大島渚の第2期は、自分の作った創造社で製作し、古巣の松竹で公開した映画。その時期からアートシアターで撮りまくった30代後半の時期は、「性と犯罪と想像力」の時代である。問題作ばかりで、世界的にもゴダールか大島かというような時代だった。ATG以外の作品をまとめて見る。
「悦楽」(65)は山田風太郎原作。中村賀津雄が家庭教師として教えていた加賀まり子を愛してしまう。昔加賀を襲った男が恐喝してきて、両親に頼まれた中村は金を渡すために男に会う。しかし男は二度としないとは約束しなかったので後をつけて、列車の中で男を殺してしまう。数日後、小沢昭一が下宿に現れ、殺人を目撃したと告げる。自分は中央官庁の官吏だが公金を横領して、もうすぐ捕まるが刑期は5年程度だろう、殺人をバラされたくなかったら横領金を預かってくれと言う。しかし、加賀は他の男と結婚してしまう。絶望した中村は死ぬ気になれば何も怖くない、金に手を付け好き放題生きて、小沢が現れたら自殺しようと決意する。そしてさまざまな女と出会い…、という不思議な設定で男と女とカネをめぐる寓話のような犯罪物語である。しかし、どうもあんまり面白くないなんだなあ。それは「性と犯罪」をテーマにしながらも、「想像力」による犯罪ではないということか。もう目の前に労せずして大金があって、その気になれば使ってしまえるという設定が面白くないのである。
その次は韓国の少年の日記をもとにした「ユンボギの日記」(65)という不思議な短編。貧しい韓国少年「ユンボギの日記」は当時のベストセラーで、大島が韓国で撮影してきた写真に、小松方正のナレーションがユンボギに語りかける。「忍者武芸帳」のような感じでもあるが、貧しかった時代の韓国を感じさせる。朴正煕政権で高度成長が始まる直前の、まさに日韓条約が結ばれた年の映画。
「白昼の通り魔」(66)を後にして「忍者武芸帳」(1967)を先に書く。ATGで公開された最初の大島作品。史上もっとも不思議な映画の一本で、白戸三平の有名な漫画を、その漫画の絵をそのまま映像で撮った作品である。登場人物が動いて見えるアニメーションではない。静止画像を移動撮影(一枚の漫画をクローズアップしてパンしていく)するという不思議な映画体験で、ある種の「美術映画」だ。原作は非常に長いが、主要人物の争いにしぼりこみ、セリフと音楽、ナレーションが入る。
(「忍者武芸帳」)
ナレーターは小沢昭一で、時代背景がよくわかる。林光の音楽が大変に素晴らしく、革命的ロマン主義のムードに浸れること請け合いである。戦国時代の謎の忍者一族、影丸と影一族。その活動目的は何か。今見ると歴史的に問題がある描写(原作に由来する)もあるが(例えば出羽の伏影城に1560年時点で立派な石垣があったはずがない)、そういう細部の問題は超えて、民衆の革命的伝統への期待と信頼をうたい上げる映画になっている。信長政権と徹底的に対決した影丸一族の敗北が、身分制度と民衆の分断をもたらしたという「裏の権力闘争」だけで進む「階級闘争史観」。問題なんだけど、若い時に一度は見ておいてもいいのではないか。
この時期は僕の一番好きな作品が多い。「白昼の通り魔」「日本春歌考」「絞死刑」「少年」など。「白昼の通り魔」(66)は、戦後民主主義の理想の崩壊を見事に形象化した傑作である。この映画の魅力と重要性は現在の方が良く伝わると思う。中学教員の小山明子が黒板に「自由 平等 権利」と書く場面の痛切な痛みは忘れがたい。冒頭、高級住宅地で女中をしているシノ(川口小夜)のところに英助(佐藤慶)が押し入る。シノは犯され、女主人は殺害された。シノは彼が「白昼の通り魔」として殺人を重ねている犯人だと確信したが、警察にはあいまいに話す。一方、英助の妻となっていた中学教員マツ子(小山明子)には手紙で知らせる。
話が昔に戻ると、戦後の村で青年たちが毎晩のように集まって理想に燃えて語り合っている。新しい農村経営に夢を持つ青年たちの中心に、教師のマツ子や村長の息子、源治(戸浦六宏)がいる。シノは源治に金を借りていたが、源治はシノが好きだった。村議選に出た源治はトップ当選するが、シノの心を試すかのように心中を持ちかけ、シノもふと同意して山の木で首つりをする。英助は二人の後をつけるが、シノは枝が折れて失神しただけで助かる。英助は源治を見殺しにし、その死体の下でシノを犯す。恋愛の無償性を教えていたマツ子は、事故死として処理する村のやり方に納得できないまま、英助と結婚する。一人生き残ったシノは村にいられなくなった。そういう過去があったのである。修学旅行で大阪に来たマツ子はシノに出会うが…。最後は二人で裁判を傍聴し死刑判決を確認して、理想の喪失に絶望したマツ子はシノに心中を再び持ちかけるが、今回もシノは生き残ってしまう。
(「白昼の通り魔」)
このように筋書きを書いているだけでは、なんだか判らないかもしれない。確かに筋としては、源治がなぜ死ぬのか、英助がなぜ殺人魔になるのか、マツ子と英助がなんで結婚したのか。どうも判らない点が多い。しかし、高田昭の撮影(非常に白っぽいモノクロ)や林光の音楽とあわせて、「性と犯罪」に「想像力」を重ねて感じて見ると、何となく判る気もしてくる。単に肉欲と殺人衝動による犯罪のように見えるが、「死なない肉体」を持つシノ=民衆の原像を犯すしかない英助は、仮死状態のシノを犯した時にだけ生きている実感が得られる。彼は犯罪を繰り返すが、実はそれは「想像力の犯罪」だった。それこそが「愛の無償」を掲げた戦後の「理想主義の敗北」なのである。こういう理解が正確かどうかはともかく、映画を見ている間中、何かが間違ってしまった、我々の愛と理想はどこで間違ってしまったのか、今や傷つけ合うだけになってしまった「過去」を取り戻すことはできるのかという切実な問いを突きつけられていると感じる。方法的にも思想的にも難解なんだけど、そういう痛切な痛みが全篇にあることは否定できない。それが映画として心に残る由縁だろう。
「忍者武芸帳」をはさみ、次の作品「日本春歌考」(67)は、昨年小山明子映画祭で見て「小山明子映画祭と大島渚の映画」に書いたので、そちらを参照。僕はこの映画が好きだけど、何回見ても面白いと思う。冒頭の大学受験の場面の雪一色の白いシーンが美しい。その雪の日に、紀元節復活反対の「黒い日の丸」のデモが行われている。先頭に戸浦六宏、渡辺文雄、観世栄夫などがいるので、当然これは映画のためのデモシーンだ。それでも67年の「紀元節復活」=「建国記念の日」に対する反対運動を伝える貴重なシーンだと思う。この映画は「革命歌」対「軍歌」対「春歌」という民衆史の構図に、「ベトナム反戦フォークソング」を対置し、さらにそこに在日韓国人少女と思われる設定の吉田日出子歌う「満鉄小唄」を置く。「歌に見る日本民衆の分断状況」が心に刺さる。
(「日本春歌考」)
同時に男子高校生による「美女受験生」との性願望の想像を「想像力による犯罪」として再現し、想像力は現実を乗り越えられるかと問う映画でもある。高校生世代と年長世代(伊丹一三や小山明子)の対立を描くという意味で、初期大島映画の世代論が復活している。主演の高校生荒木一郎は1944年生まれで高校生はかなりきつい。吉田日出子も同じだが。でも高校生の年齢の俳優では、この複雑な映画は無理だったろう。美人受験生役の田島和子は、故草野大悟の夫人。串田和美や宮本信子も高校生役で出ていて、貴重な映像である。大島映画はほぼすべてで犯罪が関わってくるが、「想像力」で犯罪を再現しようとする発想では、この映画と「絞死刑」が突出している。
次の「無理心中日本の夏」(67)は非常に判りにくい「前衛映画」だが、近年のテロ事件を経て少し判りやすくなったかもしれない。映像的には白黒で都会を美しく撮影し、そこに何か深い意味があるのかなと見ていくと、何だかよくわからない銃撃戦になる。男を求めるフーテン娘ネジ子(桜井啓子)と死にたい男佐藤慶が出会うが、ヤクザの武器発掘を見て拉致される。ヤクザの出入りがあるらしいが、そこに白人青年の銃撃テロが発生して出入りは中止、人を撃ちたい高校生(田村正和)や数人が白人青年のところに合流し…。なんか皆衝動的に行動しているから、最後まで判りにくい。そういう死にたかったり殺したかったりする人間の衝動を通して「暴力の根源」に迫ろうという意図なんだろうか。でもまあ中途半端で、判ったような判らないような、やっぱり何だったんだろうなという映画である。
「絞死刑」をはさんで次作の「帰ってきたヨッパライ」(68)も同じように、これは何だったんだろうという映画。大島渚の中でも一番不可思議な映画だろう。当時大ヒットしたフォーク・クルセイダーズの大ヒット曲の名を借りて、フォークル主演で作られた一種の「アイドル映画」。でも冒頭に「この映画は途中で同じ場面が出てくるけど、これは監督の意図です」みたいな字幕が出る。実際に途中でビデオを巻き戻した感じで同じ場面に戻る(少し違ってくるが)ので、終わったと思った観客が途中で席を立ったという話がある。発売中止になって問題化していた「イムジン河」も歌われている。後に「パッチギ」で取り上げられた、南北朝鮮の平和を求める歌である。
(「帰ってきたヨッパライ」)
福岡の海で遊んでいたフォークルの3人が服を盗まれる。それはベトナム戦争への派遣を拒否して日本にきた韓国兵(佐藤慶)と学生だった。そこから両者の追いつ追われつの、現実なんだか幻想なんだかの追いかけっこが始まる。この設定は、実際にベトナム戦争を拒否して日本に亡命を希望した韓国兵金東希という実在の人物から来ている。日本と韓国の「同じことが繰り返す」現実の関係を想像力の中で再構成した、と深読みできないことはないけど。でもやっぱり異色の失敗作なんだろう。フォークルは、故加藤和彦、北山修、故端田宣彦(はしだ・のりひこ)の3人で、和製フォーク、インディーズ音楽の始まり。その後、北山修は「戦争を知らない子どもたち」を作り、時代の旗手となった。北山、加藤は日本のジョン・レノン、ポール・マッカートニーで、若き日の肖像が映画で残されているのは貴重だ。
「悦楽」(65)は山田風太郎原作。中村賀津雄が家庭教師として教えていた加賀まり子を愛してしまう。昔加賀を襲った男が恐喝してきて、両親に頼まれた中村は金を渡すために男に会う。しかし男は二度としないとは約束しなかったので後をつけて、列車の中で男を殺してしまう。数日後、小沢昭一が下宿に現れ、殺人を目撃したと告げる。自分は中央官庁の官吏だが公金を横領して、もうすぐ捕まるが刑期は5年程度だろう、殺人をバラされたくなかったら横領金を預かってくれと言う。しかし、加賀は他の男と結婚してしまう。絶望した中村は死ぬ気になれば何も怖くない、金に手を付け好き放題生きて、小沢が現れたら自殺しようと決意する。そしてさまざまな女と出会い…、という不思議な設定で男と女とカネをめぐる寓話のような犯罪物語である。しかし、どうもあんまり面白くないなんだなあ。それは「性と犯罪」をテーマにしながらも、「想像力」による犯罪ではないということか。もう目の前に労せずして大金があって、その気になれば使ってしまえるという設定が面白くないのである。
その次は韓国の少年の日記をもとにした「ユンボギの日記」(65)という不思議な短編。貧しい韓国少年「ユンボギの日記」は当時のベストセラーで、大島が韓国で撮影してきた写真に、小松方正のナレーションがユンボギに語りかける。「忍者武芸帳」のような感じでもあるが、貧しかった時代の韓国を感じさせる。朴正煕政権で高度成長が始まる直前の、まさに日韓条約が結ばれた年の映画。
「白昼の通り魔」(66)を後にして「忍者武芸帳」(1967)を先に書く。ATGで公開された最初の大島作品。史上もっとも不思議な映画の一本で、白戸三平の有名な漫画を、その漫画の絵をそのまま映像で撮った作品である。登場人物が動いて見えるアニメーションではない。静止画像を移動撮影(一枚の漫画をクローズアップしてパンしていく)するという不思議な映画体験で、ある種の「美術映画」だ。原作は非常に長いが、主要人物の争いにしぼりこみ、セリフと音楽、ナレーションが入る。

ナレーターは小沢昭一で、時代背景がよくわかる。林光の音楽が大変に素晴らしく、革命的ロマン主義のムードに浸れること請け合いである。戦国時代の謎の忍者一族、影丸と影一族。その活動目的は何か。今見ると歴史的に問題がある描写(原作に由来する)もあるが(例えば出羽の伏影城に1560年時点で立派な石垣があったはずがない)、そういう細部の問題は超えて、民衆の革命的伝統への期待と信頼をうたい上げる映画になっている。信長政権と徹底的に対決した影丸一族の敗北が、身分制度と民衆の分断をもたらしたという「裏の権力闘争」だけで進む「階級闘争史観」。問題なんだけど、若い時に一度は見ておいてもいいのではないか。
この時期は僕の一番好きな作品が多い。「白昼の通り魔」「日本春歌考」「絞死刑」「少年」など。「白昼の通り魔」(66)は、戦後民主主義の理想の崩壊を見事に形象化した傑作である。この映画の魅力と重要性は現在の方が良く伝わると思う。中学教員の小山明子が黒板に「自由 平等 権利」と書く場面の痛切な痛みは忘れがたい。冒頭、高級住宅地で女中をしているシノ(川口小夜)のところに英助(佐藤慶)が押し入る。シノは犯され、女主人は殺害された。シノは彼が「白昼の通り魔」として殺人を重ねている犯人だと確信したが、警察にはあいまいに話す。一方、英助の妻となっていた中学教員マツ子(小山明子)には手紙で知らせる。
話が昔に戻ると、戦後の村で青年たちが毎晩のように集まって理想に燃えて語り合っている。新しい農村経営に夢を持つ青年たちの中心に、教師のマツ子や村長の息子、源治(戸浦六宏)がいる。シノは源治に金を借りていたが、源治はシノが好きだった。村議選に出た源治はトップ当選するが、シノの心を試すかのように心中を持ちかけ、シノもふと同意して山の木で首つりをする。英助は二人の後をつけるが、シノは枝が折れて失神しただけで助かる。英助は源治を見殺しにし、その死体の下でシノを犯す。恋愛の無償性を教えていたマツ子は、事故死として処理する村のやり方に納得できないまま、英助と結婚する。一人生き残ったシノは村にいられなくなった。そういう過去があったのである。修学旅行で大阪に来たマツ子はシノに出会うが…。最後は二人で裁判を傍聴し死刑判決を確認して、理想の喪失に絶望したマツ子はシノに心中を再び持ちかけるが、今回もシノは生き残ってしまう。

このように筋書きを書いているだけでは、なんだか判らないかもしれない。確かに筋としては、源治がなぜ死ぬのか、英助がなぜ殺人魔になるのか、マツ子と英助がなんで結婚したのか。どうも判らない点が多い。しかし、高田昭の撮影(非常に白っぽいモノクロ)や林光の音楽とあわせて、「性と犯罪」に「想像力」を重ねて感じて見ると、何となく判る気もしてくる。単に肉欲と殺人衝動による犯罪のように見えるが、「死なない肉体」を持つシノ=民衆の原像を犯すしかない英助は、仮死状態のシノを犯した時にだけ生きている実感が得られる。彼は犯罪を繰り返すが、実はそれは「想像力の犯罪」だった。それこそが「愛の無償」を掲げた戦後の「理想主義の敗北」なのである。こういう理解が正確かどうかはともかく、映画を見ている間中、何かが間違ってしまった、我々の愛と理想はどこで間違ってしまったのか、今や傷つけ合うだけになってしまった「過去」を取り戻すことはできるのかという切実な問いを突きつけられていると感じる。方法的にも思想的にも難解なんだけど、そういう痛切な痛みが全篇にあることは否定できない。それが映画として心に残る由縁だろう。
「忍者武芸帳」をはさみ、次の作品「日本春歌考」(67)は、昨年小山明子映画祭で見て「小山明子映画祭と大島渚の映画」に書いたので、そちらを参照。僕はこの映画が好きだけど、何回見ても面白いと思う。冒頭の大学受験の場面の雪一色の白いシーンが美しい。その雪の日に、紀元節復活反対の「黒い日の丸」のデモが行われている。先頭に戸浦六宏、渡辺文雄、観世栄夫などがいるので、当然これは映画のためのデモシーンだ。それでも67年の「紀元節復活」=「建国記念の日」に対する反対運動を伝える貴重なシーンだと思う。この映画は「革命歌」対「軍歌」対「春歌」という民衆史の構図に、「ベトナム反戦フォークソング」を対置し、さらにそこに在日韓国人少女と思われる設定の吉田日出子歌う「満鉄小唄」を置く。「歌に見る日本民衆の分断状況」が心に刺さる。

同時に男子高校生による「美女受験生」との性願望の想像を「想像力による犯罪」として再現し、想像力は現実を乗り越えられるかと問う映画でもある。高校生世代と年長世代(伊丹一三や小山明子)の対立を描くという意味で、初期大島映画の世代論が復活している。主演の高校生荒木一郎は1944年生まれで高校生はかなりきつい。吉田日出子も同じだが。でも高校生の年齢の俳優では、この複雑な映画は無理だったろう。美人受験生役の田島和子は、故草野大悟の夫人。串田和美や宮本信子も高校生役で出ていて、貴重な映像である。大島映画はほぼすべてで犯罪が関わってくるが、「想像力」で犯罪を再現しようとする発想では、この映画と「絞死刑」が突出している。
次の「無理心中日本の夏」(67)は非常に判りにくい「前衛映画」だが、近年のテロ事件を経て少し判りやすくなったかもしれない。映像的には白黒で都会を美しく撮影し、そこに何か深い意味があるのかなと見ていくと、何だかよくわからない銃撃戦になる。男を求めるフーテン娘ネジ子(桜井啓子)と死にたい男佐藤慶が出会うが、ヤクザの武器発掘を見て拉致される。ヤクザの出入りがあるらしいが、そこに白人青年の銃撃テロが発生して出入りは中止、人を撃ちたい高校生(田村正和)や数人が白人青年のところに合流し…。なんか皆衝動的に行動しているから、最後まで判りにくい。そういう死にたかったり殺したかったりする人間の衝動を通して「暴力の根源」に迫ろうという意図なんだろうか。でもまあ中途半端で、判ったような判らないような、やっぱり何だったんだろうなという映画である。
「絞死刑」をはさんで次作の「帰ってきたヨッパライ」(68)も同じように、これは何だったんだろうという映画。大島渚の中でも一番不可思議な映画だろう。当時大ヒットしたフォーク・クルセイダーズの大ヒット曲の名を借りて、フォークル主演で作られた一種の「アイドル映画」。でも冒頭に「この映画は途中で同じ場面が出てくるけど、これは監督の意図です」みたいな字幕が出る。実際に途中でビデオを巻き戻した感じで同じ場面に戻る(少し違ってくるが)ので、終わったと思った観客が途中で席を立ったという話がある。発売中止になって問題化していた「イムジン河」も歌われている。後に「パッチギ」で取り上げられた、南北朝鮮の平和を求める歌である。

福岡の海で遊んでいたフォークルの3人が服を盗まれる。それはベトナム戦争への派遣を拒否して日本にきた韓国兵(佐藤慶)と学生だった。そこから両者の追いつ追われつの、現実なんだか幻想なんだかの追いかけっこが始まる。この設定は、実際にベトナム戦争を拒否して日本に亡命を希望した韓国兵金東希という実在の人物から来ている。日本と韓国の「同じことが繰り返す」現実の関係を想像力の中で再構成した、と深読みできないことはないけど。でもやっぱり異色の失敗作なんだろう。フォークルは、故加藤和彦、北山修、故端田宣彦(はしだ・のりひこ)の3人で、和製フォーク、インディーズ音楽の始まり。その後、北山修は「戦争を知らない子どもたち」を作り、時代の旗手となった。北山、加藤は日本のジョン・レノン、ポール・マッカートニーで、若き日の肖像が映画で残されているのは貴重だ。