波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

       思いつくままに

2012-07-10 08:23:49 | Weblog
長い人生を過ごしていると自分自身がどう変わっているかを自覚することが難しい。中には若いときからあまり変わっていないという意識の中で過ごしておられる方もいる。しかし人間は着実に年齢と共に変わっているのである。それは肉体的な面で顕著であるが、精神的にも変化していると思わなければならないだろう。
それは大きく分けると考え方が硬くなる人と柔らかく、つまり包容力が大きくなる人とがいると思う。(表面には見えない場合もあるが、)本来ならおおよその人が寛容になり、穏やかに成るはずだがそうもいかない人もいる。
私たちの周りには愚かな人、賢い人、勇気のある人、小心な人、だらしのない人、潔癖な人、暗い人、明るい人と様々な人がいる、そして
その中にあってその小さな違いの中で自分が悩んでしまうのである。(それが人間なのだが、)
不思議なもので後から考えればなんでもないことでも、その時相手とほんの僅か考えが違うことで、感情的になり怒ってみたり
非難したり、自分の正しさを主張しがちである。しかしそんなにその関係は違いがあるのだろうか。そしてその正当性は明確に言えるのだろうかと冷静に考えると、そこには何も大きく変わるものがないことに気づくようになるはずだ。
「全ての人を受け入れる」という神の言葉が頭に浮かぶが、その中にあって生かされていることをしっかり自覚したいと思う。
最近の心境としてはあまり物事に「拘り」を持つことがなくなったと思う。言い方を返れば「いい加減」であり、「適当」と言う言葉になるかもしれない。「全ての人を受け入れる」ということにもつながるが、人と自分の違いを少しづつ受け入れ、自分の能力の限界を覚えざるを得ないようになってきたのだ。そして全てを出来るだけ「自然体」で受け止め、納得することが出来るようになる。それは自分自身を大きな器の中に委ねて、安心することでもある。
「何でも分かる。」「知っている。」「たいていのことは出来る」そんな思いが長い間あってそれが全ての事毎に障害になり、
「一喜一憂」することにもつながっていた。
「あなたを他の者たちよりも、優れたものとしたのは誰です。一体あなたの持っているもので、頂かなかったものがあるでしょうか。もし頂いたのなら、なぜいただかなかったような顔をして高ぶるのですか。」
肩の力を抜いて、生きる生き方も身に着けたいと、そして与えられた恵を充分に感謝して享受して生きたいと思うこの頃なのです。