今日はJLGについて書こうと思っていたんだけど、事情が変わったので違うことを書きます。(JLGってのはフランスの映画監督ジャン・リュック・ゴダールのことです。)それと言うのも、菅首相の辞意表明、じゃなくって、僕を取材した記事が「週刊金曜日」の8・26号(860号)に載りました。
平舘英明「教員免許更新を拒否 都立高校教師の怒りの退職」。
金曜日と言うんだから、今日発売ですよ。週刊誌だから書店には長くおいていません。直接購読が多い雑誌ですが、大手書店にはあります。580円。表紙には大きく「放射能とコメ」。
まあ、買ってください。他の記事も読んでほしいから。(ちなみに、僕は創刊ゼロ号からの定期購読者です。)
取材は5~7月に数回に渡り受けたもので、(6.8付記事で報告した、六本木高校の授業「人権」のセクシャル・マイノリティの授業には平舘さんも同席していました。)原発事故関連の記事等が多く、もうしばらく出ないのかと思っていたら、今日来た雑誌を開いてびっくり。
ちょっと時間が経ってしまい、「怒りの退職」というより、都教委と縁が切れるとこんなに気が楽なのかというような日々を送っています。ただ、更新講習なんて受けるかとは思ったけれど、こんなふざけた制度が本当に実施されてしまうとは、実は最後まで信じていなかったところもあります。
都教委の下では限界が近づいていたので、後悔はないけど、自分の経験や思うことをどう形にしていくか、よく考えてみたいと思っているところ。今振り返ると、最初の中学の経験が非常に大きいです。荒れて再建しての経験のあと、全日制商業高校、夜間定時制高校、三部制単位制定時制高校と経て来て、こういう履歴はあまりないと思うので、何かの形で伝えていきたいと思っています。
「誤った国策には従えない」という思いは、日本近現代史を学んで教員になったときからの、別に他人に公言はしないけど、思いの底にずっとあったことでした。昔から竹内好さんや鶴見俊輔さんを読んで影響を受けてきたので、60年安保の時のように、辞めるべき時には辞めるしかないという気持ちも昔からあったですね。
最後の所属を公開して、「人権」の授業のことなどを書いているのは、不登校・高校中退者向けの学校の存在を少しでも広める意味もあってのこと。僕の教師としての28年間の最後が、不登校生徒と一緒に卒業に向けて頑張るという仕事だったことを、実はすごく誇りに思っています。今後もこのきつい世の中、グローバリズムと差別社会の中を生きていかねばならない、不登校や中退生徒の味方でありたいなと思っています。教師として一緒に勉強するというのとは少し違う形でね。
平舘英明「教員免許更新を拒否 都立高校教師の怒りの退職」。
金曜日と言うんだから、今日発売ですよ。週刊誌だから書店には長くおいていません。直接購読が多い雑誌ですが、大手書店にはあります。580円。表紙には大きく「放射能とコメ」。
まあ、買ってください。他の記事も読んでほしいから。(ちなみに、僕は創刊ゼロ号からの定期購読者です。)
取材は5~7月に数回に渡り受けたもので、(6.8付記事で報告した、六本木高校の授業「人権」のセクシャル・マイノリティの授業には平舘さんも同席していました。)原発事故関連の記事等が多く、もうしばらく出ないのかと思っていたら、今日来た雑誌を開いてびっくり。
ちょっと時間が経ってしまい、「怒りの退職」というより、都教委と縁が切れるとこんなに気が楽なのかというような日々を送っています。ただ、更新講習なんて受けるかとは思ったけれど、こんなふざけた制度が本当に実施されてしまうとは、実は最後まで信じていなかったところもあります。
都教委の下では限界が近づいていたので、後悔はないけど、自分の経験や思うことをどう形にしていくか、よく考えてみたいと思っているところ。今振り返ると、最初の中学の経験が非常に大きいです。荒れて再建しての経験のあと、全日制商業高校、夜間定時制高校、三部制単位制定時制高校と経て来て、こういう履歴はあまりないと思うので、何かの形で伝えていきたいと思っています。
「誤った国策には従えない」という思いは、日本近現代史を学んで教員になったときからの、別に他人に公言はしないけど、思いの底にずっとあったことでした。昔から竹内好さんや鶴見俊輔さんを読んで影響を受けてきたので、60年安保の時のように、辞めるべき時には辞めるしかないという気持ちも昔からあったですね。
最後の所属を公開して、「人権」の授業のことなどを書いているのは、不登校・高校中退者向けの学校の存在を少しでも広める意味もあってのこと。僕の教師としての28年間の最後が、不登校生徒と一緒に卒業に向けて頑張るという仕事だったことを、実はすごく誇りに思っています。今後もこのきつい世の中、グローバリズムと差別社会の中を生きていかねばならない、不登校や中退生徒の味方でありたいなと思っています。教師として一緒に勉強するというのとは少し違う形でね。