尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「教師の事務的ミス」という大問題-私の教師論③

2015年06月02日 23時17分17秒 |  〃 (教師論)
 「教師の失敗」とはどんなものだろうか。懲戒免職になるような教員は、いつの時代にも一定数いるだろうが、ほとんどの場合は「教育上の失敗」ではない。でも、学校では校長による研修が行われ、「個人情報の流出」「体罰」「わいせつ」「飲酒運転」などは、絶対に起こしてはならないなどと、何度も何度も何度も…言われる。一年間に10回以上になるんじゃないか。もちろん、「いやあ、初めて知った。大問題だ。これから絶対に気を付けよう」などと思う人はいない。はい、はい、はい…、同じことを何度も言わなくちゃいけない職業は大変ですねえ、まあ時間のムダだけど、内職しながら聞いてるふりはしてあげましょうと言うことになる。大体、「生徒の個人情報を管理職の承認なしに校外に持ち出してはいけないことを知っていましたか」とか聞いてるアンケートになんと答えたらいいんだろうね。

 しかし、まあ「知らなかった」に○をして提出してどうなるというもんでもない。入れ墨アンケートじゃないんだから、「こんなものには答えられない」「教育行政に抵抗するぞ」などと力んでみても仕方ない。面倒には違いないが、5分か10分あれば書けるんだから、すぐ書いて提出すればいいじゃないか。ところが、毎日の多忙に紛れて、抵抗してるわけでもないのに、提出しない人がいる。忘れてしまうのである。そして、毎日毎日、違った問題が起き、書類も机上に積み上げられていく。そして、提出を忘れている人は今日中に提出をなどと言われて、あわてて机上整理から始めて、違う報告書類も発掘され、かくして30分も1時間も時間が取られてしまう。ただでさえ多忙な仕事を自ら「より多忙」にしている。

 教師に限らず、「説明責任」が問われるようになり、インターネットの発達に伴い、「情報公開」のための書類作成に追われるようになった。また、業績評価が「成績主義」になり、自分の仕事のまとめ、アピール等の書類作成にも追われる。だから、「仕事における事務処理能力」の重要性は昔の比ではない。だけど、多分教員養成の中で「事務処理能力の養成」なんて、ほとんど行われていないのではないかと思う。授業のやり方、授業の中身は誰でも考える。でも、ワードによるテスト問題作成採点エクセルによる採点処理(例えば、200人分の中間、期末の点数、課題の点数等を仮に打ち込んで、総計点をソートして上位から並べるといった程度でいい)を教員養成でもやったほうがいい。そして、40人を担任しているとして、通知表の所見を書いてみる。それを行ったうえで、自己評価シートをワードで完成させる。部活や保護者対応がないから、これは現実の教員生活よりずっと楽。こういう現実の教員生活で行われる「事務処理」こそ、「教師の日常」の中核をなすものだ。

 「教師としてのミス」の大部分も、単なる「事務処理ミス」から起きていると思う。非常に重大ないじめ事件、体罰問題などは現実には非常に少ない。でも、「ミスするつもりは全くない」にもかかわらず、「つい、うっかり」生徒や保護者対応を誤ることは現実に相当ある。もちろん、自分もやった。そんなに多くないかもしれないが、何回かはある。生徒にプリントを渡し忘れる、配り忘れる。欠席生徒もいるし、いつ配布してもいいような行政から来たお知らせもいっぱいある。「保護者会の出欠、出してないぞ」「えっ、貰ってません」とか、「え、出したと思うけど…」と言うから探したら、確かに他の書類に紛れてたとか。「探したけど、確かに出してないよ」「いや、昨日出したはずだけど…」「もしかして、それ、進路希望調査と間違えてない?」と言うことで、生徒の方が勘違いしてることもある。(実際のやり取りは、こんな丁寧なものではないが。)そういうことが日常茶飯事なのが学校である。

 学校に提出する書類は、しょせん「校内処理」だからどうとでもなるけど、一番大変な問題は「進路に関わる事務的ミス」である。大学や私立高校に出す書類、会社に出す就職用書類。それらは「学校が作成する」「学校から郵送する」と言うものがけっこうある。その日付を間違うと、そもそも相手側に「門前払い」になることもある。期限が決まってるのに、教師の方がミスして、生徒が希望の進路へ進めないという深刻なケースもある。そんなにないと思うけど、ないとはいえない。その反対に、一度決まった進路を生徒や保護者の側でホゴにして、違う進路にしたいと言ってくるケースもある。まあ、それなりに理由があるから、むげに退けられない場合もある。そういうケースを見聞きしたこともあるが、自分もやりかけたことがもあるし、書類間違いをしたこともあるから、あまり他人のことを言えない。だけど、と思うんだけど、生徒の側ももっと教師に確認しておくべきではなかったか。僕の場合は、センセー、わたしの書類、そろそろ出来てる?と聞いてきたから、間違えずに済んだわけで。

 事務室に提出する書類も多い。でも、よく見ていると、年末調整の書類、出てませんよと言われるような教員は大体いつも同じではないのか。細かく調べないと出せない書類はともかく、すぐ書ける書類は「すぐに出す」。これは個人的なものも同じで、とにかく「どうでもいいこと」ほどさっさとやらないといけない。それだけは僕は自信がある。どの学校の事務担当者にも、何の迷惑もかけていないはずである。それは僕が几帳面だからではなく、まさに正反対で「自分がいい加減だと知っているからできること」なのである。実際、どんどん忘れていく。見つからない書類を探して机を書きまわすのはよくある。だから、すぐ出さないとなくしてしまうと自分で判っているのである。生徒関連だと、いろいろあるからすぐやりたくてもできないこともある。だから、どうするか。きわめて丹念なノートを書き続けているような教師もいるし、パソコンで処理している人もいるが、僕にはできない。やっても続かないし、どうせ読み返さない。「当面やるべきこと」を紙に書いて、机にペタペタ貼っておくなんていう方が簡単で忘れないような気がする。結局、好きでやることではなし、本末転倒になってはいけない。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« スーパーティーチャー志向を... | トップ | 教員養成に「発声練習」を-... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

 〃 (教師論)」カテゴリの最新記事