波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

「自分自身を見つめることの大事さ」

2020-02-10 10:58:19 | Weblog
「目立ちたがり屋」の一言は私自身を気づかせてくれた大きな一言だった。私自身が自分をわからずに生きてきたことをいまさらに気づかされたのである。
しかしこの年齢になって少しでも何が大切であり、人間としてどうあるべきか、少しでも良い人間としての人生を歩みたいとの思いが日々強くなる。
そんな中で自分の人生を振りかえさせられている。国民学校私の言いっていた浜町で3年生の頃のことである。朝礼の時間は運動場に出て全員での朝礼と訓示があった。その時クラスごとに一列に並ぶのだが、成績の良い「級長」と呼ばれるものが先頭に「副級長」と呼ばれるものが列の最後尾に立つのが決まりだった・
私はその役がしたくてしたくて仕方がなかった。成績の悪い自分では到底回ってこないものとあきらめていたある日、担任の先生から、授業のあと残っているように言われた。「何か悪いことをして叱られるのか?」と胸をどきどきさせながらまっていると、「今度副級長にしようと思うのだがお前できるか」と言われた。体も小さく貧弱な私には荷が重いと心配した先生の言葉だった。「できると思います」震えるような声で答えた自分がそこにいた。そしてその日が来た。最後尾に立って指差し確認をした時の感動はこの年になった今でも覚えている。私の眼立ちたがりはこの時から始まっていたのかもしれない。それからの人生は真逆のコースを歩き始めた。家のしつけは厳しく親の言うことは絶対服従であったこと、学生時代(大学)は10歳離れた兄の軍隊形式の厳しい規律の中に置かれて学校、家のほかには家事、仕事以外には自由時間のないある意味軍隊生活まがいの10年間だったので、青春時代はなく、もちろん恋愛も、何もなかった。唯一許されたのは教会への礼拝へ行くことだけだった。そんな日々の中で与えられた女性との結婚はかなり重いものであった。親同士で進められていた結婚は内容とは違いうまくいくはずもなく一か月も過ぎないままに破綻、。そんな中で一筋の光が差した。それは新聞広告に出ていた「放送劇団員募集」の記事であった・目立ち互い屋の私は無意識に飛びついていた。

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