尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

胡波監督29歳の「遺作」、「象は静かに座っている」

2019年11月27日 22時58分16秒 |  〃  (新作外国映画)
 中国映画「象は静かに座っている」(2017)が上映されている(渋谷のシアター・イメージフォーラム)。234分と約4時間にも及ぶ長大な作品だが、決して退屈しない。監督・脚本・編集を務めた胡波(フー・ボー、1988~2017)監督はこの作品完成後に29歳で自殺した。その意味でも「映画史の伝説」と呼ばれることになるだろう。とにかく「暗い映画」で、テーマも深刻、展開も破滅的、画面は常に薄暗いという映画である。中国の地方都市はこれほど希望がないのかと「時代閉塞の現状」に心を塞がれる。

 登場人物たちが皆「居場所を失う」様を異様な長回しで見つめている。原題「大象席地而坐」、英語題「An Elephant Sitting Still」と意味は全部同じだけど、象は出て来ない。登場人物たちが「満州里」の動物園には「ただ座っている象がいる」というのである。だからどうなんだという気がするが、登場人物たちはその象に象徴的な意味を込めているようだ。じゃあ映画の場所はどこなんだと思うと、後半になって「石家荘」の駅が出てくる。河北省の省都で、満州里は東北地方最北の都市だからずいぶん遠い。ロシアとの国境だから、「国境の町」のイメージがセンチメンタルな感情を喚起するのかもしれない。
(ブーとリン)
 「行き場のない悲しみを抱えた孤独な“4人の運命”が交差する――どん底から希望を目指すある1日の物語」とコピーにある。その中心となるのは、友だちをかばってケンカ相手を突き飛ばした「ブー」という少年だ。かばう意味がなかったことは後に判る。ケンカ相手の兄は「危険な人物」で、ブーを追ってくるが彼の私生活も火が付いている。ブーが思いを寄せるリンは一緒に満州里に逃げてくれない。それどころか、母との葛藤を抱えるリンは学校の副主任の先生と付き合っている。そういう若者たちに交差するように、子ども夫婦から迷惑がられている老人も絡んでくる。それが「孤独な4人」である。

 胡波監督は、ハンガリーのタル・ベーラ(「サタンタンゴ」)の指導で短編を作ったというが、影響は明らかだ。また少年のいさかいを描くエドワード・ヤン「クーリンチェ殺人事件」も思い出させる。登場人物が自らドツボにはまるような展開は多少図式的だが、自身の短編小説の映画化だという。画面は暗すぎるし、手持ちカメラは長回しだけど、画面はクローズアップが多い。技法的に完成された傑作じゃないだろう。人物たちは大声で怒鳴る人と声を挙げない人ばかり。もっと軽やかに語れると思うけど、それをしないのは画面の暗さに「中国の現在」を象徴させているとしか思えない。
(胡波監督)
 中国映画、あるいは台湾や香港を加えて中華圏の映画が世界を驚かした時代があった。それから30年、巨匠たちは「武侠映画」(チャン・イーモウ「SHADOW 影武者」やホウ・シャオシェン「黒衣の刺客」など)は作るが、現在を描かない。それでもインディペンデントで映画を作ることが出来るし、その映画を外国の映画祭に出品できる。「象は静かに座っている」もベルリン映画祭フォーラム部門第一回最優秀新人監督賞を取ったし、台湾の金馬奨では2018年の作品賞を受けた。主演俳優たちも素人ではなく、知名度があるようだ。そのような「余地」が中国社会に存在するのは評価しないといけない。

 映画を離れた感想になるが、この映画を見ると中国社会の「余裕のなさ」に胸ふさがれる思いがする。ソ連東欧圏が崩壊して30年、決して良いことばかりではなかったと報道されている。「社会主義時代」は自由も豊かさもなかったけれど、安定と平等はあったなどと。その評価はともかく、中国は今も一党独裁の「社会主義体制」のはずだ。だが「改革開放」を経て「社会主義市場経済」という意味不明の概念の下、格差が深刻化している。もともと都市と農村部は差別されているが、地方都市の人々も現在を疾走するように生きている。どこへ向かうのか、全く判らない。

 主人公たちは「満州里」を夢見るが、列車は不通になったと言われ、バスに乗って北京を経て瀋陽(シェンヤン)へ向かう。その途中で映画は終わってしまうが、どこにたどり着くのだろうか。その答えを出さずに監督は命を絶った。そのことに暗澹たる思いがする。4時間もの映画はなかなか見るチャンスがないかもしれないが、是非見ておくべきだと思う。映画という以上に、巨大な隣国を少しでも知るために。石家荘の風景なんて見ることはなかったと思うし。
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