波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

     白百合を愛した男   第91回

2011-05-06 09:39:38 | Weblog
大正12年、この岡山の北部の人里はなれた山峡に作られた工場と事務所は津山へ向かう県道に沿って出来ているが、道からは見えにくい。それほどに当時から公害(廃水、燃焼ガス)を嫌う地元住民の環境問題を避けて出来ていた。誰もいなくなったその本社事務所へ向かう。白百合を愛し、家族と共に戦後疎開して事務所の隣りの寮へ住んだ家は既に跡形も無く、駐車場になっていたが、今は車も見当たらない。事務所は操業当時のままで玄関の前に植えられた松はそのままだった。玄関前の池は枯れ池となり其処には植木がそのままである。事務所は鍵もなく、そのまま開く。誰もいなくなった事務所に足を踏み入れると其処は昔のままであり、机も椅子も備品もそのままだ。「お邪魔します」と声をかければ、「いらっしやい」と事務員に迎えられるようなままである。土足で事務所にあがる。あちこちに散らばっているスリッパ、机に置かれた書類立て、部屋のあちこちにかけられている黒板にはその日の予定が書かれたままになっている。そのまま進んで社長室、応接室と廻る。その部屋の様子は昔のままであり、変わっていない。今でもその時のまま社長や専務が表れてくる気がする。専務室のデスクに置かれた灰皿には吸いかけのタバコの残りがその主人の香りを残していた。創立者の住まいになっていた日本間の座敷のたたみもそのままで床の間に置かれた置物や花瓶がさびしそうであった。
台所には昔使っていた鍋、やかん、茶碗がそのままあり、水道の水もそのまま出る。何もかも昔のままであり、変わっていない。当時を振り返りながら、タイムスリップしたまま
事務所を歩き続ける。80年以上の歴史が今蘇り、当時を物語る。時は経ち、人は変わり、無人となったこの場は、何者かに襲われ一斉に逃げ出したかのようにそのままの形で、残されていた。事務所を出て其処から坂道に沿って出来ている工場へ向かう。
工場は傾斜の強い坂に沿って出来ており、其処此処に階段があり、平坦なところは無い。
工場名周りは赤く染まったまま残り、周辺の木々は赤く染まって枯れかかっている。
山からの谷水はそのまま流れていたが、赤く染まってなく、澄んでいた。スコップ、製品袋、原料を動かす道具、水桶、すべてがそのままであり、工場事務所の黒板にはその日の作業日程が書かれたままで、チョークが捨てられていた。「ゴースト工場」不図そんな言葉が頭をよぎった。工場を回り、外へ出て空を見あがると、暑い日ざしが射している。
この日差しは昔のままだ。

     思いつくままに 

2011-05-04 13:48:33 | Weblog
毎日の日々を暮らしていて、不図自分は何を思って生活し、行動しているのだろうと思うときがある。そんなとき、「スマートでありたいな」と自然に思うのだ。
スマートと言う言葉のひびきが好きだ。しかし、本当の意味を良く噛みしめたことがない。そこで辞書で確認してみると、「いきなようす、垢抜けした様子。またからだつきがすらりとしたようす」とある。確かにそういうことだと納得すると同時に、自分もそうありたいなと素直に思う。そしてここで出てくる「いきな」と言う言葉にこだわり、この意味も確認してみると「気風、身なり、態度がすっきりとしていて垢抜けしていること、特に花柳界の遊びになれていること」とある。花柳界の遊びは兎も角、気風、身なり、態度がすっきりとしていることとは言いえて妙でその通りだと納得する。
そして自分を振り返り、野暮で垢抜けてなく、すべてにダサい様子を思うとき、自分を
少し哀しく思うと同時に少しでもこの事を意識してより良く「スマート」でありたいと
願うのである。何も今更すらりとした身体とかを求めなくても、出来ることはたくさんある。基本的にはすべての行動が明るいことであろう。暗い雰囲気がその人から出ていたら、まず、失格と言わざるを得ない。そしてすべての物事にいじいじとしたこだわりを持たないことだろう。すっきりとした割りきりが大事だと思う。例えその事が自分の意に沿わないことであれ、何であれ、その場ですっきりと割り切ってその場を処理できることが大切であり、それが出来ないことが「スマート」失格と言う気がする。
そして目立たないが、自分なりの個性が明確に表れていることも大切だと思う。此処で大事なのは個性を強調するあまりに、「目立ちたがり屋」の印象をもたれることもあるかもしれない。(私自身の反省ではこれが当てはまることがあったことを反省しているが)
そんな印象をもたれないで、相手に爽やかな、好ましいイメージを持たせることが出来ればいいので、ことさら注目を必要とするものではないのだ。
それは話す言葉であれ、ちょっとした動作であれ、自然に出てくるものであり、その印象は相手に伝わるものである。そしてやはり一番は気持ちの持ち方であろう。
それがすべてに影響し、交わる人それぞれに伝わっていくことを意識したい。
例えそれは誰の目にも触れなくても、交わった人々の心に、暖かい印象を与え、「あれ」と不図思わせる、一陣の風のようなものを感じさせることが出来れば、私は嬉しいと思う。

白百合を愛した男    第90回

2011-05-02 09:19:28 | Weblog
シンガポール工場がスタートして、15年は過ぎていたが、まだまだこのまま続くものと思われていたが、早くも異変が出た。変化があることを考えないわけではなかったが
この新しい展開にどうすることが正しいことか、それは難しくその答えは時間が過ぎて
後から分ることであっても、事前に結果を見通すことは出来ないことが多い。
ユーザーからの企業合同は一つの道筋であり、解決への道でもあった。メーカーとユーザーが一体となって仕事を続ける。それはお互いのメリットを保有し、尚且つ事業を継続することになり、理論的には一番良いはずである。しかし、此処に人間個々の思惑が働く。
まず、どちらが主導権を握るのか、それは片方が従属することを意味する。そしてそれは
会社全体の建前や立場への影響を生じる。個人ではなく、共同体である以上それぞれの意見が錯綜し、なかなかまとまらず、まして自己の責任を伴うためその責任の所在が左右するところとなる。結局自分達の立場を守るための結論へと進み、自己犠牲を伴うものは忌避されるところとなる。こうしてシンガポール工場は大手ユーザーを犠牲することになり、大きな転換を見ることになる。会社全体の需要量も伸び止まりになり、シンガポール分の生産はそのまま在庫積み増しとなり、様子見となる。(生産調整は減益に繋がるため)日本のほうでも大きな変が起こった。創業以来続けていた弁柄の事業を止めると言うニュースである。社員は全く寝耳に水の話で全く知らされていない。「いったい何が起きたのか、」それは突然のことであり、分らなかった。新聞発表にもなり、全国にその知らせが伝わり、次第にその実態が分ってくる。岡山の弁柄事業をしていた関係会社を管理している親会社の大方針によって同業他社へその営業権、生産権が売却されていたのだ。
その中には希望者によるその事業に携わっていた社員も含まれていたが、殆どが解雇という形になる。白百合を愛した美継がその人生を過ごした事業も此処に終わりを告げるところとなった。創業者がその事業を順調に継承していたら、まだ続いていたかもしれない事業だったが、こうして歴史の一頁が終わることになった。
「有為転変」は世の習いとはいえその姿を目の前に見ることはやはり大きな感興を持つ。数年後、その弁柄事業の後がどうなったかを確認したく、その工場後を訪ねた。
大正時代に建てられた工場はそのままの姿を残している。玄関から本社事務所を足を踏み入れる。その目に映ったものとは?