波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

白百合を愛した男    第94回

2011-05-16 10:01:17 | Weblog
シンガポールの空はあくまでも青かった。赤道直下のこの国で仕事が出来るとは夢にも考えていなかったが、親会社の支援で実現し(平成元年)操業を続けることが出来た。
しかし20年を経た今日、そのライフサイクルも終わりを告げることになった。中国のこの分野の進出が、じわじわとせまり直接、間接的に影響をもたらしこの工場の業容に影を指すようになっていた。一年前からその対策を検討を始め、調査を開始した。中国の実態は間違いの無いことであることが分り、そのための防御は不可能と分った。新しい市場は日本、アジアを除いてはないことも分った。(アメリカ、ヨーロッパ、その他の国々には需要が当面見込めない)最後に日本のメインユーザーとの合同操業の交渉があった。
これが唯一、生き残りのための最後の手段だっただろう。しかし、ここには多くの人たちの思惑があり、考え方が錯綜し、まとまることは出来なかった。出来れば大同団結を見て
双方のメリットを計算し、この後の操業を生かすべきだったかと思われたのだが、何時の間にか立ち消えていた。そしてシンガポールの火は消えることになった。
20億を投資した財産は、此処に終わりを告げたのである。その収支はどうであったか、
それは誰も正確には計算し得ないことであろう。そして此処に工場があり、操業していたことを知る人もいなくなることだろう。初代の社長として此処に赴任したI氏は帰国後
間もなく病死し、その後を継承した人たちも、ちりちりばらばらとなり、今はいない。
最初の調査でチャンギー空港に降り立った時の興奮、それは空港内一杯に飾られている
オーキッドの花の見事さであり、何処の空港にも見られない美しさだった。これだけの
美意識を持ち合わせた空港は世界的にもあまり見られないと言われている。スチューワデスの美しさも添えて、それらは調和していた。空港から僅か30分での市内中心部への移動の便利さ、整頓された市内の交通事情、マーライオンのお出迎え、シンプルながら合理的な町並み、狭いながら飽きさせない建築群、一つ一つは印象に残るものだ。
周りを取り巻く海上の港湾施設も世界有数であり、此処から出かける観光ルートは多士済々であった。インドネシア、マレーシア、バリ、そしてオーストラリヤ、ニュージーランドと拡がる。美継の生んだ種はここまで成長を遂げることが出来た。日本を出て
この南まで来ることが出来たことを喜んでいるに違いない。それが終わりを告げることになったとしても。

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