波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

 オショロコマのように生きた男  第75回 

2012-02-24 14:10:22 | Weblog
オショロコマもやっと終の棲家を見つけたようだ。あちこちとさまよい何処へ落ち着くのか、それともこのまま流れに任せて
降海してしまい、海外へ出て帰ってこなくなるのかとさえ思ったこともあったが、自社を立ち上げ家族もそろい自営の会社を始めることが出来たことは一人の人間として考えれば、成功者として賞賛しなければならない。
どんなに優れた人であってもこれだけ変遷を重ね何度も挫折を重ねながら此処までたどり着くことは至難の業であろうと思われる。サラリーマンであれ官吏であれ、公務員であれ、一国一城の主となることはまれなことである。
ましてどんな役職につく事ができたとしても会社の一員である限り、定年までの限定であり、会社を離れれば唯の人となる。
地鎮祭以来村田も野間が落ち着いたことを知り、近くへ行ったついでに野間の会社へ立ち寄るようになった。アポを入れておけばいつでも気持ちよく迎えてくれて、何でも気楽に話が出来て二人の間の距離は一段と接近したことになる。
行くと野間はそのたびに新しいランチの店を探査して、あちこちと新しい店を紹介しながら食事を楽しんでいた。元来酒を飲まないこともあり、自然と食通になっていたが、会社の周囲10キロ範囲の名店をしらみつぶしにチエックしてあり、じゅんばんに回るのだから中々尽きないものがあったし、食事の後のコーヒータイムも貴重であり、話はいつも弾んでいた。
仕事も順調に運んでいた。タイミングが良かったことと彼の独特の技術を生かした製品は他社では真似のできないところもあり、重宝がられたようで特に形の小さい極小物のタイプは評価が高かった。何しろ米粒代のものであったり、蟻のような小さいものでも出来たのである。それがお客のニーズとマッチして大きな利を生む秘訣になったようである。。
しかし二人の話は出来るだけ仕事の話は避けるようにしていた。業界の動きを評論することはあっても具体的なことに触れることはなかった。
野間には特別な趣味はなかったが、車は大好きであった。二年に一度は新車に乗り換え新しい車を楽しみドライブをしていたようである。電車や新幹線、飛行機は極力避け、何処へ行くにも車が原則である。自分で運転することに疲労や考えられると思うが、むしろそれを楽しむかのようにマイペースだった。そんな交流が始まってたある日、いつものように会社へ顔を出すと
彼が珍しく写真のアルバムを持ち出してきた。

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