「現代において、最もブッダの思想に近い人物」といえば、ジドゥ・クリシュナムルティだろう。
そのクリシュナムルティ(K)は、死を目前にして、このような質問を受けた。
「クリシュナムルティ自身は、死んだらどうなるのでしょうか?」。
これは、興味ぶかい質問だ。
それに対するKの答は、「それは、なくなってしまうのです。・・・あの広大なる、空(エンプティネス)を知りさえすればいいのです」というものだった。
そうか、そうだったのか。やはり、「クリシュナムルティ」という存在そのものが、なくなってしまうのか・・・(泣)。
ところが、数時間後、Kはこう語ったという。
「私が言いたかったのは、こういうことです。つまり、七十年間あの超エネルギー、いや、あの膨大なエネルギー、巨大な叡智・・・が、この肉体を使ってきたということです。いかにとてつもなく大きなエネルギーと叡智がこの肉体を通過していたか、人々はわかっていないようです。それは12気筒エンジン並だったのです。
そして七十年、相当に長い期間・・・経った今、肉体はもはや、それに耐えられないのです。何がこの肉体・・・非常に注意深く準備され、保護されつづけなければありえなかった、この肉体・・・を通過していたか、誰も理解できないのです。誰も。(中略)
インド人たちはこれについて、多くのバカげた迷信を持っています・・・肉体はなくなるが、あなた(の霊魂)は残るといったナンセンスを。何百年経った後にも、あなた方はこれと同じような別の肉体、あの至高の英知の働きの場となるような肉体を見つけることはないでしょう。二度とそのようなものに会うことはないでしょう。彼が去る時、それは去るのです。
あの意識、あの状態の後にはいかなる意識も残らないのです。それに触れることができるというふりをしたり、そんなふうに想像しようとする人がいるかもしれません。もしも彼らが教えを生きれば、それなりの可能性が開けてくるかもしれません。が、誰もそうしませんでした。誰も。以上です。」
(メアリー・ルティエンス著 『クリシュナムルティの生と死』より)
Kは、すでにKではなかった。20歳かそこらで、すでにいなくなっていた。代わりに、「12気筒エンジン並のパワーを持つ、巨大なエネルギー、巨大な叡智」が、Kの肉体を酷使していたのである。
Kの肉体の死とともに、それは去る。あとに残るものは、何もない。
おそらく、ゴータマ・ブッダもそうだったのだろう。
個別存在としての、自我の終焉。残るものは、大いなるすべて・・・。
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若い頃、クリシュナムルティは他界した母の霊が台所で調理している姿を見たことがあります。彼は霊能力を持っておりました。しかし、それを世間には口にしなかったのです。
恐らく彼は、その霊能力で神智学会の背後には強力な悪の霊が存在しているのを見ていたのでしょう。
そのため彼は、悪霊らを欺くため霊魂の存在を遠回しに、あるいは他の真理を説くにしても、敢えて難解な言葉を用いて我々に伝えていたと思います。
悪魔に簡単に殺されては、この地球に降臨して来た意味がないと悟っていたから、そのような手段をとっていたのだと思います。
彼がこの地上に蒔いた数々の真理の種、それらは悪魔が知らない所で多く芽生えております。やがて悪魔たちは、これら真理の開花によって滅び行くことでありましょう。