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閑話休題。
音楽のエッセンスをふりまいた作品にアプローチした青柳さんの文章は、そのまま恰好の読書案内でもある。当然、とりあげる本の登場人物には、ピアニスト、ヴァイオリニスト、指揮者と、実物、架空の人物を含めて音楽関係のお方たちが中心となっているのだが、思うに元々奇人変人が多い音楽家を主役にしているなら、それでおもしろくなかったら作家の力量不足というもの。それを考えると、企画者の発想はいいところをついているし、青柳さんに執筆依頼をされたのも大正解。映画でも五感を充分に開いて観ているミヒャエル・ハネケ監督の『ピアニスト』やジェーン・カンピオンの『ピアノ・レッスン』すらも、青柳さんの調べで深く音楽的にほりさげられると、原書も読んでみたくなってくる。まして、タイトルすらしらない本になると、実際のピアニストや歴史上の音楽家のエピソードをからめてフィクションにも現実の重みとドラマがかぶさり、ドラマチックで深層心理の彩も複雑で深く、読書意欲をおおいにそそられる。そして、フィクションなのに自身のピアニストとしての体験を重ねてたとりあげた本や主人公達によせる著者の感想は、ちょっぴり苦くもありせつなくもある。音楽家の道のりは、仮想世界でも現実世界でも厳しく険しい。このセツジツさは、名著「ボクたちクラシックつながり」が、ここでもつながっているような気がする。
けれども、幼い頃から完璧な演奏を求められ、『ピアニスト』のエリカのように強迫観念にとりつかれて自傷行為をくりかえし精神が崩壊していくさまに同じくピアノ弾きとして共感しながらも、「音楽の力」を信じている。ペルーの日本大使公邸人質事件を取材したアン・パチェットの「ベル・カント」では、パーティに招待されていたオペラ歌手のロクサーヌもテロ事件にまきこまれる。女性は解放したテロリストたちも、ロクサーヌだけはたてこもった館に監禁状態で手離さない。何故か。テロリストたちも、人質たちも、想いはロクサーヌの歌声と、高い声域のもつ甘い輝きに向けられた。ほどなく、一日が三つの時間にわかれるようになった。
「彼女の歌を待つ時間、彼女の歌に聴きほれる時間、そして彼女の歌を待つ時間」
さてさて、この続きはどうなったのか。原作の力のあるのだろうが、伴奏者のリードもうまいのだ。
■語るピアニスト
・「ピアニストが見たピアニスト」
・「ボクたちクラシックつながり」
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