クリシュナムルティによれば、真理の知覚が可能になるのは、「あるがままの全体的知覚」が実現されたときだけだという。
「あるがままの全体的知覚」とは何か。
「あるがまま」というのは、物事を、先入観で歪めることなく、そのまま見ることを意味する。
「全体的」というのは、いろんな部分に分かれていない、分けないということ。 分析するのを止めた結果、分離がなくなった状態を意味します。
人は、「ああでもない、こうでもない」と、分析する。 そして、「ああである、こうである」と、思い込む。
それらは、あるがままの全体的知覚を妨げる。
過去の哲学や宗教は、皆、思考や観念の産物。
それらは、すべて否定の炎によって浄化されなければならない・・・。
「あるがままの全体的知覚」とは、一切の偏見から離れた、無我の状態でのみ実現される純粋な認識。
そこには、分離がない。 偏見もない。 思考がない。 観念もない。
もっとも、これは、出来そうで出来ない・・・。
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