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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

銀座の新旧・三原橋、歌舞伎座から三吉橋

2013年03月09日 23時09分25秒 | 東京関東散歩
 あちこち歩くのが結構趣味なんだけど、まとめて写真を載せたりするのが面倒だった。でもカメラを持って自覚的に歩こうと思わないと、だんだん歩かなくなってしまう。そこで「カテゴリー」を作って、時々書きこむようにしたいと思う。まずは「銀座界隈」で、次回は「東京駅周辺」を予定。

 銀座界隈って言っても、今回は東銀座と銀座のはずれの三吉橋。このブログでも、三原橋の映画館銀座シネパトス閉館と言う話は何回か書いている。今、リクエスト特集と銀座映画特集をやってる。またこの映画館を舞台に作られた「インターミッション」と言う映画を公開中で、たくさん催しも行っている。映画館の閉館は今珍しくないけど、「三原橋地下街」そのものの再開発である。ここは昔は「三十間堀川」という江戸時代に掘られた人工河川が通っていた。数寄屋橋、三原橋など、銀座周辺に橋の名前だけ残っているが、もとはちゃんと川を渡る橋だったわけで、江戸が世界有数の美しい水の町だった証である。それが第二次世界大戦のがれき処理のため、戦後に埋め立てが始まり、地下街が形成された。それが東日本大震災による耐震建築の見直しで、再開発になる。
 家から地下鉄日比谷線で一本、東銀座駅で銀座方面に地上に出てすぐ。
   

 壁が今「インターミッション」の宣伝、色紙や感謝の言葉などであふれている。店もほとんど閉まっているけど、「三原」と言う食堂だけ、昔懐かしいようなメニューで営業している。入ったことがないので、閉まるまでに食べてみたい感じ。最近新聞なんかでもこの地下街が取り上げられて「昭和の名残りが消える」などと書いてある。僕はそれがよくわからない。「昭和」は「64年」まであった。もっとも大正15年12月26日と昭和64年1月8日に改元されたわけで、実質は「62年と2週間」だったのだが。(もっとも昭和天皇は1921年の末から摂政を務めていた期間もあるが。)昭和の最初の20年は戦争で、最後の頃は「バブル」である。この三原橋地下街には、戦時下の軍国主義の影もバブル期の華やかな面影もない。つまり「昭和」全部ではなく、高度成長以前の50年代、60年代っぽい感じが残るということだ。なんだか戦後にできたものが、バブルでオシャレに改造されなかった古い感じが今では珍しいということだろう。映画館も狭く、小さな画面に地下鉄の音がするという条件の悪さが「昔の名画座」らしいということになる。

 ところで東銀座と言えば、歌舞伎座である。今まで地下鉄駅とは結ばれていなかったが、今回の新築を機に直結した。歌舞伎座開業を前にもう地下通路は開通していて、お土産屋もいっぱいあって早くも賑わっている。地下鉄駅の歌舞伎座方面に大きな道が出来ていて、そこを少しくとちょうちんが下がっている広い空間に出る。その広場にお店が出てる。コンビニもあった。そこのちょうちんの右の方にチケット売り場がある。
  

 歌舞伎座そのものは裏にビルが出来ているが外見は昔をきれいに直した感じにまとまっている。今、みんながデジカメやケータイで写真を撮っているけど、これが難しい。近くからだと全景が撮れず、道の向こうに行くと車が映ってしまう。大きなトラックが通ると、半分見えない。なお、歌舞伎座の向かいあたりが、岩手県のアンテナショップ「いわて銀河プラザ」である。近くに群馬県の店もある。どちらも近くに来たら是非寄りたい場所。
 

 今日は東京大空襲の集会(昨年は行った)の他、行きたいところも多かったのだが、フィルムセンターで見逃していた「東京の人」という川端康成原作の日活文芸映画(西河克己監督)を見たかった。そこで、まずシネパトスで「恋人」という市川崑の初期作品を見て、東銀座から京橋まで歩いたわけ。その途中で、今まで行ってなかった三吉橋(みよしばし)に寄っていった。中央区役所と中央会館(銀座ブロッサム)を結ぶところにある橋で、下は首都高だけど、昔は築地川。そこに掛かる三つ又型の橋が三吉橋で、三島由紀夫「橋づくし」に出てくる橋と言えば、思い出す人もいるかと思う。願掛けで橋を渡るんだけど、三吉橋だと一つの橋で2回渡れる勘定ができるというところがミソ。その時代は木造だったが、もちろん今は改造されコンクリ橋になっている。でも「三つ又」と言う点は同じ。なお、今は向島に桜橋という隅田川に架かるX型の橋がある。ここを渡れば一回でもっと渡ったことになるんだろうか。
  
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「発達障害」を考えるための本

2013年03月09日 00時34分32秒 | 〃 (さまざまな本)
 昨年末に、入手しやすい新書本というスタイルで、「発達障害」に関する本が3冊も並んでいた。「流行り」というか、関心がある人が多いテーマなんだなあと思う。まとめて紹介したいと思いながら、年末年始はミステリーばかり読んでたので、後回しにされていた。「沈黙の町で」の書評の中で、「発達障害」に触れたということもあり、最近の新書本くらい読んでおかないといけないなあと思い、読み始めたらすぐに読んでしまった。やはり新書本は読みやすい。「パーソナリティ障害」に関する新書と合わせて紹介。杉山登志郎発達障害のいま」(講談社現代新書)の評も書いているので、参照を。

 読んだ本をまとめて紹介すると、
①青木省三「ぼくらの中の発達障害」(ちくまプリマ―新書、2012.11、840円)
②河野俊一「誤解だらけの『発達障害』」(新潮新書、2012.11、680円)
③平岩幹男「自閉症スペクトラム障害」(岩波新書、2012.12、760円)
④牛島定信「パーソナリティ障害とは何か」(講談社現代新書、2012.11)

 ②の河野著は①③とちょっと立場が違っていて、発達の遅れを抱える子供を対象にした「学習指導室」を開き、700人の子どもたちを指導してきたという人の本。いわゆる「学者」の本ではない。研究による「障害の解説」は出てこない。その代り、「教育」により障害は改善していく、だから「発達障害」ではなく「発達の遅れ」と呼ぶという考えで書かれている。「発達障害」は、「精神疾患」ではないので、薬で抑えたり治したりということより、粘り強い働きかけで「発達」を促していくことで社会への順応性を育てるというのは正しいと思う。だから、今子育てで悩んでいるという親、あるいは受け持ちの生徒に困惑しているという教師なんかが読むと得るところがあると思う。

 でも、僕は脳の器質的問題で「遅れ」が生じているのは明らかだから、それは「障害」と呼んで捉えるべきだろうと思う。むろん、「障害」という漢字表記に問題はあると思うし、「障がい」と呼ぶか、「障碍」と言う古い字を使うか、全く違う言葉に変えていくか(「統合失調症」が定着したように)は、いろいろ考えるべき問題だろう。そのことは僕は当事者でも専門家でもないので、決まった考えはないので、今のところ「発達障害」という言葉を使うことになる。この「発達障害」と言う考え方がどのように、見いだされ定着していったかは、特に岩波新書の平岩著で詳しく知ることができる。この問題の本を読んでいると、アメリカ精神医学会の診断ガイドラインというのがよく出てきて、これを「DSM」と言うわけだが、日本でもよく耳にする「アスペルガー障害」というのも、このアメリカの診断基準の中に出ているわけである。今まで様々な種類に分類されてきた発達障害も、実は連続した障害と捉えるべきだという考えが強くなり、今年2013年に発表されることになっている、DSMの第5版では「自閉症スペクトラム障害」と言う呼び方になると言う話である。そこで③の署名もさっそくその言葉で書かれている。③の本は、さすがに岩波新書で、中では一番難しい。けれど学説史的な説明があるのと、様々な療育法が紹介されているので、細かく正確に知りたい場合は一番じっくりと読むべき本だと思う。

 発達障害の人が増えているのかどうかと言う問題が、よく話題になる。③の本は、「診断基準がはっきりしたために、発達障害と言う診断が増えた」と言う理解だと思う。と同時に、44ページに説明されているように、「コア群」「グレーゾーン群」「カテゴリー群」に分けて考えるべきだと言っている。「コア群」は自閉症による症状があり、社会生活上困っている人で、これはやはり1~3%。「グレーゾーン群」はなんとかサポートがあれば生活していける層で、ここまで入れれば5%くらい。その周りに、「カテゴリー群」があり、自閉症の診断は受けたが、ほぼサポートもなく学校に通えるようになっている層。ではもう「障害」と言う必要はないわけだが、それでもいじめなどにあうと引きこもりになって「コア群」に逆戻りもある。そういう層まで含めれば、10%位かとある。このように考えると、「増えているか」というのは「どの層まで対象にして考えているか」の問題と言う理解になる。

 一方全く違う考え方をするのは、①の青木著世の中が変わって、「コミュニケーション能力」がこれまで以上に問われるような社会になった。これは1次、2次産業の社会から、圧倒的に第3次産業の就業者が増えたということでもあるし、「グローバル化」とか「能力社会化」という言い方もできる。農業や漁業で生きていく社会や、工場のラインで働くような労働だったら、多少コミュニケーション能力の不足があっても、飲み会では「付き合いづらい」とか思われたとしても、仕事はなんとかこなせた。一方、顧客との柔軟な対応が日々問われてマニュアル通りに対応するだけでは済まない仕事にそういう人が付けば、「あの人は何だ」ということになる。学校でも、ただ座って話を聞いてればいれば何とかなるという授業ではなくなり、「総合学習」のような「意欲や関心」が問われ、調査能力、発表能力が問われる機会が増えた。そういう社会の変化が背景にあって、「コミュニケーション能力の不足」が大きなマイナスになる時代となった。だから「発達障害」の子どもが目につくようになったという風に理解するのである。これは21世紀に入ってからの、「総合学習」の導入とか「新学力観」という考え方などが学校に入った頃から、特に「発達障害」の子どもが目についてくるようになったという教育現場的な実感からすれば、かなり納得できる考え方ではないかと思う。

 ちくまプリマ―新書というのは、若い世代向けの新書なので、この「ぼくらの中の発達障害」が圧倒的に判りやすい。発達障害の子どもたちに向けたアドバイスの章もあって、一冊読むならこの本。学校や仕事だけでなく、恋愛で悩んでいる人へのアドバイスもある。その章は、ゴシック体で書かれているのも大事なことである。発達障害の人は「明朝体が苦手」だという。僕も定時制の学校では、試験問題を大きな字にしたり解答用紙を使わないようにしていたが、字体までは配慮していなかった。この点は学校現場で生かしていくべき部分ではないか。(ただ、試験全体をゴシックにすると、かえって見え辛いと言う生徒もいるだろう。生徒心得とか学習のすすめ方のプリントなどに生かす方がいいと思う。)周囲の人へのアドバイスもあって、とてもためになる本である。発達障害に関して知りたいと思う人が最初に手に取るべき本だと思う。

 最後の④のパーソナリティ障害。学校現場で、リストカットをする少女や、摂食障害(拒食や過食)の少女、担任や一部の教員にべったりくっ付いていたと思ったら、何かで怒られたら手のひらを返したように攻撃性をむきだしにするとか、異性とのつきあいが異常に自己中心的な行動をしたり(中高生が好きな異性が出来て付き合うケースがあるのは当然だが、放課後に校門前で抱き合ってしまい、人目も気にせず石になったかのように動かず、はた迷惑だから帰れと指導されると自殺するなどと大声でわめき散らすなんてのは常軌を逸している)、そんなケースがいつの頃からか時々見られるようになった。こういうのが「パ―ソナリティ障害」で、教師にもそうだが医者にもかなり困った存在らしい。その障害をDSMの分類をもとに、少し日本の状況を踏まえて付け加えたりして、判りやすく分類し説明した本。よく「治らない」と言われてしまうが、ソーシャルスキルを丁寧に指導していくことで、かなり社会適応が出来ていくことが示されている。これも合わせて読むといいと思う。
   
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