千の天使がバスケットボールする

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「無垢の博物館」オルハン・パムク著

2011-04-25 23:56:02 | Book
1975年4月27日、30歳のケマルは婚約者のためにジェニー・コロンの高級バックを買おうととあるブティックに入った。彼は一族で経営する輸入会社の社長を務める青年実業家、結婚が近い婚約者のスィベルは賢く可愛く、誰もがうらやむお似合いの理想的なカップルだった。彼の人生はまさしく何のかげりもなく前途洋洋。ところが、その店ですっかり存在すら忘れかけていた遠縁の娘、18歳のフュスンと運命的な再会をしてしまった。美しく、しかも官能的なフュスンの魅力にすっかりとりつかれてしまったケマルが、望みどおりに人生最高の美しい黄金の輝きのような時間を過ごしたのは、1975年5月26日、月曜日のことだった。。。

2006年にノーベル文学賞を受賞した後のオルハン・パムクの小説は、イスタンブルの富裕層の若き実業家、彼と同じように裕福な友人たちと遊びまわる少々軽薄な男のケマルが、婚約者がいながら18歳の若い女性に激しく恋をし、5723に及ぶ美術館や博物館を訪問して、彼女にまつわる42742点もの蒐集したコレクションを展示する無垢の博物館をつくることを夢見た男の恋愛物語である。ある意味、人生をが破滅していくような危険な恋の顛末と言ってもよいだろうか。2002年の「雪」以来の久々の約束どおりの恋愛小説は、トルコや欧米で発売前から大きな注目を集め、発売後は賞賛されたそうだ。

本作でも登場人物の心の動きの描写がさえていて、トルコの現代史、当時のイスタンブルで起こった事件や風俗を背景に巧みに織り込み、トルコの人だったら、時代の空気感だけでもわくわくするのではないだろうか。また、当初、自己中心的で軽薄とも思えたケマル氏がフュスンの持ち物を密かに盗んだり、逢引でつかったアパートの部屋で彼女の思い出を抱きしめながら官能に浸るさまに、作者の意図する方向が読めなくなったりもしたが、最後には崇高すら感じさせる愛に終結するところは、オルハン・パムクの類まれな文才とそれ故の人気の高さがうかがえる。

さて、「雪」のカルスというアナトリアの国境の町から、舞台は再び、パムクの生まれ育ったイスタンブルに移したことは重要だと考える。東洋と西洋の文明が融合するイスタンブルで、ケマルとスィベルは婚約したことをきっかけに肉体関係に進み、尚且つ、結婚を控えて風光明媚な別荘で一緒に暮らすようになる。今から、35年前のトルコでだ。彼らの愛情物語のライフスタイルは、近代的な西欧化の象徴として友人たちにうらやましがられ、社交界の人々にも賞賛される。しかし、ケマルがフュスンへの執着から婚約を破棄したら、彼は店番女に頭がいかれて、スィベルは結婚もしないで同棲していた単なる破廉恥な女に成り下がる。同棲がかっこよく素敵に見えるのも、破廉恥な行いに墜ちるのも、1975年のイスタンブルでは鏡像のようなものだ。スィベルは、愛とは同じようなクラスの者だけで成立するような感情と主張する。決して、店番女とケマルのような裕福な男は結ばれないと怒る。パムクの描く様々な異国の風習やノスタルジックな風景の中でさまようケマルの魂の彷徨は、現代日本女性の私だけでなく欧米人の視点からは実にエキゾチックで新鮮に映るはずだ。

そして本作から連想したのが、パムク自身がとても好きだという谷崎潤一郎の小説だった。耽美的でマゾヒズム性がのぞかれる谷崎の作品とは作風が異なるが、「細雪」「春琴抄」などが日本を舞台に日本人だから描けたように、「無垢の博物館」もトルコという国で、彼がイスタンブルに生まれ育ったからこそ描かれた世界であって、彼の作品に我々読者は普遍的な感動や恋を求めるものではなく、だから気になる作家として彼は存在している。

「この国で綺麗な女でいるというのは難しいものよ。綺麗な娘でいるよりもずっとね・・・。」
フュスンの母はこうつぶやいた。女性として、なんと悲しいあきらめだろう。けれども、それがおよそ30年前のトルコという国の現実だったのだろう。ケマルの心理やスィベルのいらだちは細やかに描かれているのだが、肝心なフュスンの内面は以前、謎のままに終わる。彼女は、ひとりの青年の人生を狂わした官能の存在としてだけ、鮮やかに読者の心の中に疾走して消えていく。ケマルは生涯、亡くなる日までフュスンへの愛に殉じた。それは、とても幸福な人生だった。たとえ、誰が何を言おうとも。

■アーカイヴ
「雪」
「わたしの名は紅」
「新しい人生」
ノーベル賞作家パムクの政治小説
ETV「東と西のはざまで書くノーベル賞作家」