関東地方では11月下旬に寒い雨が降り続いた。一週間続いた雨が上がったので、寒いけど国分寺市に散歩に行った。多摩地区でただ一つの都立庭園である「殿ヶ谷戸(とのがやと)庭園」が駅前にある。大昔の武蔵国の国分寺があったところだが、日本中にあった国分寺の中で市の名前になっているのはここだけだ。だから中央線の駅名も国名が付かないただの「国分寺」になっている。
紅葉の名所でカメラ片手の入園者がたくさんいた。今年はどこでも紅葉、黄葉が遅れていて、都心では越年しそうな感じだ。殿ヶ谷戸庭園でもまだまだ紅葉狩りを楽しめそうだった。都心の多くの庭園が大名庭園だったのとは違って、ここは近代になって作られた別荘庭園である。北区の旧古河庭園も同様だが、今じゃ北区は都心に近いイメージだ。それに対して、殿ヶ谷戸庭園は都心からは離れたイメージはある。もっとも都庁が新宿に移転した今では、新宿まで30分もかからない通勤圏内だけど。
作ったのは江口定條(さだえ)という人である。パンフには満鉄副総裁の後、貴族院議員を務めたとある。近代史上ではほぼ忘れられた人物だが、ウィキペディアに載っていて、三菱合資総理事を務めた実業家だった。東京高商(現一橋大)卒で、同校教諭も務めた。如水会(東京高商、一橋大学の後援組織)の初代総裁もしている。満州事変のあった1931年に満鉄副総裁に就任したが、翌年に民政党系を嫌った政友会の犬養毅内閣に罷免されたと出ている。1913年から15年にかけて別荘を築き、その時は「随宜園」(ずいぎえん)と名付けられていた。1929年に岩崎小彌太が買い取り「国分寺の家」として親しんだという。結局ここも三菱系の庭園だったのか。
入り口を入ると左方向に資料館がある。広場風に芝生が広がり、その奥に木が続いている。高いところは洋風庭園で、そこから下がったところに湧水を生かした池を設けて和風庭園とする。これは旧古河庭園も同じだ。大名庭園のような大きな池泉回遊式庭園は海や川に近いところに作られた。一方、武蔵野台地と国分寺崖線(がいせん)を生かしたのが別荘庭園。この地域は多摩川の河岸段丘が続いていて、その崖に沿って湧水が多い。湧水を利用した「治郎弁天池」を整備したのは、1934年のことで岩崎家になってから。
上の写真の真ん中が湧水の出ているところ。池から上に登っていくと「紅葉亭」が作られている。そこは集まりに借りられる場所でもあるらしいが、庭園に向かった部分は休憩所として開かれている。そこから見る紅葉が素晴らしいわけだが、人も多くて写真は撮りにくい。それに昼間は逆光になる。
樹を通して光がもれる様は抽象画みたいな感じ。そこから入り口に戻ると広場になるから、気が晴れる。かつて開発計画があり、庭園を守る住民運動があった。その結果、1974年に都が買収し開園した。2011年に国の名勝に指定されている。近代の庭園としては珍しいと思う。そんなに広くないし、駅から近いので散歩に最適。そこから「名水100選」指定の「真姿の池」や国分寺跡に足を伸ばしたが、それはまた別の記事に書きたい。
紅葉の名所でカメラ片手の入園者がたくさんいた。今年はどこでも紅葉、黄葉が遅れていて、都心では越年しそうな感じだ。殿ヶ谷戸庭園でもまだまだ紅葉狩りを楽しめそうだった。都心の多くの庭園が大名庭園だったのとは違って、ここは近代になって作られた別荘庭園である。北区の旧古河庭園も同様だが、今じゃ北区は都心に近いイメージだ。それに対して、殿ヶ谷戸庭園は都心からは離れたイメージはある。もっとも都庁が新宿に移転した今では、新宿まで30分もかからない通勤圏内だけど。
作ったのは江口定條(さだえ)という人である。パンフには満鉄副総裁の後、貴族院議員を務めたとある。近代史上ではほぼ忘れられた人物だが、ウィキペディアに載っていて、三菱合資総理事を務めた実業家だった。東京高商(現一橋大)卒で、同校教諭も務めた。如水会(東京高商、一橋大学の後援組織)の初代総裁もしている。満州事変のあった1931年に満鉄副総裁に就任したが、翌年に民政党系を嫌った政友会の犬養毅内閣に罷免されたと出ている。1913年から15年にかけて別荘を築き、その時は「随宜園」(ずいぎえん)と名付けられていた。1929年に岩崎小彌太が買い取り「国分寺の家」として親しんだという。結局ここも三菱系の庭園だったのか。
入り口を入ると左方向に資料館がある。広場風に芝生が広がり、その奥に木が続いている。高いところは洋風庭園で、そこから下がったところに湧水を生かした池を設けて和風庭園とする。これは旧古河庭園も同じだ。大名庭園のような大きな池泉回遊式庭園は海や川に近いところに作られた。一方、武蔵野台地と国分寺崖線(がいせん)を生かしたのが別荘庭園。この地域は多摩川の河岸段丘が続いていて、その崖に沿って湧水が多い。湧水を利用した「治郎弁天池」を整備したのは、1934年のことで岩崎家になってから。
上の写真の真ん中が湧水の出ているところ。池から上に登っていくと「紅葉亭」が作られている。そこは集まりに借りられる場所でもあるらしいが、庭園に向かった部分は休憩所として開かれている。そこから見る紅葉が素晴らしいわけだが、人も多くて写真は撮りにくい。それに昼間は逆光になる。
樹を通して光がもれる様は抽象画みたいな感じ。そこから入り口に戻ると広場になるから、気が晴れる。かつて開発計画があり、庭園を守る住民運動があった。その結果、1974年に都が買収し開園した。2011年に国の名勝に指定されている。近代の庭園としては珍しいと思う。そんなに広くないし、駅から近いので散歩に最適。そこから「名水100選」指定の「真姿の池」や国分寺跡に足を伸ばしたが、それはまた別の記事に書きたい。