波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

白百合を愛した男    第90回

2011-05-02 09:19:28 | Weblog
シンガポール工場がスタートして、15年は過ぎていたが、まだまだこのまま続くものと思われていたが、早くも異変が出た。変化があることを考えないわけではなかったが
この新しい展開にどうすることが正しいことか、それは難しくその答えは時間が過ぎて
後から分ることであっても、事前に結果を見通すことは出来ないことが多い。
ユーザーからの企業合同は一つの道筋であり、解決への道でもあった。メーカーとユーザーが一体となって仕事を続ける。それはお互いのメリットを保有し、尚且つ事業を継続することになり、理論的には一番良いはずである。しかし、此処に人間個々の思惑が働く。
まず、どちらが主導権を握るのか、それは片方が従属することを意味する。そしてそれは
会社全体の建前や立場への影響を生じる。個人ではなく、共同体である以上それぞれの意見が錯綜し、なかなかまとまらず、まして自己の責任を伴うためその責任の所在が左右するところとなる。結局自分達の立場を守るための結論へと進み、自己犠牲を伴うものは忌避されるところとなる。こうしてシンガポール工場は大手ユーザーを犠牲することになり、大きな転換を見ることになる。会社全体の需要量も伸び止まりになり、シンガポール分の生産はそのまま在庫積み増しとなり、様子見となる。(生産調整は減益に繋がるため)日本のほうでも大きな変が起こった。創業以来続けていた弁柄の事業を止めると言うニュースである。社員は全く寝耳に水の話で全く知らされていない。「いったい何が起きたのか、」それは突然のことであり、分らなかった。新聞発表にもなり、全国にその知らせが伝わり、次第にその実態が分ってくる。岡山の弁柄事業をしていた関係会社を管理している親会社の大方針によって同業他社へその営業権、生産権が売却されていたのだ。
その中には希望者によるその事業に携わっていた社員も含まれていたが、殆どが解雇という形になる。白百合を愛した美継がその人生を過ごした事業も此処に終わりを告げるところとなった。創業者がその事業を順調に継承していたら、まだ続いていたかもしれない事業だったが、こうして歴史の一頁が終わることになった。
「有為転変」は世の習いとはいえその姿を目の前に見ることはやはり大きな感興を持つ。数年後、その弁柄事業の後がどうなったかを確認したく、その工場後を訪ねた。
大正時代に建てられた工場はそのままの姿を残している。玄関から本社事務所を足を踏み入れる。その目に映ったものとは?