尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

河出新書『ウクライナ現代史』を読む

2022年09月12日 23時05分19秒 |  〃  (国際問題)
 河出新書から出た『ウクライナ現代史』の紹介。ロシアのウクライナ侵攻という事態をどう理解するべきか。そのためにも、ウクライナの歴史をきちんと知りたいという人は多いだろう。しかし簡単に入手出来る本としては、今まで中公新書の黒川祐次著『物語 ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国』しかなかった。著者はウクライナ大使を務めた外交官で、複雑なウクライナ史を興味深く叙述した好著だが、何しろ2002年刊行である。2004年の「オレンジ革命」、2014年の「マイダン革命」に触れられていないのは、やむを得ないとはいえ、今ではもっと新しい本が欲しいところである。

 そこにアレクサンドラ・グージョン著『ウクライナ現代史』(鳥取絹子訳)が出た。2022年8月30日に出たばかりの本である。本屋で一度見た時は買わず、次に買おうとしたときには河出新書なんてどこにあるんだという感じだった。何とか新書売り場の片隅に見つけたけど、宣伝もほとんどないから知らない人が多いだろう。著者はフランスの女性研究者で、侵攻直前に刊行されフランスで評判を呼んだという。それを早速翻訳してくれたのはありがたいんだけど、訳文にはかなり問題が多い。以下のような感じ。

 「ウクライナでの第二次世界大戦のビジュアルな表現は、ナチス兵士によるユダヤ人銃殺のイメージを通してのことが多い。これらのイメージは、ウクライナ自らが犠牲者であり処刑人でもあった視点を差し引いても、1941年から1944年のあいだドイツ軍に占領された時代の残忍さをあらわしている。」
 「2013ー2014年の冬、一般にマイダンと呼ばれるキーウの中央広場に居座って行われた抗議運動は、ロシアの指導層や一部のヨーロッパの専門家からは決まって、西側の強国に支援された過激派勢力による反乱と紹介されている。この紹介の狙いは、この運動とそれによる政権交代の信用を失わせ、彼らの民族主義的で危険な性格を強調するところにある。そうしてヨーロッパとアメリカの首脳陣は、ロシアの影響を制限する政権の到来を渇望する反乱を支援し、さらには引き起こしたと非難されているのである。」

 これ以上挙げても仕方ないと思うけど、翻訳調というか、AI自動翻訳というべきか。意味は判るけれど、文章としてこなれていないので、読むのに時間がかかる。また大きくは通史的な構成になっているが、各章はテーマごとの叙述、例えば『「ウクライナはコサックの土地」なのか』『「ドンバス地方の紛争は内戦」なのか』『「ウクライナは腐敗した国」なのか』などというテーマで書かれている。そのため、ちょっと判りにくいのである。しかし、現時点では類書がないので一応紹介しておきたい。
(著者のアレクサンドラ・グージョン)
 21世紀の歴史の部分だが、「腐敗」の問題は極めて重大だ。旧ソ連は一体として経済的まとまりが作られていたため、突然各共和国が「独立」を与えられてもうまく行かない。国土の6割近くを占める黒土地帯(チェルノーゼム)の農業、ドンバス地方の石炭を利用した重工業がウクライナを支えていた。(ドンバスの鉱工業のためにロシア人労働者が移入して、ロシア語人口が多くなった。)突然の「資本主義化」で、明治当初の日本と同じように、有力政治家と結びついた政商が私利私欲を図ることが多くなった。警察や税関職員などに賄賂が横行しているという話もよく聞かれる。要するに給与が少ないからだろう。

 それらの事情は「改革開放」下の中国でも起こり、腐敗に反対する人々が1989年に天安門広場に集結した。全く同じ構図が、2013年から14年の「マイダン革命」でも言える。ただ、そのような激動が社会を分断してしまった。ウクライナの複雑な歴史から、東西で投票行動が全く異なる「地域対立」が生じたのである。選挙で地域差があると言えば、韓国が知られている。2022年の大統領選でも、僅差で当選した尹錫悦候補は、南西部の全羅南道では11.44%しか得票していない。この地域では李在明候補がなんと86.10%を得票しているのである。一方、南東部の慶尚北道では、逆に尹候補が72.76%、李候補が23.80%となっている。
(2010年ウクライナ大統領選挙の得票)
 このような地域差は歴史的に形成されたものだが、同じような地域差がウクライナにもあったのである。2010年の大統領選では、親ロシアのヤヌコヴィッチ、親欧州派のティモシェンコの二人による決選投票が行われた。上記の地図で茶色のドンバスとクリミアはヤヌコヴィッチが75%以上、オレンジ色の地域はヤヌコヴィッチが過半数を得票した地域である。一方、西部の濃紺地域はティモシェンコが75%以上、青い地域がティモシェンコが過半数を得票した地域である。見事なまでに色分けされている。中部と西部が親欧州、東部と南部が親ロシア派である。ロシアは2014年に茶色地域、2022年にオレンジ地域に侵攻したわけだ。

 このような差が生じたのは、歴史的な経緯による。今回報道によく出てきたのが西部の中心都市のリヴィウである。リヴィウは複雑な歴史をたどった街で、ロシアによる「ポーランド分割」(1772年)ではオーストリア帝国領とされた。ロシア革命後、一時「西ウクライナ人民共和国」の首都となったが、ポーランドとの戦争に負けてポーランド領とされた。中部、南部、東部はソ連のもとで「ウクライナ社会主義共和国」となったが、西部はポーランド、及び一部がチェコスロヴァキア領だったのである。

 1939年に独ソ不可侵条約の秘密条項によりポーランドを独ソで分割したときに、ソ連に引き渡された。しかし、1941年に独ソ戦が始まると、ドイツが占領したのである。西部ではソ連支配への反発が強く、ドイツ軍を「解放軍」と迎えた人もいた。戦後になってソ連に組み込まれても、反ソ連のテロ活動が続けられた。それらはソ連からすれば、ドイツと協力した「ファシスト勢力」と呼ばれる。しかし、ウクライナ独立後に名誉回復がなされ、特にマイダン革命後には英雄視されている。この反ロシア(反ソ連)を優先してドイツと結んだ人々を歴史的にどのように評価するか。

 中にはユダヤ人虐殺に関与したケースもあったようで、それは批判しなければならない。ただロシアが「ウクライナ政権はナチス」というのは言い過ぎだろう。議会では極右勢力は大きな割合を占めていない。ロシアからすると、「反ソ連」「反ロシア」はすべて「ファシスト」になっているのである。アジアでも似たようなケースがあった。反イギリスを優先して、日本と協力してインド国民軍を結成したチャンドラ・ボースである。このような歴史のねじれをどのように評価するべきか。歴史の難問をウクライナ史は突きつけている。
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