尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

死刑囚と向き合う映画「教誨師」

2018年10月21日 22時26分34秒 | 映画 (新作日本映画)
 佐向大(さこう・だい、1971~)原案・脚本・監督で作られた映画「教誨師」(きょうかいし)は、とても重いけれど考えさせられる映画だった。2月に急逝した大杉漣の最後の主演作品だが、これほど「死刑」についてじっくり描いた作品も珍しい。ちょっと大変すぎる感じもするけど、大杉漣がよく期待に応えて奮闘している。それを見るためだけでも見に行く価値があると思う。

 大杉漣演じる佐伯保はプロテスタントの牧師で、とある拘置所で死刑囚の教誨師をボランティアで務めている。(宗教の教誨を受けるかどうかはそれぞれの死刑囚の自由で、キリスト教以外の仏教、神道などの教誨師なども選べる。)佐伯牧師の教誨は6人の死刑囚が受けているが、動機は様々なようである。男5人、女1人だが、それぞれの罪状は違っている。だんだん判ってくるが、福祉施設の大量殺人、暴力団組長、ストーカー殺人などもいるようである。

 映画は佐伯の回想シーンが後半で出てくるけど、ほぼ全編が教誨のシーン。対話だけで進んでゆく。ちなみに教誨は刑務官が一人つくだけで、大きな部屋で向き合って行われている。普通の面会のようなアクリル板越しの会話ではない。事件内容などの紹介はないので、セリフを聞きながら想像していくことになる。ある者は冗舌だが、ある者は無言。他人事のように事件を語る者もあれば、事件を正当化している者もいる。教誨と言っても、牧師に救いを求めているような死刑囚はいないのか。そんな無力感が佐伯を襲うときもある。

 実は佐伯にも重い過去があることが次第に判ってくる。子どもの時に兄が事件を起こし、その後自殺したようだ。貧しい育ちで高校にも行けなかったが、おじがクリスチャンだったという。そんなことも語られていくが、だからと言って佐伯に犯罪者の心が判るのか。しかし、だんだん佐伯にも「そばにいる」ことの大切さを実感していく。それが説得力を持って描かれている。

 死刑制度を直接描いているわけではないけれど、それでも見るものは死刑について考えざるを得ない。罪を感じていない者に「人の生命を奪ったことを悔い改めなないといけない」と言えば、では死刑制度も人の生命を奪うことではないかと反論される。同情すべき事情がある死刑囚なら、それでも死刑なのかということになる。そして、ある時ついに執行命令が下る。佐伯にも同席して欲しいという要請があり、その日を迎える。

 佐向大監督は、吉村昭原作の「休暇」の脚色を務めている。門井肇監督による2008年の映画で、死刑を執行する刑務官の世界を描いていた。「ランニング・オブ・エンプティ」(2010)などの監督作品があるが見たことはない。「教誨師」は佐伯を演じる大杉漣と6人の死刑囚役の演技合戦とも言える映画である。死刑囚役は、光石研烏丸せつこ古館寛治らがさすがの貫録で演じている。一方、映画初出演の玉置玲央や監督の友人であるという小川登が存在感を発揮している。もう一人は老人で恵まれない人生を送ってきた死刑囚を演じる五頭岳夫(ごず・たけお)で、青年劇場退団後「砂の器」以来の長い映画出演歴があるという。心に刻まれる名演だった。
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イスラエル映画「運命は踊る」

2018年10月21日 20時08分56秒 |  〃  (新作外国映画)
 イスラエルサミュエル・マオズ監督(1962~)の「運命は踊る」が上映されている。2017年のヴェネツィア映画祭の審査員大賞受賞作品。マオズ監督は2009年に「レバノン」でヴェネツィア映画祭金獅子賞を得た。1982年のイスラエル軍のレバノン侵攻に従軍した経験を自ら映画化したものである。全編が戦車内から見た映像で構成され、戦場の極限状況を描いた異色の映画だった。「運命は踊る」はそれ以来の第2作で、今度も重いテーマを扱っている。

 この映画はちょっと前に見て、書かなくてもいいかなあと思っていた。物語のモチーフそのもの、題名が示すような、まさに「運命は踊る」シチュエーションに納得できないところがあった。でも、とても貴重な映画だし、忘れがたい映像美で描かれている。イスラエルの置かれた状況などを理解するためにも紹介しておこうと思った。冒頭でテルアビブに住むある家庭を軍服姿の人物が訪れ、軍に入隊している長男、ヨナタンが戦死したと告げる。母親は卒倒してしまい、知らせに来た軍人は父親に決まった時間に水を飲めと言い残していく。

 父親はこの辛い知らせを認知症の母にどう知らせるか悩んだりする。少し時間が経つと、この戦死の知らせは誤報だったという知らせが入る。ヨナタン・フェルドマンという同名の兵士と混同してしまったというのである。父は激高して、息子を戻して欲しい、ちゃんと自分の目で見なければ信じられないと要求する。そのころ、息子は3人の同僚とともに北部で国境警備の仕事に就いていた。何もない砂漠の一角で道路を区切って警備する。ほとんど誰も通らず、時々ラクダだけが通る。ある夜に珍しく車が通り、ふとした展開からヨナタンはパニックになって銃を発射する。

 画面は冒頭から強い緊迫感に包まれている。その圧迫感を示すように、カメラの位置も真上から撮影するなど凝っている。監督のすぐれた手腕をうかがわせる映画だ。ここで示されるのは、イスラエル社会を覆う常に敵に取り巻かれていると思って過ごす緊張感だ。人々は世界のどこでも孤立しているが、特にここでは疑心に囚われやすい。軍の犯した犯罪行為がどのように隠蔽されるかも明らかにされている。そのため文化大臣はこの映画を非難したという。

 イスラエル映画は日本では映画祭などではアモス・ギタイ監督作品などがけっこう紹介されているが、あまり正式公開されない。昔「グローイング・アップ」(1978)という娯楽青春映画があった。12月には「彼が愛したケーキ職人」という同性愛をテーマにした映画が公開される。そういう映画もあるけれど、日本で公開されるのは、やはり戦争をめぐる重いテーマの映画が多い。レバノン戦争をアニメで描いたアリ・フォルマン監督「戦場でワルツを」という傑作があった。イスラエルはずっと右派政権が続き、パレスチナ和平も見通せない政治状況だけど、このような映画を見ると戦争を続ける自国への批判があることが判る。それを知ることは大事だ。
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