元号を日本の歴史の中で考える前に、「歴史のものさし」をどう考えるかの問題を見ておきたい。多くの人にとって書くまでもないことかと思うけど、案外歴史として考えていない人もいると思う。僕はある時点から授業の最初の時間に、「成績評価の方法」「授業の進め方」などとともに「歴史のものさし」について触れるようにしてきた。「西暦」「元号」をちゃんと読めない生徒だっているのだから、最初に言っておかないとまずいと思うようになったのである。
「西暦」は「西洋暦」のことだが、もともとはキリスト教世界であるヨーロッパでできた「キリスト紀元」である。もっとも歴史学の立場では、イエスの誕生は紀元前4年だろうと考えられている。(なお、イエスを救世主(キリスト)と信じる宗教がキリスト教なので、授業ではイエスとしか言わない。)日本では太陰暦(旧暦)による明治5年12月6日を、明治6年1月1日とする太陽暦に変更した。だから西暦1873年と明治6年は全く同じ年である。今じゃ当たり前すぎて意識しないけれど、西暦以外の暦を残している国では両者が全然違うことが多い。
日本では西暦と元号が全く同じ年月日となり、どっちで表記しても同じだから、「どっちを使うか問題」が逆説的に生じてくる。元号を使う暦が太陰暦のままだったなら、「伝統として残そう」という人がいたとしても、主要な行政文書は西暦にするしかなかっただろう。次の元号がどうなるか、早く発表することに反対する勢力があるので、今どんどん西暦の使用が広がりつつある。運転免許証も西暦表記にするそうだし(2019年3月頃から)、鉄道の定期券などもそうだ。「平成33年まで有効」なんて免許証はおかしいし、居住する外国人も増えているのだから当然だろう。
新元号を「早く発表することに反対する勢力」とは、普通に考えたら元号廃止派かと思うと、そうじゃない。「天皇絶対主義者」の方が現天皇の間に新元号を決めることに反対している。その結果、元号自体が使われなくなるわけである。まあ世の中はそういうもんだから放っておけばいいと僕は思っている。今後はますます西暦表記じゃないと生活が不便になってくる。もう平成と西暦をすぐ変換できる人の方が少ないだろう。今後は「昭和57年生まれの人は新元号14年に何歳になるのか」と言われても、もう誰も判らない。1982年生まれは2032年に50歳になるというだけの計算だから、西暦なら誰でも暗算できる。行政文書も西暦にしないと理解できなくなる。
世界には西暦以外にもいくつかの暦が存在している。「イスラム暦」(ヒジュラ暦)はその代表だが、ここでは詳しい解説は省略する。イスラム教の正しい理解を広めるのは歴史教育の大きな課題だが、だからと言ってイスラム暦だけで世界を理解することはできない。何しろ太陰暦なので、毎年ずれてくるのである。2018年10月12日は、ヒジュラ暦1441年2月1日になるらしい。(自動変換サイトが存在するので今調べてみた。)これでは日本の生活ができない。でも、そういうカレンダーが世界にあるということは知っておいた方がいい。
(イスラム暦カレンダー)
キリスト暦にも通常の西暦であるグレゴリオ暦と、帝政ロシアで使っていたユリウス暦がある。ロシア社会主義革命を「十月革命」と呼んでいたけど、グレゴリオ暦では11月になるので、今の教科書では「十一月革命」とも書いてある。ソ連時代には「ソビエト連邦暦」という不思議なものもあったという。実は仏教にも「仏暦」がある。釈迦の死んだ年を元年とするものだが、面倒なことにタイやカンボジア、ラオスでは紀元前543年が仏暦元年、ミャンマーやスリランカでは紀元前544年が仏暦元年と一年違っているという。これじゃ面倒で使いようがない。
現代の日本でも「西暦はキリスト暦だから、天皇を頂くわが国では元号を使うべし」とか言ってる人がまだいるようだ。でもこの問題はもう解決済みだろう。昔ビデオテープの方式にVHSとベータというのがあった。ソニーが開発したベータの方がいいんだといつまでも主張する人もいたけど、世界の大勢はVHS方式になってしまった。僕が今でも持ってる昔のビデオは全部VHS。でもいつの間にかビデオテープというもの自体がなくなって、DVDになってしまった。ビデオプレーヤーはもうどこも作っていない。西暦も同じで、良いも悪いも世界がそうなってるんだから仕方ない。
世界各国は皆西暦表記を使ってるんだから、行政文書が元号だと面倒なだけ。頭の中で西暦に変換しないと歴史を通じた何十年単位の発想ができない。これは大変な「非関税障壁」だ。こういう問題にこそ「生産性」という言葉を使うべきなのである。行政に対する文書をいちいち元号で書いてるとすれば、それだけで生産性を低くしてしまう。百年単位で途切れることがない西暦を使わないと、百年単位の発想ができないのである。歴史を数直線上に表す場合、一番簡単なのが西暦。歴史上の出来事を「比較する」ためには西暦を使うしかない。この先がまだあるんだけど、長くなったからこの辺で。この程度のことは歴史の授業で最初にふれるべきだ。
「西暦」は「西洋暦」のことだが、もともとはキリスト教世界であるヨーロッパでできた「キリスト紀元」である。もっとも歴史学の立場では、イエスの誕生は紀元前4年だろうと考えられている。(なお、イエスを救世主(キリスト)と信じる宗教がキリスト教なので、授業ではイエスとしか言わない。)日本では太陰暦(旧暦)による明治5年12月6日を、明治6年1月1日とする太陽暦に変更した。だから西暦1873年と明治6年は全く同じ年である。今じゃ当たり前すぎて意識しないけれど、西暦以外の暦を残している国では両者が全然違うことが多い。
日本では西暦と元号が全く同じ年月日となり、どっちで表記しても同じだから、「どっちを使うか問題」が逆説的に生じてくる。元号を使う暦が太陰暦のままだったなら、「伝統として残そう」という人がいたとしても、主要な行政文書は西暦にするしかなかっただろう。次の元号がどうなるか、早く発表することに反対する勢力があるので、今どんどん西暦の使用が広がりつつある。運転免許証も西暦表記にするそうだし(2019年3月頃から)、鉄道の定期券などもそうだ。「平成33年まで有効」なんて免許証はおかしいし、居住する外国人も増えているのだから当然だろう。
新元号を「早く発表することに反対する勢力」とは、普通に考えたら元号廃止派かと思うと、そうじゃない。「天皇絶対主義者」の方が現天皇の間に新元号を決めることに反対している。その結果、元号自体が使われなくなるわけである。まあ世の中はそういうもんだから放っておけばいいと僕は思っている。今後はますます西暦表記じゃないと生活が不便になってくる。もう平成と西暦をすぐ変換できる人の方が少ないだろう。今後は「昭和57年生まれの人は新元号14年に何歳になるのか」と言われても、もう誰も判らない。1982年生まれは2032年に50歳になるというだけの計算だから、西暦なら誰でも暗算できる。行政文書も西暦にしないと理解できなくなる。
世界には西暦以外にもいくつかの暦が存在している。「イスラム暦」(ヒジュラ暦)はその代表だが、ここでは詳しい解説は省略する。イスラム教の正しい理解を広めるのは歴史教育の大きな課題だが、だからと言ってイスラム暦だけで世界を理解することはできない。何しろ太陰暦なので、毎年ずれてくるのである。2018年10月12日は、ヒジュラ暦1441年2月1日になるらしい。(自動変換サイトが存在するので今調べてみた。)これでは日本の生活ができない。でも、そういうカレンダーが世界にあるということは知っておいた方がいい。
(イスラム暦カレンダー)
キリスト暦にも通常の西暦であるグレゴリオ暦と、帝政ロシアで使っていたユリウス暦がある。ロシア社会主義革命を「十月革命」と呼んでいたけど、グレゴリオ暦では11月になるので、今の教科書では「十一月革命」とも書いてある。ソ連時代には「ソビエト連邦暦」という不思議なものもあったという。実は仏教にも「仏暦」がある。釈迦の死んだ年を元年とするものだが、面倒なことにタイやカンボジア、ラオスでは紀元前543年が仏暦元年、ミャンマーやスリランカでは紀元前544年が仏暦元年と一年違っているという。これじゃ面倒で使いようがない。
現代の日本でも「西暦はキリスト暦だから、天皇を頂くわが国では元号を使うべし」とか言ってる人がまだいるようだ。でもこの問題はもう解決済みだろう。昔ビデオテープの方式にVHSとベータというのがあった。ソニーが開発したベータの方がいいんだといつまでも主張する人もいたけど、世界の大勢はVHS方式になってしまった。僕が今でも持ってる昔のビデオは全部VHS。でもいつの間にかビデオテープというもの自体がなくなって、DVDになってしまった。ビデオプレーヤーはもうどこも作っていない。西暦も同じで、良いも悪いも世界がそうなってるんだから仕方ない。
世界各国は皆西暦表記を使ってるんだから、行政文書が元号だと面倒なだけ。頭の中で西暦に変換しないと歴史を通じた何十年単位の発想ができない。これは大変な「非関税障壁」だ。こういう問題にこそ「生産性」という言葉を使うべきなのである。行政に対する文書をいちいち元号で書いてるとすれば、それだけで生産性を低くしてしまう。百年単位で途切れることがない西暦を使わないと、百年単位の発想ができないのである。歴史を数直線上に表す場合、一番簡単なのが西暦。歴史上の出来事を「比較する」ためには西暦を使うしかない。この先がまだあるんだけど、長くなったからこの辺で。この程度のことは歴史の授業で最初にふれるべきだ。