千の天使がバスケットボールする

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「Aをください」練木繁夫著

2011-04-13 22:43:49 | Book
某年某月某日、、、あるヴァイオリニストのリサイタルを聴いていた時のことだった。
隣席の友人の表情が、だんだん険くなり機嫌が悪くなっている気配を察知した。休憩時間に入るや否や、彼女は周囲の人の耳などおかまいなしに「ピアノ”伴奏”の音がうるさくて邪魔っ!」と恐れ多くものたまった。神をも恐れないこの発言(暴言か?)にひえ~~~っ。

ところが、室内楽奏者としてもご活躍されているピアニストの練木繁夫さんは、チェリストのヤーノシュ・シュタルケル氏との共演をはじめた駆け出しの1976年の頃、一番辛かったのが終演後に楽屋を訪れた人に「ピアノがうるさかった」と言われることだったそうだ。(練木様、心情をお察し致します。)しかし、ソリストの邪魔にならない程度に静かにピアノを弾くのが伴奏者のおつとめ、という時代もあったようだが、近年は、室内楽でも伴奏者というよりもピアノの蓋も開けて”共演者”になれるピアニストが求められる時代である。偉大で完成度の高いシュタルケル氏の伴奏をつとめて3年たった頃から、若造だった練木さんは舞台の上で交わす音楽的会話が面白くなり、ピアノで少しずつ自分の意見を言うようになり、15年たってようやくシュタルケル氏のパートナーとして相応しい仕事をしている自覚をもてるようになったそうだ。今では円熟の域に達し、ピアニストとしてだけでなく後進の指導にあたられている練木繁夫さんの本書は、華やかなソリストのかげにかくれがちなちょい地味めの室内楽の重要性や楽しさ、演奏側の喜びや醍醐味を平易な文章でわかりやすく書かれている考えてみればけっこう貴重な本である。

練木さんは、前述したように演奏活動のかたわら母校のインディアナ大学教授の肩書きももち、桐朋学園大学などでも定期的に教えてらっしゃるそうだが、おそらく指導者としても有能な方なのではないかと本書から想像される。それというのも、理論整然とした文章でクールな印象も受けるのだが、実際的で平易な言葉を使用されていてプロの作家並みにレトリックが巧みであり、抽象的なことを誰もがわかりやすい単語や形容詞におきかえ、技術的なことも簡潔に要点だけ述べているからである。読んでいて、これまで漠然としていて謎だったペダリングのことや、美術と音楽の関係、バッハからラヴェルまでの作曲家の系譜など、多岐にわたるがどれも目が覚めるようにわかりやすくておもしろい。そのほんの例を挙げると
「音楽は音で表現する芸術であることには違いないが、表現芸術に大切な”間”というものは、音だけで表現するものではない」
「バロック時代の演奏スタイルは、イタリア系の自由奔放でヴィルトゥーゾ的なもの、ドイツ系の荘厳で教会的なもの、フランス系の優雅で気品の高いもの、という3種類に分かれる」
と、至言が次々と並び、そしてなかにはこんな苦言も。
「最近は、視覚的効果に走りすぎた”観衆”向けの音楽が氾濫し、”聴衆”向けの音楽が少なくなってきている」とも。
この本一冊分で一年間、カルチャースクールで練習嫌いな(練木さんは練習嫌いで有名らしい?が、努力家である)ピアニストの本音を交えた音楽講義を受講するのに値するくらいの内容の充実ぶりで、しかもCDまでついている。

ところで、室内楽大好きな練木さんは、3人以上で舞台にあがる時はピアニストなのに、二重奏になると職業が伴奏者とよばれることにどこか差別的なニュアンスを感じているそうだ。実際、1970年代の演奏旅行では独奏者は飛行機のファーストクラスで、共演者であるピアニストはエコノミーで旅をしているのを何度もみたが、それが”差別”でなく当然だった時代だったと回想する。その背景として、昔、Accompanistsには二種類あって、ひとつは舞台の上で重奏者として栄誉ある共演ができるピアニスト、もうひとつは舞台を踏むことのない練習用のピアニストがいて、この後者の仕事のイメージが誤解を生む原因になってしまった。(後者の音楽家としての人権のない時代のAccompanistsについては、フランス映画『L'accompagnatrice』を観ると雰囲気がよくわかる。)英国のピアニスト、ジェラルド・ムーアはピアニストが差別される時代は去ったと高らかに宣言しているが、はたしてそうなのだろうか?依然として問題が残っていると感じているところに、著者の本書の執筆のモチベーションがかなりある、、、と私はみた。

それは兎も角、コンチェルトの出番を舞台裏で待つピアニストにとってオーボエのAほど物悲しく孤独な音はなく、室内楽のAには期待に心を踊るものらしい。なるほど、ピアニストにとってさまざまに悲喜こもごもな「Aをください」(音楽好きの方はご存知でしょうが、Aは”エー”ではなく”アー”。)である。

■こんなアーカイヴも
「ピアニストが見たピアニスト」
「六本指のゴルトベルク」
「ピアニストは指先で考える」
「ボクたちクラシックつながり」
クラシック音楽家の台所事情
我が偏愛のピアニスト


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お耳ざわりですか? (calaf )
2011-04-18 11:04:34
こんにちは。ムーアのAm I too loudが出てからもう50年近くになるのですね。伴奏者の喜び、悲哀、苦悩がよく描かれていましたが、悲哀を笑いに変えてしまうムーアの人柄が好きになったのを覚えています。楽屋裏の話題もたくさんありました。
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ムーアの著書 (樹衣子)
2011-04-19 22:33:14
さすがにcalafさま、50年も前のムーアの本を読まれているのですね!

ところで、練木さんのこの本はご存知でしょうか。読んでいて、私以上にcalafさまの方がこの本を楽しまれると思いましたので・・・。
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