「ベルリン・アレクサンダー広場」をユーロスペースで上映中。西ドイツ(当時)のライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督が1980年に作ったテレビ映画、1929年に出版されたデーブリンの原作を映像化した13話とエピソード。15時間の超大作である。噂にたがわぬ面白さ。ファスビンダーは作品が多すぎて見てない映画が多いが、これが代表作という人もいるのがよく判る。順番に見ないと判らないから土曜は12時から全4回続けて観た。入れ替え時間がほとんどなく、朝食べた後8時半ころまで食べられず。しかも最初の2回は立ち見で、通路に座ってみるというテント芝居かという感じ。だんだん座れるようになってきて、日曜日は土曜日の半分ほどの人数に減ってきた。でもその人々は僕と同じく、土日で全部見てる人だろう。僕は全回鑑賞券を買っていたので、順番に全部見ないといけない。最後のエピソードは、22日のレイトショーで見て、ようやく全話完結である。
テレビ映画というのは、テレビ放映向けに製作された映画で、テレビドラマと映画では画質が大きく違ったし、茶の間で子どもも見るかもしれないテレビでは配慮がいる。画面が小さなテレビではロングショットは避けないといけないので演出上の違いが出てくる。でも、映画というソフトはテレビ放映に重要だから、テレビ局が出資して放映目的に映画を作ることは結構ある。70年代では「フェリーニの道化師」とかスピルバーグの「激突!」などは、好評のため日本で劇場公開されてベストテンに入選している。日本でも小林正樹監督の「化石」はテレビ向けに作られた後で、再編集されて劇場公開された。中でもファスビンダーのこの作品は、テーマ的にも芸術的にも長さの点でも重要な作品と言われてきた。今までもアテネフランセ文化センターなどで公開されたことがあるが、今回ドイツでデジタル・リマスター化され、日本でもソフトが発売された。元がテレビなんだから、DVD鑑賞でもいいと思うけど、まとめて劇場で見る方が安いし、一度に見る気になる。
僕がこの映画を見たかったのは、昔からワイマール共和国時代のベルリンの「爛熟」した都市文化に関心があったから。例えばマレーネ・ディートリッヒとか映画「カリガリ博士」とか。その怪奇と幻想の世界を栄養にして、猥雑で混乱した文化への対抗としてナチスが支持されたという解釈がよくされていた。70年代には、今振り返るべきは「30年代」か「20年代」かという、今では不毛の論争みたいなものもあった。原作はドイツ最高にして唯一の都市小説という話で、ナチスの政権獲得直前の騒然、雑然とした情勢が反映されているのは間違いない。ただし発表は1929年でナチス後は出てこない。デーブリンはユダヤ人だったから33年にはパリに亡命するので、当然である。原作はぼう大で読んでないけど、映画に関しては都市の街頭を描くというより、都市下層民衆の愛と犯罪を描く大ロマンという感じである。
光と影をくっきりと印象付ける撮影、抒情的な音楽に合わせて、主人公フランツ・ビーバーコップの流れゆく人生が始まる。フランツは恋人のイーダを殴り殺し、4年間の刑務所暮らしを終えて今出所した。そこから「まっとう」に生きることを誓いを立てながら、時には犯罪に関わり、友人を信用し過ぎて間違った道を歩む。時には女たちを渡り歩き、酒におぼれ、ナチスの新聞を配ったり、左翼の集会に出たりする。街頭の商売をやるときもあるが、大体は失業者で、戦間期ドイツの最大の問題だった失業をめぐる話でもある。だんだん友人と思っていた犯罪集団との関わりで身を滅ぼしていく様が冷徹に描かれている。一端は車から落とされ片腕を失うが、本人は仕方なかったと考えてしまう。主人公フランツを演じるギュンター・ランブレヒトという俳優の、心の内面のないような演技が素晴らしい。何度かの出会いを経てフランツとの関わりが続く愛人のエバにハンナ・シグラの名演。それより女をとっかえひっかえし、フリッツが最後まで信じ続ける悪党のラインホルトを演じたゴットフリート・ヨーンが正体をつかめない悪党の姿をリアルに演じて圧巻である。
1話が82分、エピソードが111分の他は、2話から13話まで大体58分か59分。こういうのがテレビ映画だが、その分話は長くなるが各回に起承転結めいた流れがあるから、退屈しないで見られる。ファスビンダーは演劇は映画のように演出し、映画は演劇のように演出したという。演劇は日本では見られなかったが、映画を見る限りなんとなく納得できる感じがする。今回はテレビ映画なので、演出が判りやすい。ただ中身は犯罪やセックスや飲酒の場面の連続で、テレビだからどぎつくはないんだけど、だいぶ西ドイツでは論議になって深夜にしか放送できなかったと書いてある。原作はやはり都市小説らしいけど、このテレビ映画はほとんど室内劇として作られている。最後のエピソードだけが、幻想的と言うか、フランツの夢の世界でフランツの半生を裁く冥界めぐりになっている。とにかく面白かったけど、主人公が友人関係を学ばずにだんだん悲劇が近づいてくるのが見ていてわかる怖い映画だった。
テレビ映画というのは、テレビ放映向けに製作された映画で、テレビドラマと映画では画質が大きく違ったし、茶の間で子どもも見るかもしれないテレビでは配慮がいる。画面が小さなテレビではロングショットは避けないといけないので演出上の違いが出てくる。でも、映画というソフトはテレビ放映に重要だから、テレビ局が出資して放映目的に映画を作ることは結構ある。70年代では「フェリーニの道化師」とかスピルバーグの「激突!」などは、好評のため日本で劇場公開されてベストテンに入選している。日本でも小林正樹監督の「化石」はテレビ向けに作られた後で、再編集されて劇場公開された。中でもファスビンダーのこの作品は、テーマ的にも芸術的にも長さの点でも重要な作品と言われてきた。今までもアテネフランセ文化センターなどで公開されたことがあるが、今回ドイツでデジタル・リマスター化され、日本でもソフトが発売された。元がテレビなんだから、DVD鑑賞でもいいと思うけど、まとめて劇場で見る方が安いし、一度に見る気になる。
僕がこの映画を見たかったのは、昔からワイマール共和国時代のベルリンの「爛熟」した都市文化に関心があったから。例えばマレーネ・ディートリッヒとか映画「カリガリ博士」とか。その怪奇と幻想の世界を栄養にして、猥雑で混乱した文化への対抗としてナチスが支持されたという解釈がよくされていた。70年代には、今振り返るべきは「30年代」か「20年代」かという、今では不毛の論争みたいなものもあった。原作はドイツ最高にして唯一の都市小説という話で、ナチスの政権獲得直前の騒然、雑然とした情勢が反映されているのは間違いない。ただし発表は1929年でナチス後は出てこない。デーブリンはユダヤ人だったから33年にはパリに亡命するので、当然である。原作はぼう大で読んでないけど、映画に関しては都市の街頭を描くというより、都市下層民衆の愛と犯罪を描く大ロマンという感じである。
光と影をくっきりと印象付ける撮影、抒情的な音楽に合わせて、主人公フランツ・ビーバーコップの流れゆく人生が始まる。フランツは恋人のイーダを殴り殺し、4年間の刑務所暮らしを終えて今出所した。そこから「まっとう」に生きることを誓いを立てながら、時には犯罪に関わり、友人を信用し過ぎて間違った道を歩む。時には女たちを渡り歩き、酒におぼれ、ナチスの新聞を配ったり、左翼の集会に出たりする。街頭の商売をやるときもあるが、大体は失業者で、戦間期ドイツの最大の問題だった失業をめぐる話でもある。だんだん友人と思っていた犯罪集団との関わりで身を滅ぼしていく様が冷徹に描かれている。一端は車から落とされ片腕を失うが、本人は仕方なかったと考えてしまう。主人公フランツを演じるギュンター・ランブレヒトという俳優の、心の内面のないような演技が素晴らしい。何度かの出会いを経てフランツとの関わりが続く愛人のエバにハンナ・シグラの名演。それより女をとっかえひっかえし、フリッツが最後まで信じ続ける悪党のラインホルトを演じたゴットフリート・ヨーンが正体をつかめない悪党の姿をリアルに演じて圧巻である。
1話が82分、エピソードが111分の他は、2話から13話まで大体58分か59分。こういうのがテレビ映画だが、その分話は長くなるが各回に起承転結めいた流れがあるから、退屈しないで見られる。ファスビンダーは演劇は映画のように演出し、映画は演劇のように演出したという。演劇は日本では見られなかったが、映画を見る限りなんとなく納得できる感じがする。今回はテレビ映画なので、演出が判りやすい。ただ中身は犯罪やセックスや飲酒の場面の連続で、テレビだからどぎつくはないんだけど、だいぶ西ドイツでは論議になって深夜にしか放送できなかったと書いてある。原作はやはり都市小説らしいけど、このテレビ映画はほとんど室内劇として作られている。最後のエピソードだけが、幻想的と言うか、フランツの夢の世界でフランツの半生を裁く冥界めぐりになっている。とにかく面白かったけど、主人公が友人関係を学ばずにだんだん悲劇が近づいてくるのが見ていてわかる怖い映画だった。