昨日見た映画。イタリア映画「人生、ここにあり!」。精神障がい者の共同組合活動を描いたコメディ。銀座シネスイッチで公開中。
さて、この映画をどうしようか?今まで書いた映画は、映画として優れているけど、あまり知られてないと思う小国の映画、アート映画、記録映画などを多く取り上げてきた。「英国王のスピーチ」「ブラックスワン」などの新作だって見てるけど、なかなかいいとは思うのだが僕が書かなくてもヒットするだろうし、どうしても書きたいほど評価はしていないので書かなかった。(「ブラックスワン」は演出、演技はいいけどホラー的なつくりが怖いので困る。)で、この映画はイタリア映画が好きだし、テーマ的に関心があって見た。見て思うのだが、映画としては今一つ。コメディとしては少し滑っていると思うし、アートとしてものすごく深いことを描いているということでもない。イタリア映画なら何でも見るという人はともかく、映画ファンというだけなら敢えて勧めることはしない。
でも、この映画が扱っているテーマはとても興味深い。だから、精神障がい者福祉や精神医学に関心がある人、生協など共同組合運動、労働組合運動、さらに広く社会的活動に関わっている人が見るべき映画なのではないかと思う。いや、違うかな。コメディとして作っているというのは、広く様々な人に見て欲しいということなんだろうけど、日本では事情がよく判らないので難しい部分がある。
ここ数年、イタリアでは精神病院を廃止した、という話がいろいろなところで聞かれるようになってきた。1978年の有名なバザーリア法である。で、地域の福祉作業所などが後を引き受けるのかと思えば、この映画では障がい者自らが労働者協同組合を作り、市場の中へ乗り出していく。この「労働者協同組合」って、何だ? 日本では、労働組合や農協、漁協、生協、全労済とか皆名前と存在は知ってるけど、理念について考えることをしなくなっている。生協とは「消費生活協同組合」だが、「生産生活」の方はどうか。会社があってそれに対抗する労働組合(全然対抗してないのは、昨日の「田中さんはラジオ体操をしない」で明らかだが)がある。しかし、生産過程そのものに労働者の意向は取り上げられない。そういえば昔は「労働者自主管理」という概念があり、「労働組合の経営参加」という運動もあった。旧ユーゴスラヴィアの崩壊とともに誰も言わなくなり、世界はグローバリズムに飲み込まれた。
まず、映画の冒頭で主人公が労働組合の活動家から病院の協同組合へ「左遷」される。この「協同組合180」というのが、精神病院廃止後に「元患者」たちが所属していた病院ではないことになった「協同組合」ということらしい。で、彼らのあまりの無気力ぶりに主人公は驚き、皆に市場経済の中で「稼ぐ」ことを提案する。この提案をもとに皆がいろいろ試みるが、医者の反対もあるし、様々な失敗も…。でも、ひょんなことから「廃材利用の寄木貼り」というアイディアが成功し…。その成功を受け、さらに医師を変えて、薬の量を減らすという「実験」に乗り出していく。その結果、皆の無気力、無表情な状態は改善するが、一方、恋愛感情、性的欲求、暴力傾向なども解き放たれて、トラブルも起こって…。と言う風に話は進んで行く。
さて、映画を見ていて思ったのは、病気のあるなしを別にして愛や性の持つ意味の大きさで、まあ当たり前なんだけど、そこの描き方が難しい。日本の今の考え方ではありえないようなエピソードもいろいろとあり、イタリアは解放されているのか、それとも映画の中の設定なのか、よく判らなかった。娯楽映画という枠を枠を超えていかない表現のあり方に多少のいらだちも覚えた。
この映画のテーマ的な部分だけど、日本では同じような展開はかなり難しいのではないかと感じた。行政の補助なしでやっていけない今の精神福祉の実情が、協同組合になればうまくいくという展望はなかなか持てないと思う。それは労働現場のあり方の違いもあるかもしれない。精神的な病を起こす時の「ひきがね」(トリガー)という概念があるが、「職場」「恋愛」が一番多いだろうと思う。日本の会社の、リストラ、サービス残業、非正規社員ばかりの状況と、いくら利潤を第一とはしないとはいえ共同組合とが共通の条件で市場で張り合えるだろうか。それに製薬会社の力が強い日米のような国の制度では、薬漬けからの解放はイタリアと比べ物にならないほど大変なのではないか。
また、日本では「労働者協同組合」を保障する法律がまだない。「ワーカーズコレクティヴ・ネットワーク・ジャパン」というところが検索すると出てきて法的制度を求める運動はある。この、労働者自身が出資し、自分たちの会社を作るという発想は、福祉、食、子育て支援などの分野で発展していく可能性を秘めている。
日本では、株式会社の設立の簡易化が行われてきたので、むしろ「自分たちで株式会社をつくる」方が行われてきたというべきかもしれない。有名な岐阜県の未来工業は、岐阜で劇団「未来座」を主宰していた山田昭男氏が劇団の仲間と1965年に立ち上げた電設機械会社である。「楽して儲ける」という著書もあるようだが、休日は多い方が生産性があがるというし、映画を作ったりもする会社。談合に加わらず、当初の予算より安く上がって自分たちも利益は得たとして余った金を行政につき返したというすごい会社である。名証2部に上場もしていて、ちゃんと配当も出している。(今日現在915円で、3月期配当は28円。)そういう驚くべき会社も現存するわけだが、「経営」と「労働」は当然分離されている。労働者がいつも会議を開いて自己決定をするのも大変だろうと思うが、何がいいのかわからない。
実は僕は、前々から友人が代表を務める精神福祉の作業所(今はNPO法人として運営)に協力しているものなのだが、日本の現実はなかなか難しいと思うけど、こういう話に少しでも関心がある人は見ておいた方がいい映画だという気がする。共通の話題のためにも。
さて、この映画をどうしようか?今まで書いた映画は、映画として優れているけど、あまり知られてないと思う小国の映画、アート映画、記録映画などを多く取り上げてきた。「英国王のスピーチ」「ブラックスワン」などの新作だって見てるけど、なかなかいいとは思うのだが僕が書かなくてもヒットするだろうし、どうしても書きたいほど評価はしていないので書かなかった。(「ブラックスワン」は演出、演技はいいけどホラー的なつくりが怖いので困る。)で、この映画はイタリア映画が好きだし、テーマ的に関心があって見た。見て思うのだが、映画としては今一つ。コメディとしては少し滑っていると思うし、アートとしてものすごく深いことを描いているということでもない。イタリア映画なら何でも見るという人はともかく、映画ファンというだけなら敢えて勧めることはしない。
でも、この映画が扱っているテーマはとても興味深い。だから、精神障がい者福祉や精神医学に関心がある人、生協など共同組合運動、労働組合運動、さらに広く社会的活動に関わっている人が見るべき映画なのではないかと思う。いや、違うかな。コメディとして作っているというのは、広く様々な人に見て欲しいということなんだろうけど、日本では事情がよく判らないので難しい部分がある。
ここ数年、イタリアでは精神病院を廃止した、という話がいろいろなところで聞かれるようになってきた。1978年の有名なバザーリア法である。で、地域の福祉作業所などが後を引き受けるのかと思えば、この映画では障がい者自らが労働者協同組合を作り、市場の中へ乗り出していく。この「労働者協同組合」って、何だ? 日本では、労働組合や農協、漁協、生協、全労済とか皆名前と存在は知ってるけど、理念について考えることをしなくなっている。生協とは「消費生活協同組合」だが、「生産生活」の方はどうか。会社があってそれに対抗する労働組合(全然対抗してないのは、昨日の「田中さんはラジオ体操をしない」で明らかだが)がある。しかし、生産過程そのものに労働者の意向は取り上げられない。そういえば昔は「労働者自主管理」という概念があり、「労働組合の経営参加」という運動もあった。旧ユーゴスラヴィアの崩壊とともに誰も言わなくなり、世界はグローバリズムに飲み込まれた。
まず、映画の冒頭で主人公が労働組合の活動家から病院の協同組合へ「左遷」される。この「協同組合180」というのが、精神病院廃止後に「元患者」たちが所属していた病院ではないことになった「協同組合」ということらしい。で、彼らのあまりの無気力ぶりに主人公は驚き、皆に市場経済の中で「稼ぐ」ことを提案する。この提案をもとに皆がいろいろ試みるが、医者の反対もあるし、様々な失敗も…。でも、ひょんなことから「廃材利用の寄木貼り」というアイディアが成功し…。その成功を受け、さらに医師を変えて、薬の量を減らすという「実験」に乗り出していく。その結果、皆の無気力、無表情な状態は改善するが、一方、恋愛感情、性的欲求、暴力傾向なども解き放たれて、トラブルも起こって…。と言う風に話は進んで行く。
さて、映画を見ていて思ったのは、病気のあるなしを別にして愛や性の持つ意味の大きさで、まあ当たり前なんだけど、そこの描き方が難しい。日本の今の考え方ではありえないようなエピソードもいろいろとあり、イタリアは解放されているのか、それとも映画の中の設定なのか、よく判らなかった。娯楽映画という枠を枠を超えていかない表現のあり方に多少のいらだちも覚えた。
この映画のテーマ的な部分だけど、日本では同じような展開はかなり難しいのではないかと感じた。行政の補助なしでやっていけない今の精神福祉の実情が、協同組合になればうまくいくという展望はなかなか持てないと思う。それは労働現場のあり方の違いもあるかもしれない。精神的な病を起こす時の「ひきがね」(トリガー)という概念があるが、「職場」「恋愛」が一番多いだろうと思う。日本の会社の、リストラ、サービス残業、非正規社員ばかりの状況と、いくら利潤を第一とはしないとはいえ共同組合とが共通の条件で市場で張り合えるだろうか。それに製薬会社の力が強い日米のような国の制度では、薬漬けからの解放はイタリアと比べ物にならないほど大変なのではないか。
また、日本では「労働者協同組合」を保障する法律がまだない。「ワーカーズコレクティヴ・ネットワーク・ジャパン」というところが検索すると出てきて法的制度を求める運動はある。この、労働者自身が出資し、自分たちの会社を作るという発想は、福祉、食、子育て支援などの分野で発展していく可能性を秘めている。
日本では、株式会社の設立の簡易化が行われてきたので、むしろ「自分たちで株式会社をつくる」方が行われてきたというべきかもしれない。有名な岐阜県の未来工業は、岐阜で劇団「未来座」を主宰していた山田昭男氏が劇団の仲間と1965年に立ち上げた電設機械会社である。「楽して儲ける」という著書もあるようだが、休日は多い方が生産性があがるというし、映画を作ったりもする会社。談合に加わらず、当初の予算より安く上がって自分たちも利益は得たとして余った金を行政につき返したというすごい会社である。名証2部に上場もしていて、ちゃんと配当も出している。(今日現在915円で、3月期配当は28円。)そういう驚くべき会社も現存するわけだが、「経営」と「労働」は当然分離されている。労働者がいつも会議を開いて自己決定をするのも大変だろうと思うが、何がいいのかわからない。
実は僕は、前々から友人が代表を務める精神福祉の作業所(今はNPO法人として運営)に協力しているものなのだが、日本の現実はなかなか難しいと思うけど、こういう話に少しでも関心がある人は見ておいた方がいい映画だという気がする。共通の話題のためにも。