波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思い付くままに  「希望とは?」

2013-08-26 09:06:27 | Weblog
今年の10月で102歳を迎えられるという日野原重明先生の講演で次のようなこを
話されたことを聞いた。「希望とは自分の心の内に耐えることのできる力の大きさのことである。」自分勝手に軽く、希望を持とう、希望を持っていれば必ず良いことがある。又
希望を持ち続ければ必ず叶うものである等と思っていたが、逆に希望とはむしろ重い荷を背負って歩く姿にも似て「耐えている姿」であるというのだ。年齢を超越した含蓄のある言葉として改めて考えさせられている。
それにしても最近の世相を見るに老いも若きもどんなに「耐える力」の弱まりつつあることか。それは新聞などで「キレル」と言う言葉で表されて起きている現象を見ても分かる。この世の生活は仮にどんなに改革が進み、様々なことが訴えられたとしても、各人が満足する状態になることはなり得ないし、もし仮に少し満足するような政策なり、状態になったとして、「新しい家に入ることが出来た。」「車を買った」「外国旅行に行くことが出来た。」「ブランド品を買った」等が叶えられたとしても、もう十分と言うことにはならない。不思議なもので更に新しい欲望が生まれてくるからである。
暗くつらいことを「闇」として考えれば、その「闇」に負けない希望の星を見つけるしかないのである。
聖書にそのことを象徴的に表した出来事が書かれている。「エジプトの奴隷として長い間虐げられていたイスラエルの民がモーセによって脱出に成功し、奴隷から解放されて
新しい土地に向けて出発した。それは長い旅であり苦しい旅でもあった。(人生)
初めは解放されて喜んでいた民も、次第に旅の苦しさと不自由さに音を上げ始め、「おいしい水がのみたい。」「肉が食べたい」と勝手なことを言い始めた。モーセはその都度
彼らの要望に応えていた。」3000年も前の話であるが、現代の私たちをそのまま映し出していると考えても少しもおかしくないのである。
では私たちはどのように考えなければいけないのか。最初の先生の言葉にあるように
「耐えて待つ力」を少しづつ培い、養って力をつける努力をしなければならないのだと思う。ここで事ごとにあきらめたり、恨んだり、人のせいにしたりするのではなく、そこから新しい知恵と力を生みだすことを考えて生きることだと思うし、そこに必ず新しい
発見があることを確信しています。
今年の夏が猛暑で新しい耐暑グッズが生まれたのもその一つかなと思ったりしつつ。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿