波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくままに   「省みること」

2015-07-08 09:49:29 | Weblog
紀元前2千年以上前、当時のユダヤ人たちは当時「律法」と言われる決りを正しい掟として守っていたと言われる。その中にはこの掟を破ったものは「石打の刑」というのがあり、死刑に値する刑罰があったとされる。ある女が姦淫の罪を犯しそれを咎められて
広場へ引き出され、その場で「石打の刑」に会わんとしていた。その時一人の声が聞こえてきた。「今、ここで石を持ち投げんとするもの中で、今までに何も悪い事をしたことがないと思っている人から石を投げなさい。」この言葉を聞いた群衆は一瞬投石を止めた。
そして暫くの静寂のうちに一人の老人がその場に石を置き静かにその場を立ち去った。
すると又一人同じようにその場を立ち去り、つぎつぎに居なくなっていき、その場には件の女とその声の主との二人だけが残されていた。と言う話を聞いたことがある。
人は皆不思議に無意識のうちに自分だけは悪い事をしていない、人に迷惑かけたり傷つけたりしたことはない、まして法に触れるようなことはしたことは一切無いと思い込み
それはいつの間にか自分は正しい人間だと思い込む錯覚を持ってしまうものである。
しかし、人は生きている限り誰かが見ているか、見ていないか、知っているか、知っていないか、自身で気づいているか、居ないかは別として何らかの罪を犯しているものである。私自身もこれまでの人生で気づいていないことを人から「あなたには随分厳しい批判を受けて寝られないことがあった」「うまくも無い歌を長々と聞かされたことがある」とか、その他色々と言われたことがあり、随分と恥ずかしい思いや赤面することの多かったことを思い出す。そうでなくても他人の話を良く聞き理解しないままに自己主張して、
相手をやり込めることはたびたびであったことを今更ながら思い出し、悔やむことが多い。こんなことを思い出しながらこの話を読みながら人間と言うものは罪から逃れられないものと思うと同時にその事を出来るだけ意識して生きなければならないとも学ばされた。中には思い込みで他人に良かれと思って話したことが全く違った結果になったことさえある。生きている限り、常に謙虚さを忘れず身に着けて行動したいものと思わされて
自戒としたい。

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