波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思い付くままに

2012-07-24 10:12:17 | Weblog
「知識は人を高ぶらせるが、愛は人を造りあげる。自分は何か知っていると思う人がいたら、その人は知らねばならぬことをまだ知らないのです。」この言葉に接したとき、私は今までにない衝撃を受けた。この言葉の持つ意味を噛み締めると自分の事を顧みて反省するばかりだからだ。人は誰でも無意識のうちに相手と自分を比較して少しでも自分を優位に立とうする気持ちが働いてしまう。そして自分の知識を何時の間にかひけらかし、自分の意見で人を説得しようとする。こんな事が日常茶飯事に行われていて過ごしているうちに大事なことを忘れて、何時の間にか人を傷つけていたりしていることを知らないで過ごすことになるのだ。
それよりも大事なことは「愛」だと言うのだが、このことは具体的に何をすることでどうしたらよいのか思いつかないでいる。
(それだからこそ大事なのだと教えているのだが、)
知識が要らないというのでもなく決して軽視するものではない。知識は大事であり、この世の世界は概ね知識の働きによって統制されていることはよく分かっているつもりだ。しかしそのことだけが突出しそのことで全てが量られると、人間軽視の大事なものが失われていくことになることに気づかないでしまうようになるのだ。それについてある哲学者は「誰でも知識があってもその用い方を知らなければ,不充分な知識を持っているに過ぎないのだ」と言っているし、「真の知識は如何に自分が無知であるかを人間に悟らせるものだ」と言う人もいる。このことは間違うと自分は知的な人間だと思っている人が無知の証拠であるとさえ言えることになってしまう。
昔、あるセミプロと言われるゴルフアーの人と一緒に仕事をしたことがある。彼は人前では絶対にゴルフの話はしないし、まして
教えてほしいと言っても首を縦に振ることはなかった。そして私が彼の腕前を人前で披露しようとすると、とんでもないとすごい剣幕で怒っていたことを思い出します。本当にその道を極めようとする人はそれなりにその奥の深さを知り、更にその上を極めようとするために人前で自分が出来ていることを知られたくないと思っていたようだ。
そんなことより、誰でも出来ること、見えて分かること、それは人に対する「思いやり」であろうか。難しいことはない。
その人のことを自然に思い、自分なりにできることを素直あらわし、実行するだけでいいのだ。その積み重ねこそが「人を造っていくのだ」そのことを大事に、真剣に考えて生きたいと思っている。