宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

「いま、ここ」に生きるヴィパッサナー瞑想

2013年03月01日 | ヴィパッサナー瞑想
           
最近、久々にエックハルト・トールの“New Earth”に目を通した。かつて、一世を風靡した(・・・というより、精神世界を探求する上では、常に最大のテーマなのかもしれないが)、「ビー・ヒア・ナウ」(いま、ここ)の教え。この21世紀初頭の世界で、それを説いたエックハルト・トールの著書は驚異的なベストセラーになり、「現代のスピリチュアル・リーダー」と呼ばれるに至っている。もちろん、日本にも大きな影響をおよぼした。

それにしても、「いま、ここ」に生きるとは、どういうことなのか。
 
たとえば、いま取り組んでいる仕事に向かって、雑念を捨てて一心不乱に取り組む。必死で勉強したり、スポーツする。
 
マジメな努力家ほど、「いま取り組んでいる目前のテーマに集中して、がんばること」という風に解釈しやすいけど、そういうことではない。この場合、何かに取り組んで、がんばる必要は特にない。もちろん、がんばってもいいんだけど、その必要はない。そもそも、何かに取り組んでいる必要もない。というより、どちらかと言えば、何もしない方が良いくらいだ。

ヴィパッサナー瞑想の場合、「いま、ここ」に生きる上で取り組むべきテーマはたくさんあって、どれをやったらいいのか迷う。でも、「いろいろある中で、これが一番」とされているものは、古来からハッキリしている。なんといっても、それは、「息をすること」。
 
息を吸ったり、吐いたりすると、お腹が膨らんだり、引っ込んだりする(・・・まあ、なかには引っ込まないお腹の人もいるだろうけど)。ヴィパッサナー瞑想では、そのお腹の動きに意識を集中する。

さらに良いのは、息が出たり入ったりするときの「鼻に意識を集中すること」とされている。単に、空気が出たり入ったりしているだけ。まったく、意味がない。そこが良いのである。一切、何も考える必要がないからだ。

「これは、いわゆる呼吸法ではない」というのが、流派はさまざまに異なれど、ヴィパッサナー瞑想の指導者が一様に強調することのひとつだ。特別なやり方で、呼吸の行をやるわけではない。「いつもよりは、ゆっくりと呼吸するように心がける」という程度。ここでは、雑念を排除して観察力を強化するための、素材として「呼吸」が使われているだけ。
 
「いま、ここ」に生きるということが、どういうことなのか分からなくて迷ったら、ヴィパッサナー瞑想をするのが一番だろう。古代インドでお釈迦さまが世に広めた、この瞑想法を実践すれば、「いま、ここ」が単なるスローガンではなく、現実そのものとなる。それがどういうことを意味しているのかを、考える必要もなくなる。

スマナサーラ長老の言葉によると、

>皆様おはようございます、これからVipassana冥想にいたします。

>インドの古い迷信によりますと、午前中というのは、大変幸福な時期なのです、午後よりも…。
朝3時4時から昼までということで。

>まあその迷信にのって(笑)、 午前中一所懸命冥想してみましょう。昨晩はじめて指導受けた方々も、今日は歯を喰いしばって説明した通り頑張ってみて下さい。修行のポイントとして言いたいのは、一旦修行はじめたら「では終了しましょう」と私が言うまで、徹底的に実況中継に徹してください。

>一本の鉄の棒のようにキチンとやってみてください。どんな思考も考え方も入らないようにと厳密に自分の心を守ってみてください。家のことやら、仕事のこと、自分のことやら、過去、現在、未来、将来、まあ宇宙のこと等、そういう思考等は本当に「汚物だ」と思って下さい。


未来のことや、宇宙のことも、考えてはいけないらしい。そういう思考も「汚物だ」というから、コンサル星人としては困ったものだ。まあ、仕方ないか・・・。

スマナサーラ長老が勧めるのは、「実況中継」。「歩くこと」・「立つこと」・「座ること」という、ヴィパッサナー瞑想の3大基本動作をやりながら、結構な長時間にわたって、ひたすら実況中継する。

日本テーラワーダ仏教協会のサイトによると、

>「坐ります」「しゃがみます」「手を動かします」などと動作を実況中継しながら、楽な形で座ります。足を組む場合は「足を組みます」と足を組み、「背筋を伸ばします」と、実況中継しながら背中をまっすぐにします。「目を閉じます」と目を閉じます。三回くらい「吸います、吐きます」と実況しながら深呼吸します。

>次に「待ちます」と、自分の中に生じてくるものを待ちます。

>それから、「膨らみ」「縮み」「痛み」「しびれ」など、気になるからだの感覚を、実況し続けます。

>「雑念」「妄想」「眠気」「苛立ち」などの心の感覚も、実況します。どれかひとつのことに集中する必要はありません。ありのままの状態を実況中継します。


ひとつひとつは簡単だけど、ずっと続けるのは大変。ときとして、雑念が入ったり、妄想が浮かんでくるのは仕方がない。そうしたら、「雑念」と実況中継する。

マジメな人ほど、「せっかく瞑想に取り組んでいるのに、なんで、こんなに集中できないのか」と自分自身にイラ立ったりするけど、そんな必要は特にない。そんな雑念や妄想も含めて、淡々と、ひたすらに実況中継する。

「雑念や妄想を実況中継する」といっても、詳しくやるわけではない。ひとこと、「妄想が浮かびました」だけで済ませる。
 
「たった今、コンサル星人の脳内に、巨大なUFOが出現しました。巨大UFOが、まばゆい光線を点滅させながら、広場の上空をゆっくりと飛んでいます。おおっと、いま、UFOが着陸して、中から宇宙人が出てまいりました。クモのように手足が長い、長身の宇宙人。どうやら、こちらに向かって、右手を上げて挨拶しているようです。何かしゃべりたがっているようですが、内容は聞き取れません・・・」というようなのは、やりすぎだ。それだと、ヴィパッサナー瞑想の「実況中継」ではなく、別のジャンルになってしまう。ここは、シンプルに行くべき場面だろう。

驚くほどシンプルなのが、ヴィパッサナー瞑想の特徴。

「坐ります」、「しゃがみます」、「手を動かします」・・・。

こんなに簡単な「実況中継」を続けるだけで、みるみるうちに、集中力と観察力が強化されてくる。
 
集中力と観察力が強化されることによって、まどろんでいた意識が、急速に活性化してくる。いつもと同じ風景や音声が、みるみる鮮明になり、まるで別の世界。「意識の覚醒」もその延長線上にあるということが、実感として分かってくる。これでこそ、瞑想だ・・・。

(つづく)