尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

清澄庭園ー東京の庭園③

2019年11月02日 23時24分55秒 | 東京関東散歩
 東京の庭園を訪ねる散歩、3回目は清澄庭園(きよすみていえん)。今までの向島百花園と旧古河庭園は、行ってから書くまでしばらく放っておいた。10月に31日あるうち、東京はなんと25日も雨が降ったという。だからあまり散歩する気になれなかった。10月下旬にようやく晴れ渡り、映画館や劇場が大好きな僕も町へ出たくなる。この地域は以前は駅から遠かったが、都営地下鉄大江戸線(2000年)、東京メトロ半蔵門線(2003年)の清澄白河駅が開業して、行きやすい地区になった。
   
 清澄庭園は上の写真で判るように、典型的な「池泉回遊式庭園」である。今は「清澄公園」として無料開放されている西側地域も、元々は同じだった。江戸時代には紀伊國屋文左衛門の屋敷だったが、大名庭園となり明治になって荒廃したという。その土地を三菱の岩崎家が買い取り、従業員慰安や接待のために整備した。一時はコンドル設計の大きな洋館もあったが、関東大震災で焼失してしまった。そして三菱が東京市に西半分を寄贈して、1932年に開園した。そのような経緯から、六義園や小石川後楽園に比べて面積も半分ぐらいだ。また国指定名勝ではなく東京都指定名勝に止まっている。   
   
 行った日は最近になく快晴で風もなく、もう水面は鏡のような感じ。この庭園はちょっと奥まった地点もあるが、ベースとしては大きな池をグルッと歩道があるだけのシンプルな構造になっている。だから写真を撮っても、同じような写真ばかりになってしまう。でも水面と松の風景が美しく、見応えがある。駅から近くて行きやすいし、僕も久しぶりに行って堪能できた。建物としては、「大正記念館」と「涼亭」がある。涼亭は池に面して張り出して美しいが、貸し出し施設のためただの客は入れない。 
   
 先の3枚の写真を拡大すれば、見えてくるのが涼亭。1909年建造で、都選定歴史的建造物。ただ1985年に全面的に改築されたという。最後の写真は大正記念館。戦災で焼失し、1953年に再建され、さらに1989年に全面改築されたという。なんで「大正記念」かというと、もとは大正天皇の葬儀に際して、参列者が並ぶ葬場殿と移築したから。どちらも集会などで借りられる。
   
 清澄白河駅A3出口を出て、徒歩3分とある。しかし信号を渡らないいけないので、もっと待つ感じ。案内表示は多いから迷うことはないだろう。上の最初が入り口。大きな通りではなく、少し入ったところに出入り口がある。最初は池が見えないが、すぐ見えてくる。後はずっと回るだけ。池は鴨がいて、冬は確かもっと多いと思う。駅からこんな近くに大きな池があるのにビックリするような場所だ。
   
 涼亭の近くに門があって、広場がある。菖蒲田があって、季節にはキレイなんじゃないか。ここに松尾芭蕉の「古池や」の句碑があった。この庭園の池を詠んだ句ではないが、実は近くに芭蕉の庵があった。少し行ったところに「芭蕉記念館」もある。案外東京の人も知らないけど、蛙が飛び込んだ古池は深川にあったのである。「奥の細道」もそこから旅立った。それを記念して句碑が建てられた。

 上に載せた写真、自分でも同じ写真を載せてるんじゃないかと心配。基本的に同じような光景が広がる庭園なのである。ただ池と空の風景は、晴れていれば気分がいい。この近くには「深川江戸資料館」など江戸情緒も残る。そもそも清澄白河の「白河」は白河藩主松平定信のことで、近くには墓も残っている。一方で東京都現代美術館もあって、近年はギャラリーがいっぱい出来てアートの街になっている。最近は「第三世代コーヒー」の聖地とも言われる。東京有数の観光スポットになりつつある地域で、芭蕉記念館などはまた別に近々散歩したいなと思っている。
コメント
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