尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

キューポラと洋館ー川口散歩

2019年11月10日 22時50分00秒 | 東京関東散歩
 埼玉県川口市を散歩してきた。JRがやってる「駅からハイキング」に「学生駅ハイ」という企画があって、川村学園女子大学観光文化学科の学生が企画した「川口の歴史と文化に触れる」である。川口と言えば、どうしても「キューポラのある街」を思い出す。今はもう鋳物産業の町じゃないのは知ってるけど、一度は行ってみたいと思っていた。予約不要で、9時~11時に受付。まあ無理する気はなかったけど、何しろ休暇村とムーミンでバイキング3連続。少し歩きたいと思ったわけだが、帰ってスマホを見ると、2万7千歩も歩いてたのはビックリ。

 川口は京浜東北線で埼玉県最初の駅である。東京都北区の赤羽駅の次。案外近いんだけど、降りたのは初めて。2011年に鳩ヶ谷市を合併して、人口は59万人もある。政令指定都市以外では船橋市に次いで第二位だという。駅前の商業施設が「キュポ・ラ」、駅前広場が「キュポ・ラ広場」と名前に歴史を留めている。駅前にキューポラのモニュメントがある。キューポラ(cupola)というのは、鉄を溶かして液状にする溶解炉のことで、かつては屋根から突き出る姿が川口のシンボルと言われた。戦争直後には川口が日本の三分の一を占めた。「働く歓び」という鋳物労働者の彫像もある。
  
 川口の鋳物は、国立競技場の聖火台に使われた。1958年の第3回アジア大会に使われたもので、川口鋳物の代表作と言われた。鈴木万之助・文吾親子(完成品は文吾の作)が製造。1964年の東京オリンピックでも使われた。その聖火台が駅前に展示されている。国立競技場の建て替えに伴って、東北各地を回った後、2020年春まで置かれているという。鋳物産業は70年代が最盛期で、その後激減している。しかし、残っている会社もあって、日曜休みで見られなかったが、今回のコースに「日本唯一のベーゴマ製造」の「日三鋳造所」もあった。ここで作ってはいないが、ベーゴマ資料室がある。
  
 駅前から10分ほどで南へ行って川口神社がある。川口の総鎮守であり、鋳物の神とされる金山彦命も祀っている。鳥居の裏にも鋳物工業繁栄の印が残されている。
 
 神社から少し歩いて「母子父子福祉センター」へ。ここは「旧鋳物問屋鍋平別邸」として国登録の有形文化財に指定されている。こういうところは気がつかずに通り過ぎてしまいやすい。企画地図があってこそ行く場所だ。普段は公開していないので、見学には事前連絡が必要。古い建物もあるらしいが、現在の姿になったのは1941年頃という。洋館に和室があり、離れも付いている。庭園も見事で、ちょっと前のお金持ちの家の風情がよく残っている。鋳物産業の繁栄を今に伝える貴重な文化財。
   
 それから川口市立文化財センターへ。施設だから写真は載せない。川口市の歴史について、とても勉強になった。実は僕の住んでる足立区と川口市は隣同士である。横どうしの交通がないから、行かないだけ。「赤山街道」という道が近くにあるんだけど、どういう意味か知らなかった。ここで初めて由来が判った。その後延々と荒川土手を歩いて工場地帯を下に見る。

 「大泉工場」というところでマルシェをやってたが、ちょっと見て通り過ぎてしまった。先ほど調べたら、この工場は実に面白いところらしくて、残念。また延々と歩き、「デイジー本店」でパンを買う。美味しそうなパンがいっぱいだが、食べ過ぎると来た目的を失う。かなり飽きてきたので地図のコースを離れてショートカット。ぶらぶら歩いていると、なかなか面白い民家が多い。最後に埼玉高速鉄道川口元郷駅近くの「旧田中家住宅」へ。ここはすごい。「君は旧田中家住宅を知っていたか?
   
 「旧田中家住宅」なんて言うと古民家みたいだけど、実は埼玉を代表する洋館建築。2018年12月に国の重要文化財に指定された。近代の重文は、未来の国宝だ。上の写真は最初の3枚が、国道122号の反対側から撮影。国道に面しているのである。外観は壮麗な洋館だが、中には和室と庭園がある。建てたのは4代目田中徳兵衛で、1923年に洋館が完成した。和館は1934年の増築。
   
 中はまあ普通の洋館建築なんだけど、なんと3階まである。東京の洋館は2階建てだ。そして3階まで開放している。周りは道路とマンションばかりだけど、庭を上から見られる。もともと田中家は農家だったが、明治初期に2代目が麦麹味噌を始めて「上田一」(じょうたいち)のブランドで全国で販売したという。4代目は埼玉味噌醸造組合長に就任、県会議員から貴族院議員になった。これが多くの客を接待する洋館を建てさせた動機なんだろう。だから自分用に和館が必要になる。
   
 最初の2枚が3階にある大広間。一番上に案内されて、客も驚いただろう。後の2枚は1階奥の和室棟。こういうところもないと、当時の日本人は暮らせない。そこから池泉回遊式の庭園が見渡せる。東京間近の国道沿いに、これほどの建築が公開されていたとは。ここの不思議な面白さは一見の価値がある。全然知らなかったけど、今日一番の収穫だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする