尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

推薦制度と冤罪の悲しみ-広島県の中学生自殺問題②

2016年03月13日 21時11分11秒 |  〃 (教師論)
 昨日2回目を書こうとして、いろいろ検索していたら、いまどき珍しくパソコンが何度もフリーズしてしまった。あるサイトを見ようとすると、パソコンが動かなくなってしまうのである。こういうことが今でもあるのか。処理に時間がかかってしまい、書く気が失せてしまった。それはともかく、調べたかったのは、私立高校への推薦制度のあり方である。高校受験に関しては地域差が大きく、都道府県ごとにかなり違いがある。東京の感覚では、高校入試が終わり(定時制の2次や通信制は別だが)、その後に卒業式がある。それが当然だと思って育ったのだが、他県では順番が逆のところもあるようである。

 今回の問題では、広島県の「専願推薦」という言葉を知ったが、これは首都圏では使わない。ニュースを聞く限り、東京で「併願推薦」とか「併願確約」と呼ぶものとほぼ同様のものかと思う。公立高が第一希望の生徒が、私立を一校に絞って受験し、学校側は事前に(事実上の)合格を保障し、生徒側は公立高に落ちた時に入学する。この「滑り止め」保障があれば、生徒側は公立高のランクを上げられる。高校側も一定ランクの入学生を確保でき、うまくいけば双方に利益がある。だけど、経済的に私立へ行けない生徒は利用できないし、高校側も「不本意入学者」が多くなってしまう。また、事実上、一般入試が機能しなくなる。広島ではこの制度を利用しない場合、ほぼ不合格になるという。

 この制度は「推薦」には違いないけれど、生徒からすれば落ちた時の保障だから「学校推薦」という意識は薄いだろう。勘違いしないように書いておきたいが、私立高の推薦というのは、公立高の推薦や大学の推薦入試とは大きく違うのである。私立大学に「指定校推薦」という制度があるが、その場合は「一般入試なしで進学できる」という意味になる。一定ランクの高校に(おおよそ)一人の生徒の推薦を依頼し、高校側が一人に絞り込む。大学入試をパスできるのだから、生徒側の利益は非常に大きい。大学側の求める基準を上回る生徒が複数希望する時は、高校側の選考もシビアになる。そういう時には「生活指導歴の有無」が決め手になっても、まあ不思議ではないだろう。

 一方、私立高校の場合、事前に合格保証があるわけだが、私立高の一般入試を受験するのである。それは公立高を併願する生徒だけではなく、その私立を第一希望する生徒(「単願推薦」)も同様である。成績基準は事前にパスしているわけだから、当日の試験が悪くても合格になる。そのはずだが、さすがに零点ではダメかもしれないし、面接もある。だから、学校は私立の保障がある生徒にも、最後までちゃんと勉強や生活面をしっかりやらないとダメだぞと言えるのである。

 「単願」の生徒の場合、必ずその学校に行くんだから、進学後に問題を起こされると困る。中学と高校の信頼関係に関わる場合もありうる。次年度以後に、その私立を希望する生徒に影響が出かねない。だから、中学側も「生活面の基準」を設けて選考するのではないかと思う。だが、「併願」の場合、公立に受かれば行かないわけだから、高校の求める成績基準をクリアしていれば、他の条件はあまり考えないのが普通ではないか。どうなんだろう。地域的な問題も大きいかもしれない。東京では、近隣県も含めれば、いくつもの私立を受験できる。地方では公立以外に行ける私立高は限られるという事情もあるだろう。しかし、以上のように、「併願」(広島では「専願」)というケースは、「学校推薦」などと大仰に言うほどのものではないと思う。学年が中心に進めて、「校長印」が必要な「学校推薦」という形式を取らないことが、東京では多いのではないか。

 そういう風に考えてくると、逆にこの生徒がなぜ死ななければいけなかったのかも疑問が起こる。第一希望ではない学校のことなど、どうでもいいではないか。そこで、僕にはまだよく判らないのだが、この学校の「保護者対応」の不適切さ、そして「冤罪におちいった少年の悲しみ」が大きいように思うのである。このケースの場合、三者面談で「万引き歴で推薦不可」と告げられる日に死を選んだ。しかし、そもそも「万引き」が一年時にあれば、親は必ず知っているはずである。場合によって、学校に呼ばれない場合もあるかもしれないが、電話もないということは考えられない。親に連絡しない「生活指導」は、進路に影響するような指導歴にはならない。だから、万引きがあれば親はすでに知っている。逆に、そういった事件がなければ、親がその場で知らないと言うはずである。

 また、「内規変更」も11月では遅いだろう。変える必要ないと一回目に書いたが、それでももし変えるというなら、もっと早く変えて保護者会で周知いないといけない。保護者会をいつ行うかは学校ごとに違うだろうが、中学3年の秋には、「進路説明会」が必ず行われるだろう。その時には、なかなか保護者会に来ない親も(働いている母親が休暇を取って)参加するはずである。入学式の後で初めて学校に来る親もいるかもしれない。高校受験が初めての親も多いのだから、そういう場を設定して制度全般を一から説明する。そういう場があるはずだし、なければおかしい。その場で「一年時からの問題行動を推薦基準にする」と言えば、質問もあるかもしれないが、そこで親には自分の子どもが推薦が可能かどうか判る。こういった(恐らく多くの中学で行われているはずの)手順が踏まれていたのかどうか。

 すでに作られている「報告書」を読んでいるわけではないので、詳しいことは判らないのだが、多分そういった手順が踏まれずに、生徒からすれば「突然、万引きをしている」と決めつけられたということなのではないか。違うなら違うと言えばいいし、そもそも第一希望でもないわけだが、そういう問題ではなく、「自分が何を問われているか」をすぐには理解できなかったのではないだろうか。それを後になって冷静に考えていれば、なんでちゃんと反論しなかったのか、そんなことはないと言えばいいだけではないかとなるが、当の本人からすれば、パニックになってしまい、どうすればいいかが判らない。そういうことがあるのは、警察に誤認逮捕された「本当の冤罪事件」の記録を見れば判る。多くの人は、何を言っても聞いてくれないことに絶望し、調書にサインしてしまい、その後で自殺を図る。(今、裁判中の「今市女児殺害事件」も、報道で読む限り概ねそんな感じである。)そのように、このケースを通して僕は「冤罪の悲しみ」を深く感じたのだが、もっと違う問題も潜んでいるのかもしれない。今回はここで終わり、次回は今回の「一年時の生活指導」を取り上げる。
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