久しぶりに先が気になってどんどん読んだ。いろいろと思うこと、感動するところが多く、多くの人に読んで欲しいと思った。そんな本が岩城けい「Masato」だ。2105年に出て、坪田譲治文学賞を受賞した。2017年10月に集英社文庫に入った時に買ったままだった。なんだかほんのちょっと前に買った気がするけど、もう一年経っていた。スラスラ読めるし、もっと早く読めばよかった。
主人公は日本から父の仕事でオーストラリアに引っ越した小学生、安藤真人。その男の子の視線で物語が進行する児童文学だから、とても読みやすい。日本にいたらもう6年生なのに、英語が判らないからと現地の学校の5年生に入る。中学生の姉は高校受験を控えて日本人学校に通うのに、真人は「英語ができるようになると便利」と現地の学校に行くことになる。日本の友だちとは学年も違ってしまうし、英語は全然判らない。学校じゃ「スシ、スシ」といじめてくるヤツがいる。
「Masato」が「マサァトゥ」と呼ばれると、自分じゃないみたい。突然外国でいじめられっ子に転落した真人が、何とか居場所を見つけて「マット」と呼ばれるようになるまでの苦闘。だけど、何とかそうなったときには家庭での居所がなくなる。ネイティヴの少年英語を駆使できるようになったとき、もう自分の気持ちは英語の方がうまく言える感じ。日本語で聞く親に対し、英語で答える。もともと「英語ができるようになって欲しい」と親が現地の学校に行かせたのに、現実に英語ができるようになると「日本語で言いなさい」と怒られる。この矛盾に真人は戸惑う。
サッカーやスクールコンサート(というけど、劇の公演)、あるいは日本から連れてった柴犬のチロ(これが泣かせるエピソード)なんかを通して、真人は大きく成長していく。それは同時に親との葛藤の始まりだった。一体真人はどういう選択をするのか。姉は日本に戻って、「山岡女子学園」を受験する。「山女」は制服も可愛くて、大学にもつながってて、就職率もいい。親たちは英語を話せると何かと便利だと言う。真人は思うんだけど、山女って英語に似てる。
岩城けい(1971~)は大学卒業後にオーストラリアに住んでさまざまな職業に就いた。2013年になって「さようなら、オレンジ」を発表し、太宰治賞、大江健三郎賞を受けた。この本は出た時に読んで非常に感銘を受けた。実際に長年オーストラリアに住んでいる実体験があるので、具体的な細部の記述がすごくリアル。夏と冬の逆転した季節感、日本人社会の実態、現地の学校のようす。どれもすごく面白いけど、やはり「学校教育のあり方」をめぐる違いが一番考えさせられる。計算問題も答えだけじゃなくて、なんでそうなるかの説明が大事なのである。
も一つ、「英語ができる」と日本じゃ簡単に言うけど、それはどういうことかという問題。日本語での思考能力、自我発達の前に外国の小学校に通わせれば、当然「子どもとして生き抜く」ために現地の言葉で自我を形成して行ってしまう。親はテレビで海外で見られるNHKを見てしまい、現地のテレビを見ない。だからクラスのテレビやアイドルの話題に真人は付いていけない。日本で持ってたゲーム機も、電圧が違うから使えないので日本に置いてきた。ホント最初の頃の真人はチロだけが頼りだ。そんな状況をどう乗り切るかの、これはサバイバル冒険小説でもある。
これは今いろいろと悩んでいる中学生、高校生、あるいはその親にはぜひ読んで欲しい小説だ。そして学校の教師、教育を論じたい政治家や日本の英語教育に関係している人、まだ読んでない人は是非読まないといけない。「国際化」や「英語」の意味について、じっくり考えるきっかけになると思う。こういう時って、英語でこういうんだという発見もいくつもある。
主人公は日本から父の仕事でオーストラリアに引っ越した小学生、安藤真人。その男の子の視線で物語が進行する児童文学だから、とても読みやすい。日本にいたらもう6年生なのに、英語が判らないからと現地の学校の5年生に入る。中学生の姉は高校受験を控えて日本人学校に通うのに、真人は「英語ができるようになると便利」と現地の学校に行くことになる。日本の友だちとは学年も違ってしまうし、英語は全然判らない。学校じゃ「スシ、スシ」といじめてくるヤツがいる。
「Masato」が「マサァトゥ」と呼ばれると、自分じゃないみたい。突然外国でいじめられっ子に転落した真人が、何とか居場所を見つけて「マット」と呼ばれるようになるまでの苦闘。だけど、何とかそうなったときには家庭での居所がなくなる。ネイティヴの少年英語を駆使できるようになったとき、もう自分の気持ちは英語の方がうまく言える感じ。日本語で聞く親に対し、英語で答える。もともと「英語ができるようになって欲しい」と親が現地の学校に行かせたのに、現実に英語ができるようになると「日本語で言いなさい」と怒られる。この矛盾に真人は戸惑う。
サッカーやスクールコンサート(というけど、劇の公演)、あるいは日本から連れてった柴犬のチロ(これが泣かせるエピソード)なんかを通して、真人は大きく成長していく。それは同時に親との葛藤の始まりだった。一体真人はどういう選択をするのか。姉は日本に戻って、「山岡女子学園」を受験する。「山女」は制服も可愛くて、大学にもつながってて、就職率もいい。親たちは英語を話せると何かと便利だと言う。真人は思うんだけど、山女って英語に似てる。
岩城けい(1971~)は大学卒業後にオーストラリアに住んでさまざまな職業に就いた。2013年になって「さようなら、オレンジ」を発表し、太宰治賞、大江健三郎賞を受けた。この本は出た時に読んで非常に感銘を受けた。実際に長年オーストラリアに住んでいる実体験があるので、具体的な細部の記述がすごくリアル。夏と冬の逆転した季節感、日本人社会の実態、現地の学校のようす。どれもすごく面白いけど、やはり「学校教育のあり方」をめぐる違いが一番考えさせられる。計算問題も答えだけじゃなくて、なんでそうなるかの説明が大事なのである。
も一つ、「英語ができる」と日本じゃ簡単に言うけど、それはどういうことかという問題。日本語での思考能力、自我発達の前に外国の小学校に通わせれば、当然「子どもとして生き抜く」ために現地の言葉で自我を形成して行ってしまう。親はテレビで海外で見られるNHKを見てしまい、現地のテレビを見ない。だからクラスのテレビやアイドルの話題に真人は付いていけない。日本で持ってたゲーム機も、電圧が違うから使えないので日本に置いてきた。ホント最初の頃の真人はチロだけが頼りだ。そんな状況をどう乗り切るかの、これはサバイバル冒険小説でもある。
これは今いろいろと悩んでいる中学生、高校生、あるいはその親にはぜひ読んで欲しい小説だ。そして学校の教師、教育を論じたい政治家や日本の英語教育に関係している人、まだ読んでない人は是非読まないといけない。「国際化」や「英語」の意味について、じっくり考えるきっかけになると思う。こういう時って、英語でこういうんだという発見もいくつもある。