クリシュナムルティといえば、「自由への飛翔」とか、「自由への反逆」といった言葉が付いてくることが多い。Kといえば「自由」、そして「反逆」・・・。
「子供たちとの対話」でも、それは例外ではなかった。相手は子供だというのに、いつもと同様、「絶えず反逆する人になりなさい」と説く、クリシュナムルティ。これには、子供もビックリだろう。でも、それは仕方がない。
>なぜなら、何が真実かを発見するのは、服従したり、何かの伝統に従う人ではなく、絶えず反逆している人たちだけですから。
もちろん、クリシュナムルティが言ってたのは、「資本主義を打倒しよう」とか、「改革に反対する者は抵抗勢力だ」とか、そういうことではなかった。今の社会体制に反逆して立ち上がり、革命を起こしたところで、形を変えた社会体制ができるだけ。Kは、それを「監獄の中での、囚人の反乱」と呼ぶ。
>社会を少し良くしたり、一定の改革をもたらすために社会の中で反逆するのは、監獄の壁の中での生活を改善するために、囚人が反逆するのに似ています。そのような反逆は、まったく反逆ではありません。それは、ただの反乱です。
クリシュナムルティが説いていたのは、監獄の中で反乱を起こすことではなかった。重要なのは、監獄から外に出ること。それは、この歪んだ人類社会からの、離脱のススメ。
地球の社会では、価値観が倒錯している。こんなところで、皆と一緒に夢中で生きていたのでは、狂気の渦に巻き込まれるだけだ。正気を維持するためには、そこから一歩でもニ歩でも離れる必要がある。
>理解から生まれた反逆とは、個人が社会から離れることであり、それは創造的な革命です。
素朴なインドの子供たちも、学校で、家庭で、その他のところで、徐々に既成の価値観を刷り込まれていく。価値観を刷り込まれた精神は、もはや自由ではない。「OOにならなければ」、「XXのような人間でありたい」・・・といった信念は、人をゆっくりと、着実に縛っていく。
もちろん、「社会への反逆」といっても、森の中にこもって隠遁生活を送るというのは無理がある。本当は、日常生活にわずらわされずに、精神世界の探求その他に没頭するのが理想なのだが、せちがらい現代社会でそれを実現するのは難しい。
重要なのは、あらゆる信念の刷り込みから自由になり、精神的な自由へと飛翔すること。これが、なかなか出来そうで出来ない・・・。
(引用部分は、J.クリシュナムルティ著「子供たちとの対話」 藤仲孝司訳 平河出版社 mind books)
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フランス革命から200年後の今回の革命は、「精神的な自由へ飛翔する」ための革命かもしれません。
確かに、フランスの空が200年ぶりにアイスランドの火山灰で覆われたというのも、何かを象徴している気がします。