波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

  オショロコマのように生きた男   第63回

2012-01-14 09:15:54 | Weblog
職場での生活はやはり楽しい。今までの経験と知識で充分やっていくことが出来るし、人間関係も次第に気心が分かるようになり順調であった。ただ、毎日見廻りのようにやってくる松山の目が心を暗くした。それは何かを探るようでもあり、何かを知ろうとしているようでもあった。特別に事を荒立てているとも思えないが、落ち着かない。文句を言われるようなことはしていないつもりだが、何か言いたそうな目が気になっていた。そんな毎日の中で楽しい時間はお昼の休憩時間だった。
会社でのまかないの弁当を運んでくる女性は和子さんと呼ばれていたが、弁当を配りながら優しく声をかけてくれる。
「何か要る物があったらあったら、遠慮なく言って、私の出来ることなら何でもするから」知らない土地で、知らない人ばかりの中では、乾いた土に水がしみこむようにその言葉は心の中に流れ渇きを癒してくれる思いだった。
何時しか宏もほどけてきて「いつか都合が良かったら仕事を終わってから、どこか食事でもしようか。」と言ってみた。
和子は嬉しそうに「ありがとう。私まだ食べたことないんだけど、一度食べてみたいと思っているものがあるの。」と言われ、
やっぱり女性は食べ物に関心があるのだなと予想外の答えに余計興味を持った。「そんなものあるの」と突っ込むと「その時、話すわ。それまで内緒よ。恥ずかしいから」「分かったよ。じゃあ、今度のお休みの前の仕事帰りでも行こうか。」初めてのデートの日が決まった。
宏の場合、最初のきっかけは何処でもこのパターンが多かった。それは彼が物欲しげに女を望んでいるのではなく自然であり、むしろ女性のほうからの気持ちのほうが強かった。まして中年の魅力というか、あまり余計なことをしゃべらず、少し冷たい感じのマスクは、返って彼女たちの心をくすぐるのかもしれなかった。
「しゃぶしゃぶ料理って、聞いたことあるでしょ」「うん、知ってるよ」「あれを一度食べてみたいとずっと思っていたの。」
何だそんなことかと思いながら「そんなものいつでも食べれるじゃないか。最近は専門店もあちこちと出来ているし」
「そうなの。宇都宮へ行く途中に新しい店が出来たらしくて新聞に広告が入ったの」
車は宏の得意技の一つだ。二人は仕事から帰り着替えると若返ったように出掛けた。食事をしている間は、あまりしゃべることなく夢中であった。食事が終わり熱いお茶を飲む頃になって「久しぶりに満足したわ。いつも忙しくて手料理も出来なくて、お漬物やチンで済ましちゃうから」そんな笑顔を見るのが嬉しかった。

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