヨーロッパ諸国は署名もしていない。国連での採択時には賛成したスウェーデンスイスも参加していない。NATOには入っていないので、今後参加するかもしれないが、なかなか難しい問題だ。

 資料的な意味も含めて、ちょっと細かく国名を書いてきた。先の地図を見ても判るように、世界を見てみれば核兵器禁止条約参加国が占める面積は小さい。核大国のアメリカ、ロシア、中国、インドなどの超大国はもちろん、カナダ、オーストラリア、ヨーロッパ諸国が空白地帯となっている。これをどう考えるべきか。「アメリカと同盟する」という政策を続けていっていいのか。そういうことかもしれない。中国、ロシア、アメリカの勢力中間地帯にあるということは、日本の変えられない条件である。そこで東南アジア諸国は「非核化」を選択した。日本が米国追従で発展できるのか、そのような長期展望を持って、核禁条約を考えていくべきだろう。
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