波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

            思いつくまま

2010-06-09 09:28:09 | Weblog
先日入院している弟を訪ね見舞いをすることが出来た。昨年兄を亡くし、二人になったなと感慨を新たにする間もなく、原因不明の頭の病気になり、その後遺症で癲癇発作を起こし、無呼吸その他の機能障害を併発したのだ。ベッドに横たわって鼻から管で栄養剤と点滴を行い、手は拘束されている。穏やかな表情の手をとり、ぐっと握ってやる。どこまで分っているのか、少し表情が柔らかくなる。ただ黙って手を握ったまま暫く様子を見る。何を思い、何が彼の脳裏に浮かんでいるのか分らない。時々何かを呟いている。元気な頃の仕事のことかもしれない。たくさんの会社を訪問した、そして良い人にめぐり合ったときは嬉しかったと言うようなことを言っている。そんな姿を見ながら自分がこうしていながら、何と人間は日頃、何でも出来て不安は何も無い気持ちで生きているが、本当に一瞬先のことは分っていない。今健康で自信に満ちていても、何が起きて、その状態がすっかり変わってもおかしくないのだ。そして何も出来ない自分を其処に見出して不安と苦しみの中に陥るのである。
健康であった時の自分はどこかへ消え、失望と落胆の自分を見ることになる。
そんなことを元気な時は全く想定できないし、考えない。しかし、こうして年齢を重ね、
間近くその実態を見るとき、それは現実の問題として明確に知らされる。そして始めて自分の無力さ、弱さを知らされるのである。だからこそ人は常に謙虚であり、その時に備えて自らを顧みつつ生きていることの大事さを思わされるのである。時間になり、別れが近くなり、再度手を握る。力が入り、なかなか離そうとしない。私は一瞬そこに弟の何も言えないゆえの心の叫びを聞いた気がした。「行かないでくれ。もう少しここにいてくれ」そんな声が聞こえてくる。後ろ髪を惹かれる思いで病院をあとにしたのだ。人は限りある生命のうちにある。その時間をどのように過ごしていくか。それは人それぞれであろう。しかし、できることであれば、自分は自分らしく、生きてきた自分を喜び、出来るだけ悔いのない、感謝の時間として過ごして生きていきたいと思う。残されている時間は長いようで短い。
大切にしたいと思う。
時、あたかも新しい内閣の出発を知らされる。何度変わっても、新しい希望が生まれてこない閉塞感のあったこの時期だけに、期待も大きいが、少しづつでも前進して行くことができることを願ってエールを送りたいと思う。

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