尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

我孫子市立中のミス、千葉県の高校入試

2013年03月15日 21時39分49秒 |  〃 (教育行政)
 学校が小説や映画に出てくるとき、いやあそれはないですねという場合も多い。岩井俊二監督の「Love Letter」(1995)という素晴らしい映画があったが、この映画ではある中学の2年4組に、藤井樹(いつき)という同姓同名の男女の生徒がいたことから、長い時間を掛けたドラマが始まる。それはロマンティックな物語で面白いんだけど、でもこの学校はなんでクラス分けでこの二人の生徒を分けなかったの?まあ、そういう疑問を持っても、このフィクションは十分に楽しめるけど。でも4組まであるのに、同姓同名の生徒を同じクラスにする学校は、全国どこにもないだろう。「藤井樹」は珍しいけど、「田中ユカ」とか「佐藤ユミ」とか、ユカやユミの漢字表記は違っても音にすると同じという生徒は、どこの学校にもいる。いない方がむしろ少ないだろう。そういう場合、選択教科の問題があったりしない限り、まず最初に別クラスに分けるだろう。

 風間一樹という若くして亡くなったミステリー作家がいるが、「男たちは北へ」という傑作がある。この小説は自転車で国道4号を北上する男が、自衛隊の秘密とからんでくるという話だが、同じように自転車で旅をしている少年も出てきた。中学の教員が高校入試の願書を出し忘れて都立高校へ入れず、高校浪人しているという設定である。これがおかしい。東京では、中学教員がまとめて願書を出すということがない。僕が受験した1971年の時も、自分で願書を出しに行った。もちろん自分が教員をしていた83年以後も、そんな学校はどこにもない。それ当たり前だと僕は思ってきたが、いつか千葉県で中学教員が願書を出し忘れたというニュースを見たから、それが話の基にあるんだろう。この千葉県の高校入試をめぐるミスが、今年も報道されている。

 千葉県我孫子(あびこ)市の中学が内申書作成にあたってミスがあり、合格するべき生徒が落ちていたという。この問題を取り上げて、何が問題なのかを考えてみたい。この事態を生んだ原因は、20代の男性教諭が1人で1年の成績を整理し、転記する際に数学の成績を理科、保健体育の成績を技術家庭に誤入力したことにあると報道には書いてある。違うでしょ。「誤入力」は誰でもある。私は絶対にないという人はどこにもいないでしょ。だから、このような重大な仕事の場合は、二重三重のチェック体制を取るはずである。この学校だって、全然チェックしなかったわけでもないだろう。でも打ち込んだ本人任せのチェックか、どういう体制が判らないが、チェックが不十分だった。「誤入力」ではなく、「チェック体制の不備」が原因である。チェック体制が整っていなかったか、あるいはどういうチェックをするのか学年任せになっていたりしたら、それは管理職の責任が大きいと思う。

 そういうチェックの問題こそ報道が追及するべきだが、それよりももっと大きな問題がある。千葉県では中学1年の成績が高校入試に影響するのか?しかも、生徒257人中115人で記載ミスが見あったというが、88人が低く間違われていて、そのうち24人が不合格だったとある。それは「オール5」の生徒が「オール2」だったりすれば不合格かもしれないが、最大の生徒でも「4」のマイナス幅だという。それだけで4分の1の生徒が落ちるのか??この入試制度の方がおかしいのではないか。大体、中学1年の成績が高校入試にいるのか。東京都ではそういう制度になったことがないので、これは異様な制度に思うのだが、全国ではかなりあるのだろうか。それは中学1年の時からマジメに勉学に励んできた生徒が大事にされるべきかもしれないが、点数化するのは中学3年のときだけでいいのではないか。英数国など、つみあげてだんだん難解になっていくわけで、その中3段階の上に高校の勉強がある。だから本来、中3の成績を確認すればいいはずである。社会科のように地理や歴史が好きだけど、公民分野の政治経済は不得意という生徒もいる場合もあるが。当日のテストも当然あるんだろうから、その点数にもよるけど、それにしてもここまで1年生の成績が影響すると、途中で不登校だったり、健康を害したりした生徒が不利になり過ぎるのではないか。

 というようなことを僕は思った。細かい制度を知りたかったらもっと調べられるんだろうけど、千葉県の高校入試制度を批判することが趣旨ではない。ただ、その地域に住んでいると、その地域の制度が当たり前に感じるかもしれないが、中学1年の成績は使わない地域も多いはずである。そこから考えるべきだという話。もちろん中1の成績を使わないと、逆に中3の成績の比重があがる。でも高校に直結した中学3年の成績が高校に重視されるのは当然だ。一方、人間がやる限り、書類にはミスが必ずある。そのチェックがどうなっていたかこそ大事な問題なので、マスコミは書くならそっちを書いてほしい。

 ニュースで学校の問題が報道されるのは、学校に問題が起こった時である。報道されていないほぼすべての学校では、大きなミスも事件もとりあえずなく、卒業の季節を迎えている。震災被災地や問題が報道された学校の卒業式は報道もされる。大変だなあと思うけど、日々はどんどん過ぎ行く。そういう日常の営為が尊いんだと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする