吉田修一「横道世之介」(文春文庫)が映画化され、今公開中。見てから映画と一緒に書こうかと思ってたんだけど、「何者」を読んだので一緒に書いておく気になった。映画は沖田修一監督ということで、僕も「修一つながり」で是非そのうち感想を書きたいと思っている。その原作の「横道世之介」なんだけど、これは素晴らしく面白い青春小説ですね。これは今大学生をしてる人には皆読んでおいて欲しい。
吉田修一(1968~)という作家は、2002年に「パークライフ」で芥川賞を取った頃は、新鮮な感覚に魅了されてかなり読んだ。「最後の息子」とか「パレード」とか。その後しばらく読んでなかったが、「悪人」が評判になって読んだら大傑作。映画化された「悪人」も傑作だった。「横道世之介」は2009年に出されて、これも評判になったけど、文庫になってからでいいかと後回し。書名を見ただけでは、どんな小説か判らない。「世之介」って言って判る人がどのくらいいるか、これは井原西鶴「好色一代男」の主人公の名前である。そんな名前の人間が現にいるとは思えないから、これはニックネームだとばかり思ってたら、親に本当にそういう名前を付けられてしまった少年の物語だった。長崎の出身という設定も、他の多くの小説と共通するけど、作者と同じである。
横道世之介、18歳。東京の大学に合格し、上京して、マンションに着いたところ。そこから始まって、大学1年生の物語。1980年代半ばという設定も、作者の実体験を反映したものだろう。そこから友人ができ、自動車学校に通い、交際らしきものも始まり、夏休みに帰省。新学期となり、誕生日を迎え、学祭があって、クリスマス。こうして一年がだんだん経っていく。という時間軸に沿った物語の中に、突然「未来の物語」がインサートされる。これが最初は何なんだろうと思いながら読んで行くと、ラストの驚くような深く心動かされるエピソードにつながっていく。見事である。それぞれ実人生の中身は違っても、大学1年生が春から夏、秋から冬と季節を巡って生活していくことは同じだから、これは大学へ行った人なら皆何らかの心当たりがある体験談が多いのではないか。
世之介が付き合うお嬢様の話は抜群に面白い。帰省先でぶつかる出来事も心に残る。全体として、バブル直前の東京の学生生活が浮き上がってきて、懐かしい。どんどんスラスラ読める点では抜群の読みやすさで、それも大学1年だけを対象にしているからだ。「初めて」が多い時期の新鮮さ。そこに突然「未来」が割り込んでくる。青春のある時期に選択したことが、そのまま人生を決めてしまったり、いやいや人生はいろいろ回りまわっていたり、ちょっとした出会いが人生を変えてしまったり…。そういうことが人生にはあるんだという、当たり前だけど実際の人物で示されると心に刻まれる話がいっぱい。この時代は、まだ携帯電話もインターネットもなかった。なくて不便だったかもしれない。そういうシーンも多い。今ならケータイですぐ連絡できるのに…。でも、それがそんな不幸だったとは思えない。なければないで、手紙書いたり、直接会ったりすればいいんだし。
そういう意味で、朝井リョウ「何者」(新潮社)を読むと、ケータイやネットがあって今の若者はなんて不幸なんだろうと思った。ツイッターで発信した言葉がいっぱい詰まった小説だが、その結果お互いに傷つけ合う。その時間で本読んだ方が絶対いいと思う。この小説は、今期の直木賞受賞作だが、直木賞というのはエンターテインメント作家に与えられる賞のはずだが、この小説はなかなか「面白い」とは言いにくい。相当に「イタイ」話になってて、お互いに攻撃し合うさまが楽しく読める感じではない。この小説を一言でいうと、「就活のフォークロア」ということになる。いまどきの「シューカツ」って、こういう風になってるんだと、オジサンには初めて知ることばかり。就活にまつわる都市伝説みたいものをまとめた本と言える。もっと言うと、孤島「シューカツ島」に流された男女4人+1人がどう関係が変化していくかという社会実験をやった結果、傷つけ合う関係が広がったというような小説である。
構成としては「叙述ミステリー」みたいな感じで書かれていて、そこはうまいし、最後にちょっとビックリする。でも、僕にはよく判らない部分が多い小説だった。自分の「公式ツイッター」の他に、「裏ツイッター」みたいなのを書いてる人が何人もいて、実名では当たり障りなく書いておいて、匿名の方で容赦なく書く。これが判らない。どうして書くのか。それに、演劇やってたり、音楽やってたり、留学したりとかの学生ばかりで、しかも皆民間企業志望である。民間企業志望の人が集まって助け合おうかという最初の発想があるので当然なんだけど。でも公務員とか、大学院という人がいない。そこにある種の偏りが出てくる。僕はここで否定的に言われてしまう学生のありようは判らないではないけど、決して否定的にのみ考える必要はないと思う。今の就活に疑問を持つ方がまともだし、企業向きではない人材も、公務員や研究者やNPOなんかの仕事ではかえって活躍できるということがあると思う。家庭的事情で就職しないといけない人も多いと思うけど、そこは「横道世之介」を併読して欲しいと思う。20年もすれば人生はいろいろ変わる。何も大学卒業時だけが人生の選択ではない。
だから「何者」という小説で、判ったように登場人物が語っていることはちょっと「青臭い」。その時期を通り過ぎた人なら誰でも知ってるような話をお互いに交わしている。しかも全部空気を読んで発言し、行動しないといけない。これでは疲れるだろうと思うと、現に疲れている。そういう「イタイ感じ」を自覚的に作ってるところと、あまり自覚しないで書いているところがあるんではないかと思う。だから単純に面白いと思える小説ではなかった。
どっちの小説にも言えることだが、授業や本の話が出てこない。学部的にそうかという気もするが、理科系はだいぶ違うと思うし、文系でもこういうところばかりではないだろう。歴史系なら、歴史の本や歴史の話をしないことはないはずだ。それに今は授業の出席も厳しいし、レポートに追われたりという話もないとおかしい感じがする。卒業なら卒論はいいのかな。現実の大学生は、バイトもしてるけど、それなりに専門の勉強をしてると思うけど。今の学生、昔の学生、それに大学には行かなかった人、それぞれこの2つの小説をどう読むだろうか。
吉田修一(1968~)という作家は、2002年に「パークライフ」で芥川賞を取った頃は、新鮮な感覚に魅了されてかなり読んだ。「最後の息子」とか「パレード」とか。その後しばらく読んでなかったが、「悪人」が評判になって読んだら大傑作。映画化された「悪人」も傑作だった。「横道世之介」は2009年に出されて、これも評判になったけど、文庫になってからでいいかと後回し。書名を見ただけでは、どんな小説か判らない。「世之介」って言って判る人がどのくらいいるか、これは井原西鶴「好色一代男」の主人公の名前である。そんな名前の人間が現にいるとは思えないから、これはニックネームだとばかり思ってたら、親に本当にそういう名前を付けられてしまった少年の物語だった。長崎の出身という設定も、他の多くの小説と共通するけど、作者と同じである。
横道世之介、18歳。東京の大学に合格し、上京して、マンションに着いたところ。そこから始まって、大学1年生の物語。1980年代半ばという設定も、作者の実体験を反映したものだろう。そこから友人ができ、自動車学校に通い、交際らしきものも始まり、夏休みに帰省。新学期となり、誕生日を迎え、学祭があって、クリスマス。こうして一年がだんだん経っていく。という時間軸に沿った物語の中に、突然「未来の物語」がインサートされる。これが最初は何なんだろうと思いながら読んで行くと、ラストの驚くような深く心動かされるエピソードにつながっていく。見事である。それぞれ実人生の中身は違っても、大学1年生が春から夏、秋から冬と季節を巡って生活していくことは同じだから、これは大学へ行った人なら皆何らかの心当たりがある体験談が多いのではないか。
世之介が付き合うお嬢様の話は抜群に面白い。帰省先でぶつかる出来事も心に残る。全体として、バブル直前の東京の学生生活が浮き上がってきて、懐かしい。どんどんスラスラ読める点では抜群の読みやすさで、それも大学1年だけを対象にしているからだ。「初めて」が多い時期の新鮮さ。そこに突然「未来」が割り込んでくる。青春のある時期に選択したことが、そのまま人生を決めてしまったり、いやいや人生はいろいろ回りまわっていたり、ちょっとした出会いが人生を変えてしまったり…。そういうことが人生にはあるんだという、当たり前だけど実際の人物で示されると心に刻まれる話がいっぱい。この時代は、まだ携帯電話もインターネットもなかった。なくて不便だったかもしれない。そういうシーンも多い。今ならケータイですぐ連絡できるのに…。でも、それがそんな不幸だったとは思えない。なければないで、手紙書いたり、直接会ったりすればいいんだし。
そういう意味で、朝井リョウ「何者」(新潮社)を読むと、ケータイやネットがあって今の若者はなんて不幸なんだろうと思った。ツイッターで発信した言葉がいっぱい詰まった小説だが、その結果お互いに傷つけ合う。その時間で本読んだ方が絶対いいと思う。この小説は、今期の直木賞受賞作だが、直木賞というのはエンターテインメント作家に与えられる賞のはずだが、この小説はなかなか「面白い」とは言いにくい。相当に「イタイ」話になってて、お互いに攻撃し合うさまが楽しく読める感じではない。この小説を一言でいうと、「就活のフォークロア」ということになる。いまどきの「シューカツ」って、こういう風になってるんだと、オジサンには初めて知ることばかり。就活にまつわる都市伝説みたいものをまとめた本と言える。もっと言うと、孤島「シューカツ島」に流された男女4人+1人がどう関係が変化していくかという社会実験をやった結果、傷つけ合う関係が広がったというような小説である。
構成としては「叙述ミステリー」みたいな感じで書かれていて、そこはうまいし、最後にちょっとビックリする。でも、僕にはよく判らない部分が多い小説だった。自分の「公式ツイッター」の他に、「裏ツイッター」みたいなのを書いてる人が何人もいて、実名では当たり障りなく書いておいて、匿名の方で容赦なく書く。これが判らない。どうして書くのか。それに、演劇やってたり、音楽やってたり、留学したりとかの学生ばかりで、しかも皆民間企業志望である。民間企業志望の人が集まって助け合おうかという最初の発想があるので当然なんだけど。でも公務員とか、大学院という人がいない。そこにある種の偏りが出てくる。僕はここで否定的に言われてしまう学生のありようは判らないではないけど、決して否定的にのみ考える必要はないと思う。今の就活に疑問を持つ方がまともだし、企業向きではない人材も、公務員や研究者やNPOなんかの仕事ではかえって活躍できるということがあると思う。家庭的事情で就職しないといけない人も多いと思うけど、そこは「横道世之介」を併読して欲しいと思う。20年もすれば人生はいろいろ変わる。何も大学卒業時だけが人生の選択ではない。
だから「何者」という小説で、判ったように登場人物が語っていることはちょっと「青臭い」。その時期を通り過ぎた人なら誰でも知ってるような話をお互いに交わしている。しかも全部空気を読んで発言し、行動しないといけない。これでは疲れるだろうと思うと、現に疲れている。そういう「イタイ感じ」を自覚的に作ってるところと、あまり自覚しないで書いているところがあるんではないかと思う。だから単純に面白いと思える小説ではなかった。
どっちの小説にも言えることだが、授業や本の話が出てこない。学部的にそうかという気もするが、理科系はだいぶ違うと思うし、文系でもこういうところばかりではないだろう。歴史系なら、歴史の本や歴史の話をしないことはないはずだ。それに今は授業の出席も厳しいし、レポートに追われたりという話もないとおかしい感じがする。卒業なら卒論はいいのかな。現実の大学生は、バイトもしてるけど、それなりに専門の勉強をしてると思うけど。今の学生、昔の学生、それに大学には行かなかった人、それぞれこの2つの小説をどう読むだろうか。