尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

開沼博「フクシマ論」を読む

2011年08月13日 00時05分58秒 | 〃 (さまざまな本)
 開沼博フクシマ論 原子力ムラはなぜ生まれたのか」(青土社、2200円)。(403頁の厚い本で、評も少し長くなるけど。)

 上野千鶴子、姜尚中、佐野眞一各氏の推薦文を帯に巻いて、今注目の「フクシマ論」。あまりにもタイムリーな本だったけど、これは1984年生まれの東大大学院生の修士論文である。「3.11」がなければ、このように素早く出版されることはなかったに違いない。幸か不幸か(いや世界にとっては不幸なんだけど)、原発事故により今まさに注目される書となってしまった。しかし、読みたい人は自由に読めばいいと思うけど、これは良くも悪くも修論である。上野千鶴子や姜尚中がほめてるから、これを読まなければ「フクシマ」を語れないなどと「インテリのレーゾンデートル(存在理由)」みたいな気持ちで読みたいだけなら、あえて読まなくてもいいのではないかと思う。基本的には、学問内部の本なので。

 副題に「原子力ムラ」とあるけど、これは原発事故以来有名になった、原子力推進の政官学の閉鎖的な世界を指す俗語(だけ)ではない。それもあるけど、いわき市出身の著者の関心は、原発を受け入れ原発に依存して生きている地域を「原子力ムラ」と呼んでいる。その「中央と地方」の関係史を戦時期頃から丹念に追いながら、「この二項対立があったからこそ日本の戦後成長が達成された」という結論が導かれる。自分の生まれた福島浜通りをケーススタディとして、地方の「服従」のメカニズム、変貌の歴史を追う。歴史学なら地域史、社会史、民衆史とか言うあたりだが、歴史社会学と著者は呼んでいる。学問の系譜では、社会学(吉見俊哉、上野千鶴子に師事している)から出てきたが、学際的な関心領域に広がっている。

 僕が特に興味深かったのは、戦後福島県知事の歴史である。戦後に知事が民選になってから60年以上たつが、今までに7人しかいない。初代石原幹一郎(後に初代自治大臣)が国会に転身したあと、二代目の大竹作摩は会津の「百姓の野人」。その後は官僚出身(後に厚生相、自民党幹事長になる斎藤邦吉)を破って当選した佐藤善一郎、6代目の佐藤栄佐久も官僚出身候補に対抗して自民党参院議員を辞して出馬し当選した。4代目の木村守江は一時期全国知事会長を務めたほどの実力者だったが、1976年に「福島のロッキード事件」と言われた疑獄事件で逮捕され辞職。5代目はそのあとということで、参議院議員だった会津の殿様松平勇雄が選ばれる。次が佐藤栄佐久。こうしてみると、(自分が知ってるのは木村以後だが)保守内部で「反中央」を掲げて当選するケースが多いということである。地方からすれば、官僚出身で予算を中央から取ってくる術を知っていることも大事なのだが、一方自民党が官僚出身を知事候補に立てると、それに対する反発が出てきて社会党と結んでさえ他の候補の支援に回る保守勢力もいるのである。全国的に見て、このような福島のような事例は決して珍しくない。

 一方、国政や知事選では社会党も一応の存在感があるプレイヤーなのだが、県議や市町村などでは中央で万年野党の存在価値が少ない。県議として反原発運動に関わりながら、のちに双葉町長を20年務めて原発賛成派に「転向」した岩本忠夫という興味深い人物が取り上げられている。県議選に3回落選、家業の酒造業に戻っていたが、前町長が汚職で逮捕されたあと、地元から懇願され町長になったという人である。「長女が東電社員と結婚」という事情もあったのか、社会党は離党していたという。以後はすでにある原発を前提に町民のためということで原発を認めていくわけだが、この事例は果たして「転向」なのか、と著者は分析している。一見、論理のレベルではまさに「転向」だが、町の幸せのために活動するという意思では何の違いもない。できてしまった原発はなくせないし、その後は原発を前提に行政の論理で町のためにつくすということに本人は矛盾を感じていなかったに違いない。「草の根保守」の研究はあるが、「草の根革新」の研究はほとんどないのではないか。戦後、戦争は二度と嫌だという平和への思いで労働組合運動に尽力しながら、地方政治家としては行き詰まり人柄を見込まれ町村長や各種の団体のリーダーに転身して活躍したというのが、一定のタイプとしてかなりいるのではないかと思う。

 選挙分析や「選挙の社会史」という視点に個人的関心があるので、その点を少し述べた。他にも興味深い論点がたくさんあるので、地方財政論やエネルギーの歴史など他の人にくわしく論じて欲しい。また、東電が地域還元として建てたサッカートレーニング施設「Jヴィレッジ」(今や原発事故作業員の宿泊所)や「なでしこ」所属の東電女子サッカー部「マリーゼ」などを「スポーツ社会学」として論じるのも大事だろう。本書の中には「原子力最中」というお菓子や「回転寿司アトム」という店の写真も入っている。直接の学問にはならないかもしれないが、「お土産物の社会史」というのもあるかもしれない。

 本人自ら読まずに飛ばしていいと書いているが、修論という特質上、この論文の理論的な位置取りの説明が冒頭に長い。本人が書くとおり「ポストコロニアルスタディーズ」という枠組みで議論が展開される。社会学と言う、ある種融通の利く学問であることの有効性がこのような研究にはうまく生きていると思う。しかし、「ヒロシマ、ナガサキで始まった戦後」というような認識が基本的な戦後認識としてあるのではないかと思うが、沖縄占領やソ連の対日参戦こそが大日本帝国にとっては重大だったので、僕は戦後の歴史学の蓄積も生かしていきたいと思う。(ただし、歴史学もタコツボになり、スピヴァクやサイードと言った大きな議論がしにくい所はあると思うので、社会学がうらやましい部分も多い。)また自分も経験があるが、修論は史料収集に追われて議論が整理しきれずに終わる部分がある。本書にも、どうもそういうところがあるような気もするので、今後のかなり自由にいろいろできるだろうポジションを得て今後何をしていくか注目していきたい。

 なお、60年代まで日本の最大のエネルギー源だった石炭、それを産出する「炭鉱」の社会史を次に是非とあえて。戦時中の朝鮮人、中国人強制連行、戦後最強の組合だった「炭労」、三井三池の大争議、炭鉱国管疑獄と田中角栄、麻生炭鉱と麻生太郎、三池CO事故や夕張の大事故、フラガールなどなどすごい出来事が続出するテーマ。炭鉱が閉鎖され多くがブラジルなどに渡った。21世紀になり多くの日系ブラジル人が日本へ出稼ぎにきて、また新しい問題が生じた。僕は自分ではできそうにないので、筑豊や北海道や常磐生まれの気鋭の研究者にお願い。2014ワールドカップや2016リオ五輪にかけ、ブラジル移民の歴史が注目を集めて欲しいと思っているのだが、そこに向けて。

 一方、開沼氏も佐藤栄佐久氏も、僕が思うに今回の原発事故以前の戦後福島最大の事件である松川事件、それに対する戦後最大の救援運動、裁判批判運動である松川運動に対する論及がないのは何故だろうか?今こそ、皆で統一し、現地調査を行い、粘り強く闘った松川の教訓を思い出すべき時だと思う。まあ、こっちは僕が自分で訴えていくことにしましょう。
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