千の天使がバスケットボールする

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「新しい人生」オルハン・パムク著

2010-10-20 23:04:49 | Book
「ある日、一冊の本を読んで、ぼくの全人生が変わってしまった。」

平凡な大学生だった主人公は、美しい女子学生ジャーナンに魅せられた。彼女が持っていた本を古本市で手に入れて読み始めたら、主人公のぼくはその本のとりことなってしまう。やがてジャーナンの恋人の医学生メフメットが射殺されるや、彼はふたりの行方を追って長距離バスを乗り次ぎながら旅にでる。町から町へ。何度もまぶしい天使に出会い、何度もトラックと衝突したバスの交通事故で多くの死体を眺めながら、ジャーナンと本に記された「新しい人生」を求めて。。。

トルコを代表するオルハン・パムクによる本書がトルコで出版されたのは、1994年。決してわかりやすくもなければ、受け入れやすい小説ではないのだが、トルコでは2年間に20万部も売れて社会現象にもなったそうだ。パムクは1990年に出版された「白い城」が米国で賞をとってからたちまち人気作家となり、訳者のあとがきによると、彼の本を読むことはインテリの証となっていたらしい。本書を読んで、思い出したのがノーベル賞受賞を期待されている日本の作家、村上春樹氏である。彼の近著「1Q84」も異例のベストセラーとなり、同じように話題となりひとつの社会現象とまでなった。「新しい人生」のひとりの若い青年が美しい恋人ともに”新しい人生”を求めて未知の旅にでるという唐突なストーリー展開を読みながら、私は人気作家、村上春樹氏の初期の作品「羊をめぐる冒険」の展開の不思議な感覚を思い出した。

さて、本書は、最初こそ、美しくはかなくきらめくような不思議な物語の中に、非常に凝ったレトリックや繊細な描写といった文章力をまぶしいくらいに感じて、感覚的な綴りに思えたセンスのよい文章がきちんと繋がっていき、やがてつくりこまれ磨かれた作品の構成力に圧倒されるような思いである。但し、残念なことには、トルコに関する知識というバックボーンがあるか、もしくは実際に同時代のトルコを経験していないと、本当の意味では充分に小説を堪能するのは難しい。というのも、作中、何度も登場する<新生>印のキャラメルや洋品店<スメルバンク>、主人公と著者が通っていたイスタンブル工科大学の雰囲気、食料雑貨店、テレビのついた2ステップの長距離バスなど、これらトルコのローカル性の感覚を共有できれば、もっと内容に深く入り込み、”ぼく”がさまよう旅路のお伴ができたのに。

オルハン・パムクのノーベル賞受賞理由として「生まれ故郷の町に漂う憂いを帯びた魂を追い求めた末、文化の衝突と交錯を表現するための境地をみいだした」とされている。1998年 「私の名は紅」(Benim Adim Kirmizi)では16世紀末オスマン・トルコ帝国の細密画師の閉ざされた濃密な関係を背景に、東西文明が交錯する葛藤をかき、2002年 「雪」(Kar)は、イスラム過激派に対抗するクーデター事件の渦中で、Kという詩人が宗教と暴力にまきこまれていく政治的な小説だった。本書でも、ぼくは、”西”へ伝えたチェスが宰相をクイーンに、象をビショップに変わった、それよりも、チェスを自分達の理性の、世界観の合理主義の勝利として我々に返した、と嘆く。
「今日、我々は、彼らの頭で自分たちの感受性を理解しようとし、それを文明的だと思っているのだ」
文明の衝突を預言したような成り立ちに、あらためてオルハン・パムク氏の作品は、スウェーデン・アカデミー好みだと感じる。
ぼくの人生は、一冊の本からすべてがかわった。ぼくだけでなく、何人もの若者がその本にとりつかれて本の中の世界を求めて家を出た。まるでハーメルンの笛吹き男の笛の音に魅せられたかのように。その本には何が書かれていたのか。しかし、だいたい小説といわれるモダンなおもちゃは、西洋文明最大の発明は彼らのものではなかった。単なる失われた文明の郷愁を否定し、パムク氏は西からの津波にのみこまれていくトルコという複雑な国をいつも主役に、モダンなおもちゃを生み出している。
本書を読んだ満足感を、一度はお試しあれ。

■アーカイヴ
 「雪」(Kar)
「私の名は紅」(Benim Adim Kirmizi)


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