今まで「コメントにコメント」はしてないのですが、最近のコメント二つは反論をするのが礼儀だと思うので、少し書いてみたいと思います。(教科書問題の方はもう少し後で。)
教員免許更新制度の必要性を書いているコメント(モナー号船長さん)によれば、「教師は法令順守のうえ生徒に対して適切な指導をするものだっと思います、一部の教師ではそれができない以上、教員免許更新制度あって当たり前だっと思います」ということです。一応、これをベースに考えます。
私が思うに、これは理由になっていません。教員免許更新制度を実施すればすべての教員が法令順守、適切な指導ができる、免許更新制でなければそれはできない、という論証がないからです。実際、この制度実施により、単なる事務的な理由で失職する教員が出るということが起こりました。私はその事態を、愚策による人権侵害と考えますが、賛成の人はその事態を「教育がよくなる政策」だと考えるのでしょうか。以下に、制度そのものと、制度実施上の問題にわけて、いくつかの具体的な論点を提出したいと思います。(ほとんどは前に書いてあることですが。)
A.そもそも「制度設計の問題」として
①「一部の教師は適切な指導ができない」のなら、その一部の教師に研修を課せばよいだけなのではないかと思うが、特に全教員免許取得者(正規に採用された全教員ではない)に講習を課す意味はどこにあるのか?コストパフォーマンス的に無意味なのではないかと思うが、どうか?
②「一部の医師」「一部の看護師」「一部の介護士」「一部の弁護士」等々、皆不祥事を起こしていると考えるが、当然それらすべての公的資格も、10年ごとに講習を受け合格して手続きをしないと失効するという制度にせよという主張と解してよいか?もし、他の資格はやらなくていいけど、教員免許だけは更新制度にせよということなら、それはなぜか?
③すでに法令にある「10年研修」ではなぜだめなのか?職場で研究授業などを行う「10年研修」の方が、大学で座学をしていればよいことも多い「更新講習」より実質上の意味はあるのではないかと思うが、なぜ更新講習の方が効果があると考えるのか?
④正式に採用されている正教員だけでなく、非常勤講師、産育休代替教員、大学卒業後民間企業に勤務し30を過ぎてから教員を目指しているような人など、大変な中を教員を目指している人たちまで、更新講習を受けなくてはならない制度は、常識的に考えてあまりに酷な、おかしな制度とは考えないか?
B.制度実施上の問題について
⑤離島や山間部の教員、小さな子供や介護の必要な家族を抱えた教員、部活動などで夏休みや土日も学校で働いている教員など大変な中頑張っている教員が、「適切な指導ができない教員」でないのなら、わざわざ都市部にしかない大学で講習を受けないと失職する制度が必要なのか?かえって、やる気をそぐ制度とは考えないか?(インターネットで講習を受けることが可能な大学もあることはあるが。)
⑥校長、教頭(副校長)、主幹教諭の中にも一部だが行政処分を受ける人がいる。従って、上記の必要性の主張からすれば、「管理職や主幹教諭の講習免除規定はなくすべき」であるという主張と解してよいか?
⑦教師と言っても、校種、担当教科等により様々な種類がある。幼小中高特別支援、教科はあまりに多いので省略するが、養護教諭も含め、様々な教員はそれぞれ抱える問題意識や経験が違う。それぞれごとに別々に地域の教育委員会が実情に応じて研修を行う方が効果があると思うがどうか。今は、どの大学のどこの講座をとっても可ということになっているが、それは改めるべきという主張と解してよいか?(ただし、その場合、大学で講習を行うという大前提が難しくなると思うが。)
大体以上のような論点になりますが、別に答えて欲しいわけではないけど、作った人に教えて欲しい。考えなしに「教員イジメ」で思いつきで作ったものだと思っていますが。この制度実施のために、文科省では多くの税金をつかってきました。問題教員がいるというなら、そのお金で十分な研修をすればいいと思うけど。(なお、単に大学に行けばいいだけだから、「指導力不足教員」対策には全くなりません。)
ところで、今は「一部の教員が法令順守、適切な指導ができない」という前提で考えてきましたが、この前提自体は正しいか?人間社会において、あらゆる場面において完全な組織はありえず、一部の構成員は問題を抱えているのではないかと思います。学校は特にその程度が大きいですか?私はそんなことはないと思うのですが。むしろ教員が熱心すぎたり、頑張りすぎたりすることが問題の方が大きいと思うのです。民間企業なら「窓際族」で閑職に置いておくことができても、教師は少しは授業を持つから生徒に影響を与えるので、特に大変な問題と考えられるのは当然です。しかし、それはむしろ「学校を親や地域に開く」という「学校に自由の風を通す」政策により、学校を変えていく方法を考えて解決する方がいいのではないかと思っています。
どんな職場だって一部の人は問題でしょ。その「一部」のために、研修が強化されたり監査がひんぱんになるのはガマンするとしても、せっかく勉強して得た資格そのものをなくして、失職させようという制度は普通に生活してマジメに仕事している人なら、おかしいと思うんじゃないでしょうか?
教員免許更新制度の必要性を書いているコメント(モナー号船長さん)によれば、「教師は法令順守のうえ生徒に対して適切な指導をするものだっと思います、一部の教師ではそれができない以上、教員免許更新制度あって当たり前だっと思います」ということです。一応、これをベースに考えます。
私が思うに、これは理由になっていません。教員免許更新制度を実施すればすべての教員が法令順守、適切な指導ができる、免許更新制でなければそれはできない、という論証がないからです。実際、この制度実施により、単なる事務的な理由で失職する教員が出るということが起こりました。私はその事態を、愚策による人権侵害と考えますが、賛成の人はその事態を「教育がよくなる政策」だと考えるのでしょうか。以下に、制度そのものと、制度実施上の問題にわけて、いくつかの具体的な論点を提出したいと思います。(ほとんどは前に書いてあることですが。)
A.そもそも「制度設計の問題」として
①「一部の教師は適切な指導ができない」のなら、その一部の教師に研修を課せばよいだけなのではないかと思うが、特に全教員免許取得者(正規に採用された全教員ではない)に講習を課す意味はどこにあるのか?コストパフォーマンス的に無意味なのではないかと思うが、どうか?
②「一部の医師」「一部の看護師」「一部の介護士」「一部の弁護士」等々、皆不祥事を起こしていると考えるが、当然それらすべての公的資格も、10年ごとに講習を受け合格して手続きをしないと失効するという制度にせよという主張と解してよいか?もし、他の資格はやらなくていいけど、教員免許だけは更新制度にせよということなら、それはなぜか?
③すでに法令にある「10年研修」ではなぜだめなのか?職場で研究授業などを行う「10年研修」の方が、大学で座学をしていればよいことも多い「更新講習」より実質上の意味はあるのではないかと思うが、なぜ更新講習の方が効果があると考えるのか?
④正式に採用されている正教員だけでなく、非常勤講師、産育休代替教員、大学卒業後民間企業に勤務し30を過ぎてから教員を目指しているような人など、大変な中を教員を目指している人たちまで、更新講習を受けなくてはならない制度は、常識的に考えてあまりに酷な、おかしな制度とは考えないか?
B.制度実施上の問題について
⑤離島や山間部の教員、小さな子供や介護の必要な家族を抱えた教員、部活動などで夏休みや土日も学校で働いている教員など大変な中頑張っている教員が、「適切な指導ができない教員」でないのなら、わざわざ都市部にしかない大学で講習を受けないと失職する制度が必要なのか?かえって、やる気をそぐ制度とは考えないか?(インターネットで講習を受けることが可能な大学もあることはあるが。)
⑥校長、教頭(副校長)、主幹教諭の中にも一部だが行政処分を受ける人がいる。従って、上記の必要性の主張からすれば、「管理職や主幹教諭の講習免除規定はなくすべき」であるという主張と解してよいか?
⑦教師と言っても、校種、担当教科等により様々な種類がある。幼小中高特別支援、教科はあまりに多いので省略するが、養護教諭も含め、様々な教員はそれぞれ抱える問題意識や経験が違う。それぞれごとに別々に地域の教育委員会が実情に応じて研修を行う方が効果があると思うがどうか。今は、どの大学のどこの講座をとっても可ということになっているが、それは改めるべきという主張と解してよいか?(ただし、その場合、大学で講習を行うという大前提が難しくなると思うが。)
大体以上のような論点になりますが、別に答えて欲しいわけではないけど、作った人に教えて欲しい。考えなしに「教員イジメ」で思いつきで作ったものだと思っていますが。この制度実施のために、文科省では多くの税金をつかってきました。問題教員がいるというなら、そのお金で十分な研修をすればいいと思うけど。(なお、単に大学に行けばいいだけだから、「指導力不足教員」対策には全くなりません。)
ところで、今は「一部の教員が法令順守、適切な指導ができない」という前提で考えてきましたが、この前提自体は正しいか?人間社会において、あらゆる場面において完全な組織はありえず、一部の構成員は問題を抱えているのではないかと思います。学校は特にその程度が大きいですか?私はそんなことはないと思うのですが。むしろ教員が熱心すぎたり、頑張りすぎたりすることが問題の方が大きいと思うのです。民間企業なら「窓際族」で閑職に置いておくことができても、教師は少しは授業を持つから生徒に影響を与えるので、特に大変な問題と考えられるのは当然です。しかし、それはむしろ「学校を親や地域に開く」という「学校に自由の風を通す」政策により、学校を変えていく方法を考えて解決する方がいいのではないかと思っています。
どんな職場だって一部の人は問題でしょ。その「一部」のために、研修が強化されたり監査がひんぱんになるのはガマンするとしても、せっかく勉強して得た資格そのものをなくして、失職させようという制度は普通に生活してマジメに仕事している人なら、おかしいと思うんじゃないでしょうか?








理由として「競争原理が働かない資格だから」
教員免許(=広義で教員という職は)は一般競争にさらされない資格(除く私立)。
例え司法試験をパスしても、腕が良くないと仕事は来ません(サービス購入者に選ぶ権利有り)。そのため皆さん自己研鑽し、オカしな人は自然淘汰(=オマンマの食い上げ)。
理由は分かりませんが(日教組が強いせいか?)、
教員を親(=サービスの購入者)が選べない→変な人に当たっても文句が言えない(しかも犠牲者は子供)→不安→せめてもの更新制で定期的なチェックで篩にかけたいということです。
ちまみに、筆者が当ブログ内で述べている反対理由で、「ん?」と思ったことを挙げてみると、
「真面目に仕事をしていれば、常にちゃんと勉強しています」
→「性善説」で懐疑的な意見ですし(第一、100%全員とは言えないでしょう)イコール更新試験が不必要とはなりませんね。これを認め始めると、逆に全資格に更新試験が不必要となります。
我々消費者からすれば、普通は(口コミという情報を元に)「ヤブ医院には行かない」ことが出来ますが、それが出来ない(選べない)のですから。
「適切でない一部の教師のみに負荷すべき…」
→どの資格・社会でも当てはまる話。誰が問題なのか?誰もわからないでしょ。他の資格更新でもそうですが、更新試験対象者に一線を引く(=例外を認める)と、後々、大きな問題になります(その線引きを適切になど、誰にも出来ない)
「離島の人が大変…」「教科・校種で様々な教師がおりそれぞれに問題意識や経験が…」
これは更新制度の「是非」ではなく、「実施要領」についての不満の話。ここは議論してください。但し「小さな子供を抱えた教員」「介護家族を抱えた教員」「土日無しで頑張っている教員」「脱サラ後で教員を目指す大変な人」などへの負担が大きいから免許更新試験は不要、、、という論法には無理があるのでは。
こんなこと、一般企業や社会で言い出したらキリがありません(これで資格の内容が陳腐化→信頼を失うほうが怖いのでは?)
最後に、失職したくなければ(社会が望む程度に)勉強すれば良いのです。
「更新勉強に没頭して本業を疎かにする恐れ」という意見もありますが、これは更新試験のレベル調整のお話。全員が落第では逆に皆が困るのでこの調整はされるでしょう。
要は、教員が自浄能力を出せない以上(いわゆる犯罪行為や問題が減らない以上、、、こういう時に日教組は何もしない)、所謂「犯罪の恐れがある、又は無能力な」教員を篩にかけるチャンスを父兄に与えるべきだということです(一切の制限無く教員を自由に選べない以上は)