尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

朝比奈なを「教員という仕事」を読む

2021年04月25日 23時02分01秒 |  〃 (教師論)
 朝日新書から朝比奈なを教員という仕事」が出ている。2020年11月30日付で、年末に買っておいた本をちょっと前に読んだ。著者を知らなかったのだが、公立高校教員を約20年間勤めた後で、幅広く教育問題に関する文筆、講演活動を行っている。同じ朝日新書に「ルポ教育困難校」という本もある。読んでなかったので、この機会に読んでみたので続けて紹介したい。

 著者は他にも「見捨てられた高校生たち」「高大接続の現実」「置き去りにされた高校生たち」(いずれも学事出版)という本も書いている。教育に関する本はいくらもあるが、「教員のリアル」に迫る本は少ない。書名を見て感じるのは、朝比奈氏の実体験も反映させながら、様々な取材を重ねて学校現場で現実に起こっていることを伝えているということだ。

 コロナ禍でますます多忙が増す学校現場の中で、著者は「教員が直面している最大の問題は、長時間労働を余儀なくさせるほどの仕事量にある」と書いている。そして「『教育改革』という名の下、ここ20年間で矢継ぎ早に学校現場へと強制された変化に対応するための仕事が大半を占める。」「そして、あまり知られていないが、この間には『教員改革』も推し進められている。『教育改革』と『教員改革』の相乗作用で業務が増え、教員は疲弊し、教員集団の変質・変容も生じているのだ。」と「はじめに」の中で書かれている。

 この本は主に「教員改革」を取り上げている。著者は「『教員改革』によって教員の同質化が起こり、ある種の『ムラ社会』化が進んだと見ている。もちろん、日本人や日本社会の変質も影響しているが、それ以上に、ある一定のタイプの人間を教員にしたい既に教員になった人を一定のタイプにたわめたいという意図を持つ改革を進めたことが大きな原因だと考える」と書く。

 この指摘はある程度長く教員をしていた人にはよく判ることだ。しかし、一般的にはほとんど指摘されない。「教員の多忙」というと「学習指導要領」の変更なども少しは書かれるが、大体は「役所へ出す調査が多い」とか「部活動が大変」とか、そういう話が多い。それも事実だが、昔からそうだった。渦中にいる教員にとって、本当に大変なのは「既に教員になった人を一定のタイプにたわめたいという意図を持つ改革」が進められてきたことだ。

 そこが類書と違う点で、僕も大変納得できた点だ。本書の節の名を少し挙げると「非正規の教員がいなければ学校はまわらない」「正規・非正規が教員の分断を生む」「教員の上下関係が作られている」「評価が上限関係をさらに強める」「精神的ストレスが引き起こす大量の休職」などと続いている。特に「教員の上下関係」、つまり管理職以外はフラットな「教諭」だったものが、同じく生徒に教科を教える仕事ながら、主幹主任などと「身分差」が作られていったことが教員集団の分断にとって決定的だったと思う。

 しかし、「教員集団の分断」は結果において起こったことではなく、自民党政府の目的そのものだったと思われる。学校現場は日々の多忙に取り紛れて、ほとんど何の抵抗もできずに「分断」されてしまった。この本には第5章で5人の教員、元教員のインタビューが収められている。それが非常に面白いのだが、その中では若い教員が同じ学校の主任などを「上司」と呼ぶようになっている。校長はともかくとしても、学年主任などは「先輩教員」であるとしても、「上司と部下」なんて思ったことは僕はなかった。生徒を教える立場として同等だと教わったものだ。

 全部書いていると終わらないから止めるが、学校現場の変容を知るためには是非読んで見ておくべき本。最後に「教員・学校の将来のために」と題された章がある。「チーム学校」「校務分掌の見直し」「改革の最大のキーマンは管理職」などとあるが、僕は必ずしも同意しないものもある。しかし、とにかく教員のリアルを考えるヒントとして役に立つ。
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