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2006年にノーベル文学賞を受賞した後のオルハン・パムクの小説は、イスタンブルの富裕層の若き実業家、彼と同じように裕福な友人たちと遊びまわる少々軽薄な男のケマルが、婚約者がいながら18歳の若い女性に激しく恋をし、5723に及ぶ美術館や博物館を訪問して、彼女にまつわる42742点もの蒐集したコレクションを展示する無垢の博物館をつくることを夢見た男の恋愛物語である。ある意味、人生をが破滅していくような危険な恋の顛末と言ってもよいだろうか。2002年の「雪」以来の久々の約束どおりの恋愛小説は、トルコや欧米で発売前から大きな注目を集め、発売後は賞賛されたそうだ。
本作でも登場人物の心の動きの描写がさえていて、トルコの現代史、当時のイスタンブルで起こった事件や風俗を背景に巧みに織り込み、トルコの人だったら、時代の空気感だけでもわくわくするのではないだろうか。また、当初、自己中心的で軽薄とも思えたケマル氏がフュスンの持ち物を密かに盗んだり、逢引でつかったアパートの部屋で彼女の思い出を抱きしめながら官能に浸るさまに、作者の意図する方向が読めなくなったりもしたが、最後には崇高すら感じさせる愛に終結するところは、オルハン・パムクの類まれな文才とそれ故の人気の高さがうかがえる。
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そして本作から連想したのが、パムク自身がとても好きだという谷崎潤一郎の小説だった。耽美的でマゾヒズム性がのぞかれる谷崎の作品とは作風が異なるが、「細雪」「春琴抄」などが日本を舞台に日本人だから描けたように、「無垢の博物館」もトルコという国で、彼がイスタンブルに生まれ育ったからこそ描かれた世界であって、彼の作品に我々読者は普遍的な感動や恋を求めるものではなく、だから気になる作家として彼は存在している。
「この国で綺麗な女でいるというのは難しいものよ。綺麗な娘でいるよりもずっとね・・・。」
フュスンの母はこうつぶやいた。女性として、なんと悲しいあきらめだろう。けれども、それがおよそ30年前のトルコという国の現実だったのだろう。ケマルの心理やスィベルのいらだちは細やかに描かれているのだが、肝心なフュスンの内面は以前、謎のままに終わる。彼女は、ひとりの青年の人生を狂わした官能の存在としてだけ、鮮やかに読者の心の中に疾走して消えていく。ケマルは生涯、亡くなる日までフュスンへの愛に殉じた。それは、とても幸福な人生だった。たとえ、誰が何を言おうとも。
■アーカイヴ
・「雪」
・「わたしの名は紅」
・「新しい人生」
・ノーベル賞作家パムクの政治小説
・ETV「東と西のはざまで書くノーベル賞作家」
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