波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくまま

2009-01-28 09:33:16 | Weblog
近所を散歩をしていたら、梅の花が咲いているのを見つけた。まだだろうと思っていたので、紅梅と白梅の香りをかいで、今年も春が近いことを知る事が出来た。
「東風吹かば、匂いおこせよ梅の花、主なしとて春な忘れそ」菅原道真が大宰府へ流され、梅の花を見ながら、京の都を思いつつ、自分のことを思って春になったら花を咲かせなさいと詠ったこの歌が思い出される。
寒さの厳しい毎日であるが、間もなく春がやってくることを思わせ、何となく気持ちが和らぐのを感じる。しかし、毎日のニュースは明るいものは無く、殺伐としている。
将来を考えると、不安と悩みの中に沈んでしまいがちである。
私たちの生活の中で貧困が不幸の一つだと言われている。(貧困だけではないが)
ならば金があれば大抵のことは解決するのだろうか。金というものは無ければ欲しくて金の亡者になりかねない。そして金があればそれを失うまいとして金に使われるようになる。このことを実感として知ることは難しい。
しかし、案外に人間はお金がありすぎるために救われないことが多い事を知るべきであろうか。持った事が無いものからすれば、自分はそんなことはないから何としても金が欲しいと思うし、金があれば、幸福になるとしか思えないが、ここが
人間の分かれ道かもしれない。「貧しくもせず、金持ちにもせずわたしの為に定められたパンでわたしを養ってください。」と聖書にはある。
わたしの友達に「輪廻」を信じている人がいる。仏語で人間のすべての魂は転々と他の人間や生物にうつりめぐり、迷いの世界をへめぐって永久にほろびることは無いという意味らしい。つまり何回も生きることが出来るから、今の状態について気にすることはないということらしい。そして平然としていられる。(事実そのように見える。)最近の殺人事件を見ていると(秋葉原事件など)を見ると、ゲームにおける殺傷事件と同じように、すぐ起き上がって生き返るが如き感覚で行動しているようにも見える。つまり自分が大変なことをしたという観念が無いままの行動のようにも見える。子供たちのゲーム感覚がこのような考えを養成しているとしたらと思うといささか心配にも思えるが、考えすぎだと思いたい。
我が家の庭にも鉢植えから植え替えた梅ノ木がある。この梅も花をつけている。
水仙の球根も芽を出して、準備をしている。間もなく小さな庭にもささやかな春が来る。そんな楽しみを思わせるこの頃である。

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