波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくままに

2011-11-23 09:48:01 | Weblog
自分の時間をゆっくり使えるようになって数年が過ぎた。最初はまごついて何をして良いか分からないままだったが、次第に自分の歩く道が見えてきて、この道をゆっくり身体に合わせて歩いてゆけばよいのかと思えるようになって来た。
それは人間としての「最低のエチケット」をどこまで身につけることができるかと言うことでもあるのだが、今までの錆が身についていることもあり、中々簡単ではない、しかし、少しでも「らしく」なりたい、最後ぐらいスマートにそして自分の納得のいく形で終わりたいと言うことでもある。

私の知人で敬愛していた人が亡くなって一周忌を迎えようとしている。(2011,1,1没)前日の大晦日に風呂上りの夫人の足の爪を切り(リュウマチのため身体が不自由だった)元旦はお祝いのお餅を食べ、その日を過ごしその夜発作を起こし意識不明のまま亡くなったのだが、最後まで身体の不自由な夫人に迷惑をかけないように介護の世話もさせなかったとのこと、見事な
その最後の様子を聞いて感動したものである。
特別なことを考えているわけではない。ただ生活の日々の中で如何に限りなく自然体でいることが出来るか、人に対する振る舞い
使う言葉が周りの空気を壊さないようにあくまでも自分を自然に置くことが出来るか、例えば机の上の器、足元の床、そんな普段目に付かないようなものにも人に対すると同じような優しさで眼を配ることが出来るようになる。
ガチャ、ガチャどんどんと踏み鳴らし騒がしく不協和音を出すのではなく、一つ一つのことを大事に優しく、出来れば本来の優雅さを保ちながら他を思う心とバランスを見ながら全てを大切にすることが出来ないか、なんでも自分の思ったことを押し付けがましくするのではなく、自然のバランスの中に身をおくことで全体が良く見える「ゆとりの心」を持つことが出来ればと願っている。
勿論一朝一夕に出来ないことである。だからこそ残された時間の中で毎日少しづつ積み重ねるしかない。途中で挫折し
崩れたとしても、忘れることなくもう一度積み重ねる努力をしていきたい。誰のためでもない、勿論誰かに認めてもらうものでもない。それはひたすら人間として生まれ生かされてきた自分の務めだと思うだけだ。
秋も深まり、朝晩の冷え込みを少しづつ増している。お天気の良いときの日差しが心を和ませる季節となった。
今月中には今年も紅葉を楽しみたいと思っているのだが。

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