尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ブログ開設半年の総まとめ①

2011年10月01日 23時17分38秒 | 自分の話&日記
 ブログ開設半年以上たって、最近は毎日順位が出てます。順位というのはgooのブログが160万ほどある中で、1万位以内ということ。と言っても2000番くらいが最高なので大したことはありませんが。その最大の理由は「困ってる人」がベストセラーになって、検索するとこのブログの「大野更紗『困ってる人』」もヒットすることにあります。
 ということで知人や生徒が見てくれることが中心だったこのブログも、少しはいろいろな人に読まれるようになってきたので、自分なりにまとめを書いておきたいと思います。様々なことを書いているので、その案内にもなるようにと思っています。(なお最近はちょくちょく書き直しているので数日たって読み直すと多少違っている場合があります。)

①まず、僕の存在自体が教員免許更新制に反対してネット上で声をあげている特ダネ状態で、教員免許更新制度への反対論がたくさん書いてあります。そのことは週刊金曜日8.26号に載っています。「週刊金曜日(8月26日号)に紹介されました」があります。が、そもそものブログ最初の記事も「週刊金曜日(2・25日号)に投稿しました」でした。この問題では「免許更新制度は「職の尊厳」を損ないます」「教員免許更新制のおかしさ」「校長は教員免許がなくてもできるのに」などを当初にたくさん書いています。割と最近では「教員免許制度は本当に必要か」でまとめて書いています。

②その結果、熊本県で「失職者」が出ていることがわかり、そのことについて書いています。これこそ、他のマスコミ等では全く触れられていない完全な特ダネ状態。当初、文科省発表に基づき「免許失効は27人」を書きましたが、これは全くの誤報や誤解が一杯です。熊本の方からコメントがあり「熊本の事情が知りたい」を書き、わかったことは「熊本県教委の責任」に書きました。その後のことは「熊本県の事情その後」で報告しています。さらにその後のことで判っていることもありますが、書く段階にないのでそのうち書けることは報告したいと思います。

③授業関係の記事では、特に「最後の授業」の報告はかなり読んでくれたようです。その時のコメントも僕の宝物。その日、僕の教員免許は生徒たちが「更新」してくれました。「最後の授業①」「最後の授業②」「生徒が更新してくれた教員免許」「セクシャル・マイノリティの授業」など。

④4月になって、気仙沼唐桑でのFIWCキャンプに参加し大津波の惨害を目の当たりにしました。キャンプ期間も携帯電話から記事を送っていましたが、帰って来てからのまとめを3回にわたって書きました。陸前高田の「奇跡の一本松」、今では非常に有名になっていますが、震災1か月の段階で見たことはとても大きなことでした。「気仙沼・唐桑キャンプから帰って①」「気仙沼・唐桑キャンプから帰って②」「気仙沼・唐桑キャンプから帰って③」など。

⑤5月は、沖縄で行われたハンセン病市民学会に参加しました。日本最南端のハンセン病療養所がある宮古島にも行きました。宮古島ではホテルのパソコンから投稿しています。「宮古島から」「戦時下の宮古南静園」「ハンセン病市民学会に参加して」「沖縄の写真」など。

⑥戻ったら、中学教科書の検定結果公表が始まり、教科書の比較検討などを行いました。関わっている「白鴎有志の会」の会報を作成しました。この問題は、最近書いたまとめの中に今までの記事を紹介しています。「中学教科書問題のまとめ

⑦その後は、6月末の東電株主総会に向け原発事故問題を書きました。いま振り返ると、直後にはほとんど触れていません。自分の問題を抱えていた上に、科学的な理解が不足していて自分として自信をもって言えることがない状態だったからです。震災ボランティアに行く前の日に、一応の自分の考えを書いてから行こうと思い「浜岡原発の即時停止を-原発について今の段階で思うこと」を書きました。この段階で明確に浜岡原発に限定して停止を求める発言はほとんどなかったと思います。少しして現実に停まることになり嬉しく思っています。その後は原発自体の問題より、本の紹介が多くなっています。「福島原発人災記」「知事抹殺」「安斎育郎さんの「福島原発事故」」「原発事故・必読本」などと続いています。自分の専門外なので本を紹介することも大事かなと思ってます。

 一方、「都民はみんな東電株主」で東電大株主の東京都に株主提案に賛成するように求めることを提起したけど、ちょっと思いつくのが遅かった。個人株主として東電総会に参加した記録は「東電株主総会記」「東電総会、訂正と補遺」に報告してあります。会社側の運営もひどいと思うけど、「一株一票」を知らないで参加した個人株主もいたようで、それにもびっくりしました。(資本主義制度の基本中の基本でしょ。)

 その後もエネルギー問題や尾瀬の問題に話を広げながら原発問題を書き続けました。「福島原発は地震で損傷したのか」は重大な問題。さらに考えつめて行って、原発と核兵器、安保問題は切り離せないことに気づきました。「原発はプルトニウムの工場」でそのことを書きました。いまや読売新聞も社説で書き、石破前自民党政調会長も公言しているように、原発でプルトニウムを「核廃棄物」として作ること自体が、「抑止力」として日本国家に必要という考え方が原発を国策として推進してきた真の理由と考えられます。今はそういうことが新聞にも出ているけれど、この段階では誰も言ってなかった(少なくとも僕は知らなかった)ので、自分で考えていてそういう結論に達してしまったわけです。これは大変なことを書いたつもりだったのだけど、ここで考えが煮詰まってしまい、以後はあまり論じていません。
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