波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

波紋    第84回

2009-04-17 09:53:39 | Weblog
そういえば、最近のニュースで似たような出来事があったことを思い出した。
ある有名大学の教授が、朝の10時ごろ、刺殺されたという事件である。僅か
10分程度の間にである。そしてその時間にその凶行をはっきりと確認した人は出てこないのである。見た人がいたかもしれないし、誰もその場にいなかったのかもしれない。そのトイレには多くの学生が使用しているはずであり、まして刃物を持ち殺人まで犯しているとあれば何らかの形で誰かが何かを目撃していても不思議は無いのだが、確たる目撃証言は得られていない。
松山の場合も似たような状況だったのだろうか。個室トイレを使う人がいなかったのか、物音に異常を感じた人はいなかったのか、いや、感じたかもしれないが、
我関せずと用を足してそそくさと出て行ってしまったのか、この数時間が彼の
運命を決めてしまったのだ。「くも膜下出血」はある時間内の手当てによっては命が助かると聞く。その意味では返す返すも残念なことであり、家族にとってはあきらめきれない思いであろうか。さりとて、誰を怨むこととて出来ないのである。
小林は松山の最後の日の仕事のことを考えていた。トイレに立った彼の机の上は恐らく書類の紙やノート、そしてパソコンが立ててあったことだと思う。急な体調の
変化でそれらを片付ける間もなく、トイレに駆け込んだのだろう。そして、其処で動けなくなったと思われる。机の上の状態は本人にしか分らないことで、そのままになっていたに違いない。しかし、時間がたつにつれて、部屋の誰かが、あの几帳面な松山の机がそのまま散らかっているのに気がつかなかったのだろうか。彼が
そのままにして帰ったと思う人はいないはずである。とすれば、松山の上に何かが起きたと思う人が一人ぐらいいてもおかしくないはずだ。「おかしいな。あいつどこへ行ったのだろう。散らかしたままで帰るはずは無いのだがなあ。」と不思議に思う人はいなかったのだろうか。午後の仕事が終わりに近づき、夕方になり、やがて終業の時間を過ぎて、それぞれが家路に、又夜の付き合いに出かける頃となる。
しかし、松山の机の上はそのままである。そして誰もいなくなっていた。
小林は共に働いていた頃を思い出し、自分がその時いたら、探していただろうか。
いや、必ず探していたはずだ。そう思いたかった。
そして、何とか、彼が助かる方法を講じたかもしれない。そう思うといても立ってもいられなかった。誰かいたはずだ。何とかそのときいた人を探し、話を聞いてみたい。

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