「中央区を、子育て日本一の区へ」こども元気クリニック・病児保育室  小児科医 小坂和輝のblog

感染を制御しつつ、子ども達の学び・育ちの環境づくりをして行きましょう!病児保育も鋭意実施中。子ども達に健康への気づきを。

コミュニティに何が出来るか、話し合いました。(第1回)

2007-02-24 09:47:16 | NPO・地域力
一つの縁、
それは、昨年11月に中央区が主催した
コミュニティ ビジネスの講座
(関本征四郎氏らが講師)
に参加したメンバー。

借主中心に考える不動産会社社長
ブログ銀座日和作者
スポーツ関連NPO理事
インターネットビジネス計画中企業家
中学校英語教師
そして小児科医の私の6名。


昨日2/23
コミュニティに何が出来るか、
第一回の話し合いを持った。

皆、地域の閉塞感を破りたいがために、
何かしたいと思っている。

行政に、働きかけをするが、
行政が話をしても響かないという。
しかし、まずは、行政とコミュニケーションの
きっかけ作りをしようと考えている。
必要なのは、NPOが、行政と協働する場合の、
お互いの役割分担を定めた条例作りだという。


中央区には、マンションが多い。
今のマンションの傾向は、
投機の対象となっていること。
マンション=お金なのである。
マンションをもつものが、
大手ファンドなのであるが、
いかに配当を得て、
いかに高く転売するかを考えている。
よって、管理にも、こころが入らない。
それでは、そこにすむ人たちも悪影響。
しかし、そういうマンションで、
子育てするひとがいる。
父親が働きに出て、
母親が子育てをする場合、
高層マンションの、
コンクリートのジャングルの中で、
子どもと向き合わせ。
子育て中の母は孤立する。


中央区は、豊かでもある。
民間企業は、サービスを提供し、
それを住人はお金で買い、
民間企業は、利潤を得ている。
しかし、住人は、お金ではない、
お金では買えない、
つながりを求めているのではないか?
市民カフェなんかができて、
交流のきっかけなんて、できないだろうか。


話し会いは尽きることなく、
19時から23時まで、延々つづいた。

何がつくれるだろうか、楽しみだ。
ゆっくりだが、着実に、前進していきたい。


次回、3/15(木)午前11:00再会の約束をする。
障碍者もともに働くパン屋&喫茶を見学に行こうと。

文責:小坂和輝


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日中2000年の不理解

2007-02-24 04:49:37 | 書評

 中国とは、仲良くしていく必要があると強く感じている。

 今回、王敏著『日中2000年の不理解ー異なる文化「基層」を探る』(朝日新書 2006年)を読み、非常に参考になったので、その感想を述べる。

結論は、日中の異文化理解をする努力が必要と言うことです。
 文化がえらい違うんです!!
 2000年の歴史を通じて、その文化の違いはつくられたのです。

*****感想******
 日本と中国は有史以前から、交流があった。よって同文同種の兄弟文化と考えられがちで、中国人は、日本文化を中国の亜流だと決め込んでいるし、日本人の方も、中国に学んだのだからたいして違った文化とは考えていない。日本文化は、亜流ではなく「独自性」があるのである。「日中の文化は、似て非なるものである。」この認識に立たねば、両国の相互理解は始まらない。
 そもそも文化とは、動物や植物、気象・地理などの相対としての自然観のほか、宗教観や死生観、生活観のうえに言語や民族の要因もからみ、周辺の影響を受けながら歴史的な変化を継続している社会的な紐帯機能と定義できる。その点で言うと、日本と中国では、風土が大きく異なる。四季のある日本と、気候が安定した中国。そこで培われた精神構造も変わってくるのは当然である。
 日本では、花鳥風月を鑑賞し、恵まれた自然と一体になる感性を精神的な共通財産にしている。「草木国土悉皆成仏」の思想が日本人のこころの深層にある。この感性について、日本人の間では説明を必要としない。「以心伝心」ですむ。
 日本の自然志向に対し、一方中国では、理念志向といわれる。国家の統治思想から個々人の倫理道徳として生活の隅々まで儒教が浸透している。特に正義を求める生き方を第一にしている。この儒教思想もまた、黄河文明が生まれたころから培われた漢民族の素朴な生活観や家族観、倫理観、社会観、自然観、宇宙観などの総体なのである。
 理念志向の下、実際、文化大革命では、毛沢東の言葉に忠実であれば義であり、反すれば不義という強引な風潮が起こり、容赦のない粛清がなされた。また、A級戦犯を祀る靖国神社への首相の参拝問題では、「日本人は死者を責めないけれども、中国人は死者であっても許さない」という中国人学者の言葉が引用されることとなる。
 日本でも、江戸時代、儒教が推奨され、儒教の主流朱子学が官学とされた。そして幕末まで武士は教養として四書五経を必読した。新渡戸稲造氏が1899年『武士道』を書いたが、その動機は、学校で宗教教育というものがないことに西洋人が驚き、「いったいどのようにして子孫に道徳教育を授けるのですか」と詰問されたからであるという。新渡戸氏は、日本人の道徳律は、孔子が「五常の徳」として述べたところの「仁・義・礼・智・信」と述べている。特にその中でも、「義」を武士道の支柱として著わした。
 ところが、明治維新以後、儒教から西洋思想に乗り換えてしまった。今や大方の日本人が儒教の求める厳格な不変の姿勢を理解できないでいる。
 日本は、今後、中国とよい国際関係を構築する必要がある。しかし、現状では、多難を極める。中国共産党は、多額の資金を投入し、対日歴史批判を欧米で展開している。例えば、『レイプ・オブ・南京』の著者アイリス・チャン氏の胸像をスタンフォード大学に納入。チャン本を教科書に映画「南京」が製作された。世界の世論が、対日批判に誘導されかねない状況である。
 キリスト教、イスラム教、儒教文化圏の人々は、理念を放棄する仕掛けをもっていないようだ。一方、日本は、幕末・明治維新を画して儒教から西洋思想に乗り換えたり、戦争の敗戦によって急激に民主主義国家に変貌できた。日本文化には思想を、衣服のように四季に合わせて着替えるが如き仕掛けがあると見ることができよう。日本文化は「寛容」なのである。ならば、様々な思想への柔軟な対応ができるはずである。中国を異文化の国であるという認識に立ち、両国の友好な関係構築という理想を再度高々に掲げよう。一方的に「靖国問題」を何度主張しても中国には伝わらないことを日本は認識すべきである。
とは言いつつ、これから将来の課題においては、現実主義的な対応を、『武士道』でいう「義」の精神を堅持し、「正義のためなら死も辞さない」という強い意志で、特に政府レベルでは、国際社会の中であらゆるチャネルを通じて、主張していく必要がある。
 そして、大東亜戦争の真実は、歴史学の進歩で解明されるのを待ちつつ、日本のすばらしい文化を中国、世界に発信していく。例えば、宮崎駿をはじめとするアニメ・映画・コミック、日本の演歌・歌謡曲など、日本文化の理解に役立つはずだ。逆に、中国理解のために、小中学生から『論語』を学ぶ。また、2005年には日本で学ぶ中国人留学生は8万人を越えたが、多くの留学生の相互交流を後押ししていきたい。大学間での共同研究、企業間での資本・技術提携を促進していく。観光ブームにのり、宮崎をはじめ、日本への観光を促進しよう。地道に人対人の交流を続けていくのである。
 中国でも改革開放とともに思想の多様性、文化の相対性を理解する若い世代が育っている。文化様式における多様な存在を当然と受け入れ、異なった文化との共生を目指すことを期待して間違いない。ヒトの交流が花開く日は、必ず来る。

文責:小坂和輝

コメント (3)
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