宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

過去を断ち切れ ~ クリシュナムルティ

2009年01月24日 | クリシュナムルティ
クリシュナムルティは、いつも「思考」を槍玉に上げていた。「思考を終わらせよ」というのだ。

ということは、何も考えなければいいのか。どうやら、そういうわけでもないらしい。

「ああでもない、こうでもない・・・」と、頭の中をいつも渦巻いている考えを止めて、頭をカラッポにする。しばらく何も考えないでいると、頭がボーっとしてくる。とりあえず、ボーッとしているとはいえ、思考を停止することには成功だ。

でも、クリシュナムルティはこの状態を「ぼんやりした無為」と呼び、これでもダメだと言うから厄介だ。

ならば、どうせよと言うのか??

この点についての質疑応答で、Kはこう語っている。
 
いわく、

>質問者 : 思考を終わらせるということによって、あなたが本当は何を意味しているのか、よく分からないのですが。・・・これに対して、あなたはそのどちらも(註:思考も、ぼんやりした無為も)超えなさいとおっしゃっている。これはどういう意味なのですか?

>K : ごく簡単に言えば、思考は記憶の応答であり、過去なのです。思考が働くとき、記憶、経験、知識、機械として働いているのはこの過去なのです。思考が機能しているとき、それは過去であり、それゆえ少しも刻々の新しい生はないのです。

・・・すべての連続性は思考です。そして連続性があるときは、何ら新しいものはないのです。それがいかに重要かおわかりでしょうか?それは実は死活問題なのです。あなたは過去に生きるか、またはまったく違った生き方をするかのどちらかなのです。それが要点のすべてです。

・・・後にKは、「思考は腐敗する」および「思考は腐敗物である」とまで言うようになった。

(メアリー・ルティエンス著 大野純一訳 『クリシュナムルティの生と死』より)


ここで、Kは、「思考」とは「過去の記憶の応答」であり、「過去からの連続物」であると、明快に定義している。

過去の記憶こそ、あらゆる思考の源泉。

思考するとき、人は過去の記憶にしばられている。それはすでに、古くなって腐敗しているというのに・・・。

つまり、「思考を終わらせる」とは、過去の記憶との応答を止めること。過去との連続性を断ち切ることだったのだ・・・。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿