波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

         白百合を愛した男  第11回 

2010-07-26 09:54:52 | Weblog
危険を感じながら用心して事務所へ出てみると、誰も来ていない。如何すべきかを考えていると、外を大きなスピーカーからの放送が聞こえてきた。直ちに避難せよ。外国人は帰国せよ。(ここからの退去)との強い命令である。美継は危険を感じ、身の回りのものを整理すると、日本への連絡もそこそこに港へと急いだ。そこにはすでにぞくぞくと人が集まり、ごったかえした混雑が始まっていた。船上にあがり、やっと一息を付く。やはり外国は日本と違って何があるか分らないし、またその対処も分らない。頼みとしていた現地のスタッフも何時の間にかいなくなり、皆目手の打ちようも無く、書類を含めたもの全てがそのままであった。敦賀の港へ付き宿を取り、会社へ再度連絡をする。電話が通じない。
知人、取引先その他あちこち連絡を取り、消息を取り調べていくうちに会社は既に閉鎖され関係者は既に其処にいないことが分った。リスクの大きい業種であったが、順調に経営されていると思われた。会社の内容を知らされず、派遣させられていた美継には日本で何が起きて、どうしてこうなったのか、皆目検討もつかなかった。
しかし、東京へ帰り、会社の関係者にあうことも考えたが、今更如何することもできまいとあきらめることにした。しかし、海外貿易にはまだ、自信もあり、あきらめていなかった。
必ず、革命はそのうち収まるだろう。そうしたらもう一度ウラジオストックへ帰り、商売を始めたい。何とか一人の力でも努力したい、その思いが強かった。しかし、その時期が何時になるのか、それも分らない。当面の生活もある。美継は決心した。
この地で商売を始めよう。幸い蓄財をしていた資金もある。これを基にロシアへ行ける時がくるまでこの地で頑張ろう。ここにいればすぐ行ける。
試行錯誤の結果、彼は敦賀の町ではまだ珍しかった「パン」を作って売ることにした。
しかし、彼にはパンを作る腕は無かった。考えた末、同じパンを作るなら、一番美味しいパンが良い。そのためには一流の職人が必要だ。そして東京へ出かけ、交渉の結果、当時東京でも有名になっていた「木村屋」から一人の職人をスカウトする事が出来たのである。
準備には少し時間を要したが、着々と準備は進んでいた。少し職人も、身長に味見を繰り返し、確認をする。しかし、美継は慎重であった。何かが足りない。これだけではダメだ。
毎日が検討の日々となった。

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