尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

広島県の中学生自殺問題①

2016年03月12日 00時12分27秒 |  〃 (教師論)
 緊急に「広島県の中学生自殺問題」を何回か書きたいと思う。「自殺」という言葉は本来不適当だと僕は思っているのだが、各マスコミが使っているのでここではそう表記する。2015年12月、広島県府中町の中学で、3年生の男子生徒が自殺した。その問題が今になって明るみに出たのは、遺族が他の生徒の高校受験に配慮していたのだと判断できる。

 ニュースなどでは「進路指導のミス」と報じられているが、その報じ方には以下に書くように僕には異論がある。確かに「ミス」はあった。人間にはミスがつきものなので、「ミスを防ぐ施策」がなくてはならない。それが今回はうまく機能していなかった。(というか、「なかった」とも言える。)だけど、この学校の指導には「ミス」以上の「本質的な大間違い」があったと思うのである。 

 今回の問題は、簡単に書くと以下のようなことになると理解している。
中学生が私立高校への「専願推薦」を希望していた。(この制度の問題は次回に書く。公立高校が第一希望の生徒が、私立高校を一つにしぼって志願し、公立に落ちた時に進学する。この制度を利用せず「一般受験」しても、ほとんど合格できない。「学校推薦」が必要である。)
学校側は、推薦に関する内規を昨年11月に変更した。それまでは、3年時の問題行動だけを見たのに対し、「1年時からの触法行為」を見ることにした。
学校の共有サーバーに残された1年時の指導記録に、その生徒の万引きが書かれていた。しかし、それは本来は別人の行為で、「誤記」だった。それは当時の会議で指摘され、紙の上では訂正されたが、元のパソコン上の記録は訂正されなかった。(誤記の原因は単純な打ち間違いらしい。)
その記録をもとに、学年主任は担任教諭に対して、この生徒に万引き歴があることを本人に確認するように求めた。担任は5回にわたって「面談」したが、生徒がはっきりとした反論をしなかったため、確認されたと誤認した。(この「面談」は廊下でなされたものらしく、僕には「面談」とは言えないように思われる。また、この記録は学校側の情報なので、遺族側に疑問もあるようである。)
担任は、12月の三者面談を前に、そのこと(1年時に万引きがあったため、専願推薦はできないこと)を保護者に伝えると言った。生徒は三者面談に日に、面談に現れず自殺した。

 以上の中で、③(誤記問題)④(本人への確認)は、明らかなミスである。しかも、かなり大きな問題をはらんでいるミスである。だから、ニュースでもそこが焦点になっている感じがする。その結果、なぜ担任は確認したと思ったのか、あるいはなぜ誤記が訂正されなかったかなどと、言ってみれば「現場の責任追及」がなされている。だけど、この問題の一番重大なポイントは、②の「内規変更」ではないか。これさえなければ、「誤記」は問題にならないまま眠っていただろうし、担任が確認する必要もないからミスがおきるわけもない。だが、多くのマスコミも「1年時からの問題行動」を対象にした内規変更の是非を取り上げていないように思う。

 一体、学年途中で推薦の内規を変えていいのだろうか。本来、1年時からの問題行動を進路指導にも使うんだったら、入学式後の保護者会で親に周知しておかないといけないのではないだろうか。「誤記」ばかり問題になるが、誤記ではなく本当に万引きがあったとしても、本来は1年時の指導で終わったはずの出来事が突然よみがえって来ていいのか。これでは「教育」ではなく、「懲罰」ではないか。成人の裁判であっても、一度決着した刑罰を本人に不利に変更することは許されない。(本人に有利な「再審」は新証拠があれば認められる。)ましてや、未成年の場合は、「刑罰」ではなく「教育」が目的である。犯罪に関与してもマスコミ等に実名は出ない。教師は立場上、生徒の名前と行為を知ることになるが、それは「教育的指導」を行うためであって、その指導が終了した後で、他の目的に使うことはおかしいのではないだろうか。

 そう言うと、「では、万引きした過去のある生徒を学校が推薦していいのか」などと言われるかもしれない。その答えは「いい」ということになる。生活上の問題があっても、学校が指導してその後問題が起きていない。それなら、学校の指導が有効だったということで、今さら何の問題もないではないか。もちろん、生徒がみな進路に向って頑張る3年生後半にもなって、問題行動を繰り返しているような場合は、当然推薦はできないという結論になるだろう。しかし、それは考える順番が逆で、機械的に判断するのではなく、推薦を希望する生徒をいったん「できるだけ皆を推薦する」という方向で考えて、「例外的に推薦できない生徒はいるか」と判断していくべき問題だろう。(3年になっても落ち着かない生徒は、そもそも推薦を申し出てこないだろうが。)

 以上に書いたことは、「机上の空論」ではない。僕が中学で進路指導を行ったのはもうだいぶ前(80年代)になるが、中学教員として、またその後の高校教員としても、「生活指導歴がある生徒」を上級学校や会社に推薦している。もちろん、どんな進路希望であれ、本人、親とともに面談して決めていくわけで、その中で学校の方針、進路指導、生活指導に従っていることが前提となる。そんな中で、1年の時に万引きがありますねなどと言うのだろうか。この学年は多分1年時を知らない主任や担任で構成されていたのだろうけど、3年時に頑張っていれば、それ以前のことなど持ち出さないものではないのだろうか。学校側の規定がどうであれ、「この生徒は推薦していいのではないか」と頑張るのが、担任や学年主任の仕事ではないかと思う。

 それとともに、学校で一番多くある問題行動は何だろう思う。小さないじめ、万引き、喫煙ではないかと思う。ところが、これらはいずれも「暗数」が多い行動である。つまり、学校側が認知できる数より、はるかに多くの万引きや喫煙が起こっているはずだということである。今回の万引きはコンビニだというが、個人商店などでは学校には通報しない事も多いに違いない。それに「万引きに成功したケース」は問題にならない。万引きに失敗して捕まったとしても、警察、家庭、学校のどこに連絡するかはさまざまだろう。全部学校に通報されるわけでもないのに、推薦不可などと言いだしたら、たまたま学校に通報された生徒だけが不利である。喫煙やいじめなども同様で、学校がたまたまうまく知ることができたケースのみ、生徒を不利に扱うことになってしまう。

 中学1年生と言えば、12歳か13歳。刑事責任は問われない年齢である。いくつかの小学校から集まって、中学生となる。初めはいろんなことがある。適応できなかったり、強弱の関係が作られたりする。そんな中で、遊戯的に、あるいは「パシリ」(親分子分関係で命令されて弱いものが万引きして貢ぐ)だったり、「障害」や「病気」が背景にあったり、家庭の貧困や虐待があったり…。万引きの原因もさまざまである。一律に「推薦不可」ということ自体が教育的配慮に欠けるように思うのである。

 ニュースでは「非行歴」と呼んでいる。だが、警察沙汰にもならず、ましてや家庭裁判所や児童相談所にも関わらないようなけケースではないか。これは「問題行動」でいいし、学校からすれば「生徒指導」の問題である。「指導」なんだから、今後は一緒にがんばろうということで終わる。反省文をたくさん書かされたりするのは、本人は「一種の懲罰」と受け取るかもしれないが、学校としてはあくまでも「指導」なのである。そういう時に、「これで君は高校への推薦はダメになったよ」と突き放すのか。それとも「今後、勉強や部活をみんなと一緒に頑張って、希望の進路を実現しよう。学校も応援するよ」と言うのか。前者のような対応をすれば「再犯」を後押しするようなものではないか。

 もちろん、学校推薦を行っても、成功する場合ばかりではない。高校も、大学も、会社も、うまくいかずに辞めてしまうことはたくさんある。だけど、「生活指導歴」があっても推薦をした生徒が、次の学校で問題行動を起こしてしまったということがあるだろうか。それほどないのではないか。(むしろ、在学中はおとなしかった子が…というケースを見聞きすることが多い。)人間はそれほど信頼を裏切れないものだ。たまに裏切られることもあるけれど、人間を相手にした仕事では「裏切られるのも仕事のうち」なんではないかと思う。
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